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2021年4月 3日 (土)

マイモンと「超越論的哲学についての試論」について〈ザロモン・マイモンを読む0〉

ザロモン・マイモン「超越論的哲学についての試論」をよむ

まあなんとブログ更新、半年ぶりだ。

前回の更新時にドゥルーズ「差異と反復」2章を読み終わったが、これをさらに読み進めるためには、ヒュームの懐疑とカントの超越論的思索にかんする論議や、ニュートン・ライプニッツの微分に対する宗教と科学の対立論議にかんする哲学史を振り返る必要があり、この半年間、それらの関連を読み漁った。とくにザロモン・マイモンはドゥルーズが「差異と反復」で言及し4章の考察の下敷きにしているので重要視すべきと考えた。そこで、「差異と反復」の読みのスピンオフとして、今日からそのマイモンの「超越論的哲学についての試論」の読解に挑戦する。

ザロモン・マイモン(1753~1800.11.22死亡日は分かっているが誕生日は分かっていないらしい。ザーロモン・マイモンやサロモン・マイモンと表記されることもある)は、リトアニア生まれのユダヤ人哲学者。25歳のときに乞食同然の姿でドイツベルリンに向かい医学の勉強を望むが叶わず、いったんメンデルスゾーンの門下となる。しかしその素行の悪さや思考の危険性、離婚問題でメンデルスゾーンからは勘当され、ラビからも破門され結局ユダヤ人墓地に埋葬されることもなかった結構やんちゃな問題児だったらしい。マイモンの「超越論的哲学についての試論」はカントの「純粋理性批判」に大きく傾倒しつつもそのもっとも手強い批判とも評される。これはカントも読んでいて「純粋理性批判」をきちんと理解したうえでの考察であることを高く評価した。ただしその中でのカント批判を受け入れることはなかった。その意味でカントを批判するカントの弟子として取り扱われることも多い。

しかしマイモンは、哲学者としてあまり評価されているとはいいがたく、中央公論社の「哲学の歴史」全13巻のなかでも別館のコラムとして軽く取り扱われているだけで、哲学史全体の本流の中であまり重要な位置づけはされていない。その主著である「超越論的哲学についての試論」も現在邦訳されている紙の書籍はない。ただ新潟大学の平川愛氏による邦訳がインターネット上で公開されているので、それを読むことができる。https://niigata-u.repo.nii.ac.jp/records/29483#.YGh1VM9xe00 その他、「一放浪哲学者の生涯」小林昇訳という自伝の出版があるが、もう絶版である。

「超越論的哲学についての試論」(前述の「哲学の歴史」のコラムでは「超越論的哲学論考」とされている)は、カント「純理」のアプリオリな総合を問い、その立ち位置をライプニッツと比較し、さらにライプニッツやニュートンの微分の視点で問い直し評価し直す。そこで問われている微分論や超越論的哲学への探求はずいぶん意義深いもので、ドゥルーズを読むには必須の著作であることは間違いないと思う。(この冬、「差異と反復」の訳者の財津理さんと話をさせてもらう機会を得た。財津氏がその4章の注釈で「量(quantum)」と「量(quantitas)」がヘーゲルを意識したとされていたことに対して、マイモンの微分論も意識しているのではないかと聞いてみたら、その通りだと思うと同意していただいた。)

また、微分と言えば、ニュートンの微分による物理学的思考によって神の非存在が証明されたかの風潮に対して、バークリーはずいぶんと怒って、微分の力を過信することに強く反発していた。それは神や物の存在の絶対性を問うときに、微分ではその無限の彼方に到達できないことに対する批判であったように思われる。現代の数学でも、無限の問題はεδ論法などによって乗り越えられ、ゼノンの「亀とアキレス」のパラドクスのような問題も解消されたと言われる時があるが、哲学的にはそれは全く解決にはなってないと考える指摘も多く、その対立は今もある。マイモンの微分論もそのような無限小への思索の挑戦であって、現代数学をしても何も解決していないかもしれないものを検討しているものである。現代数学がεδ法によってスルーしたところを検討している点で、それは現代の微分論とはまったく異なる論点を問うものである。そう考えるとマイモンの微分論はまるで古い議論ではないし、すでに終わった議論でもない。もちろん、決して失敗した検討でなどないし、無意味な思索でなどまったくない。としか僕には考えられない。

なので、マイモンが人目に付きにくいところにある現状はずい分もったいなさ過ぎると思う。

 

そういうわけで、「超越論的哲学についての試論」の読解に挑戦する。

・カントが「純理」で問うたアプリオリで純粋な認識の必要性と困難について。

・ヒュームの懐疑と総合命題に対する事実問題と権利問題について。

・感性直観と悟性の概念理念と微分について。

等の点で、マイモンの思索に挑みたい。明日から。

 

つづく

<ザロモン・マイモンを読む>

<僕にも分かる「差異と反復」>


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