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2020年5月 6日 (水)

ラカン精神分析読解のための用語メモ(増殖中)

ラカン精神分析読解のための用語メモです。増殖中です。間違いや付け加えるべきことなどあれば、↓のコメント欄などからお知らせいただけるとありがたいです。

Lacan_20200506133501

いっぱんかはいじょ【一般化排除】ミレール精神分析用語。言い得ないものや書き記し得ないものが外-在ex-sisterするという意味で、シニフィアンが排除されているもの

 

いみさよう【意味作用】signification。元々は、信号発信的言語システムにおける作用の内容の意。ラカン精神分析において、患者の意識と繋がりのない謎めいた意味作用が出現し現実把握が乱れることが精神病だとされる(ラカンが精神病は意味作用ではなくシニフィアンの水準の問題とした場合もある)

 

いろにー【イロニー】ironie。大他者〈父の名〉(世界規範に関する絶対的規範:神の法)が現実的にはあり得ず、非一貫的なものでしかないとする立場

 

いんゆ【隠喩】換喩に対して、新しい意味を生じる比喩。例「彼はケチでも恨みがましくもない」→「彼の麦束はケチでも恨みがましくもない」

 

えす【S】エス。フロイトの心理学用語Esエスを元にして考察されたラカン心理学の用語。非人称的で原初的な主体。象徴化されないかぎりそれ自体では何者でもなく、構造的にシニフィアンによる象徴的秩序に侵食され、疎外され去勢されてしまわざるを得ない。そのことを強調して、Sに斜線を引いたもの(斜線を引かれた主体)として示されることもある。

 

えすあん【S1】エスアン。自らの原初的主体(S)はそれ自体では何者でもないので、それを何かのシニフィアン(S1)によって代理表象してもらわねばならない。このときの主体の代理表象を成すシニフィアンのこと。→ララング

 

えすどぅ【S2】エスドゥ。主体のシニフィアン(S1)はそれひとつきりで他との関係性を持たないままであれば意味を持つことはできない。そこに意味を生じさせるためには、S1と関係を持つ相手(S2)を必要とする。その関係において、主体SはシニフィアンS1によって別のシニフィアンS2に向けて代理表象されていると言えることになる。この時に、S1を通じてSが表象されることにおけるその意味を請け負うシニフィアンのこと。ララングに対する無意識の知

 

 

おおもじのたしゃ【大他者】大文字の他者。自我と同じ水準に存在せず、主体との間に象徴的関係を結ぶ存在。幼児にとっての全能の母のように主体を超出する存在。母としての「シニフィアンの場としての大他者」と、それよりさらに高次の、父としての「法の場としての大他者」がある

 

おぶじぇあー【オブジェa】→対象a

 

 

 

がいてきせかい【外的世界】フロイト=ラカン「現実の領野」に相当 

 

かんゆ【換喩】隠喩に対して、新しい意味作用を生じない比喩。例「一隻の船」→「一枚の帆」

 

 

 

きかんのきょうらく【器官の享楽】→ファルス享楽

 

きょせい【去勢】現実的父を動作主とする想像的対象の象徴的負債。母が現実的な父のものであることを知った男児は自分のペニス権力が取り上げられる可能性をもつ借り物でしかないと捉えるようになる。去勢は、現にあるペニスがなくなるという可能世界における負債であり言語的思考の負債である、このことを象徴的負債という

 

 

くうそうせかい【空想世界】フロイト=ラカン「ファンタスム」に相当

 

 

 

げんじつかい【現実界】「想像界」「現実界」「象徴界」を映画マトリックスになぞらえると、仮想世界マトリックスが想像界、人間がマトリックスを夢見ながら寝ている現実世界が現実界、マトリックスを生み出しているコードシステムが象徴界にあたるらしい(斉藤環「生き延びるためのラカン」による)→想像界・象徴界

 

げんじつかいにおけるしにふぃあん【現実界におけるシニフィアン】本来シニフィアンは象徴的だとされるが、それは他のシニフィアンとの連鎖・関連している限りでの話である。精神病では、シニフィアンは他のシニフィアンからバラバラに切り離され、現実界のシニフィアンでしかないものになってしまう。

 

げんじつてきたいしょう【現実的対象】部分対象としての乳房。子の欲求を現実的に満たす

 

げんじつのりょうや【現実の領野】ラカン。フロイト「外的世界」に相当。シェーマR図におけるMImiの四角形にあたる。想像的三角形と象徴的三角形の狭間で、子供の自我mが理想的な自我Iへ向かい、私の鏡像であった母の身体と他者としての母の身体像が統一されるような領野。ただしこれは現実界(現実世界)ではなくファンタスムでしかない。

げんしょうちょうかい【原-象徴界】le proto-symbolique母の在不在を気まぐれに繰り返す+と-が不規則に連続するセリー(系列)。完成した象徴界に先立つ前駆的象徴的秩序

 

 

こちゃく【固着】特定のリビードの発達段階に停滞しその段階の欲動の満足の様式にとどまること。原抑圧によって欲動の表象代理が意識に受け入れなれないとき成立する ○パラノイアの固着点はナルシシズムにある ○スキゾフレニの固着点はリビードを身体部分に備給する幼児性愛段階に立ち返る

 

こもじのたしゃ【小文字の他者】ひとが日常生活の中で出会う他人で、自我と同じ水準にいる存在。そのためしばしば嫉妬や攻撃性といった想像的関係が結ばれる

 

 

さけめ【裂け目】béanceベアンス。「『性的関係における欲求』に関する要求と『愛の要求』の間には、一つの裂け目béanceが存在する。この裂け目が欲望を生じさせる。ラカンが『欲望は満足を求める欲から愛の要求を引算することに由来する差異、その二者の分割そのもの』と言うのはこの意味において」( 人はみな妄想する)

 

 

しぇーま・いる【シェーマL】schema L。ラカン分析の精神構造を示す図。無意識の主体Sに対して大他者Aが象徴的な承認を行い充実したパロールを与える。S-Aの対角線を象徴的軸という。また自我aに対して他者a’が想像的関係を結び、空虚ではあるが意識的なパロールを成す。a-a’の対角線を想像的軸という。神経症においてS-A上で展開される充実したパロールが、a-a’上の空虚なパロールに阻まれて主体Sに届かなくなる
Schemal  

 

しぇーま・エール【シェーマR】schema R。ラカン分析の精神構造を示す図。φ-M-P-I四角形。想像的三角形、象徴的三角形、現実の領野の3部からなる。→想像的三角形・象徴的三角形・現実の領野
Schemar

 

しにふぃあん【シニフィアン】元々ソシュール言語学用語。アイテムとしての語。意味の概念内容シニフィエと、意味の媒介アイテムとしてのシニフィアンとが対になって語のシーニュ(しるし)を形成する。ラカンではこれの欠如が精神病の特異的原因とされる。シニフィアン同士の関係性が重視され時に内包的役割も負う。他のシニフィアンに対して主体を代理表象するもの

 

しょうちょうかい【象徴界】「想像界」「現実界」「象徴界」を映画マトリックスになぞらえると、仮想世界マトリックスが想像界、人間がマトリックスを夢見ながら寝ている現実世界が現実界、マトリックスを生み出しているコードシステムが象徴界にあたるらしい(斉藤環「生き延びるためのラカン」による)→想像界・現実界

 

しょうちょうてきさんかくけい【象徴的三角形】シェーマRの図におけるMIPの三角形。M(母:シニフィアンの場としての大他者。前駆的大他者。原-象徴界)、I(理想としての自我)、P(〈父の名〉法の場としての大他者。大他者の大他者)の三角形。〈父の名〉がシニフィアンの場としての大他者に法を与え、統御する。(但し、かならずしも現実の父が居る必要はなく、母が父の権威づけをすることで成立する「パパなら何と言うかしら」)

 

しょうちょうてきはは【象徴的母】現前と不在の両方の可能性をもつものとしての対象。(この象徴的母は子の前に全能の母としてあり、子が初めて経験する大他者でもある) ○現実的な乳房と象徴的母は、現実界と象徴的にそれぞれ異なる次元にあり、異なる機能を果たす

 

しょうちょうてきふぁるす【象徴的ファルス】シニフィアンがファリックな意味作用を持つことを保証するシニフィアン。主体がシニフィアンとの対比において意味作用を象徴化し、シニフィアンの体系に介入せねばならなくなる、そのときのシニフィエ一般のシニフィアン。象徴界の体系自体の規則体系

 

しんけいしょう【神経症】(フロイトにおいて)神経症と精神病は外的世界と空想世界の関わり方が異なる。葛藤が象徴的に加工され偽装され症状に曖昧に顕在する。神経症者は外的世界と関わりながら空想世界に逃避することができる(が、精神病者は外的世界を否認し空想世界によって外的世界を代替する)
1)神経症は相容れない表象を受け入れて表象を加工する(抑圧)が、精神病は相容れない表象を受け入れない(排除)
2)神経症の無意識は解読を必要とするが、精神病は無意識が意識的なものとして現れる
3)神経症の症状は隠喩で構成されるが、精神病では隠喩を欠く命題で構成される
4)神経症では転移が成立するが、精神病では成立しない
5)精神病の中核で機能しているのは父コンプレックス(エディプスコンプレックスの機能不全、〈父の名〉の排除)
6)神経症の現実喪失は空想世界の中で対象との関係が維持されるが、精神病では妄想を作ることで喪失を克服する

 

 

 

せいあいの3だんかい【性愛の3段階】フロイトにおける性愛の3段階
(1)自体性愛:いまだ身体の統一的自我像はできておらず、身体のバラバラの諸部分を性愛の対象として欲動を満足させる(母の声を聞きながらおしゃぶりする子は自分の口唇の左右に自分の耳があることを知らない)
(2)ナルシシズム:身体的統一像ができてくると自らの身体像そのものを性愛の対象とすることができるようになる
(3)対象愛:人や物といった外的世界が性対象とされるようになる これら3者はリビードの備給のされ方で分析できる。1は身体の部分に、2は自我に、3は外的世界の対象に備給される

 

せいしんびょう【精神病】(フロイトにおいて)神経症と精神病は外的世界と空想世界の関わり方が異なる。神経症者は外的世界と関わりながら空想世界に逃避することができる。この空想世界は外的世界に依托しつつ存在し欲望を支える。他方、精神病者は外的世界を否認し空想世界によって外的世界を代替する →神経症

 

せいしんびょうげんいん精神病3原因(ラカン) 1)誘因:器質的要因。中毒、内分泌障害など 2)作用因:妄想を決定する原因。家族との葛藤など 3)特異的原因:幼児期環境に関連したの人格発達停止。フロイト固着のラカン的翻訳

 

 

 

そうぞうかい【想像界】「想像界」「現実界」「象徴界」を映画マトリックスになぞらえると、仮想世界マトリックスが想像界、人間がマトリックスを夢見ながら寝ている現実世界が現実界、マトリックスを生み出しているコードシステムが象徴界にあたるらしい(斉藤環「生き延びるためのラカン」による)→現実界・象徴界

そうぞうてきさんかくけい【想像的三角形】シェーマR図におけるφimの三角形。φ(創造的ファルス)m(子供の自我)i(鏡像的イマージュ)の三角形。子供の自我mが他者の欲望φをめぐって、鏡像的イマージュiと双数的決闘的関係に入り、想像界を成す

 

そうぞうてきそんしつ【想像的損失】十分な授乳がないとき子は想像的な愛情関係の損失として捉える

 

そがい【疎外】ラカン精神分析において、象徴界(シニフィアンの世界)への参入によって享楽の喪失と引換えに主体を現れさせる操作。また、シニフィアンの構造(=大他者)の導入によって人間が原初的な享楽を失いこの消失の中で主体が姿を現すこと。もともとあった原初的な享楽は快原理に受入れ得ないほど過剰で致死的な快である。また、疎外において導入された大他者は一貫した大他者(A)でなく、自身のうちに欠如を抱えた非一貫的な(矛盾した)大他者である

 

 

たいしょうあー【対象a】objet aオブジェアー。体験はするが表象として意識できず、シニフィアンへ翻訳されず喪失してしまった〈物〉(あるいは享楽)は、意識に到達不可能なはずであるが、〈物〉そのものとしてではなく痕跡として到来することがある。これを対象aという。想像界や象徴界や現実界の中間にあり、欲動が求める穴を埋めるための対象。部分対象や移行対象、自己対象との関連性が指摘されている。ひとが日常生活の中で出会う他人で、自我と同じ水準にいる存在。そのためしばしば嫉妬や攻撃性といった想像的関係が結ばれる。(日本語wikipediaでは「小文字の他者(petit autre)とも言われる」という記述があるが、この点に関しては注意が必要かもしれない)→〈物〉

 

たいしょうけつじょ【対象欠如の3形態】「欲求不満frustration」「剥奪privation」「去勢castration」

 

だいたしゃ【大他者】大文字の他者。自我と同じ水準に存在せず、主体との間に象徴的関係を結ぶ存在。幼児にとっての全能の母のように主体を超出する存在。母において、シニフィアンの場としての大他者があり、〈父の名〉において法の場としての大他者がある

 

 

ちちのな【父の名】象徴界(人間の象徴機能)を統御するシニフィアン。象徴界の秩序を安定化させるシニフィアン。患者に父の名が存在すれば神経症であり排除されていれば精神病である。本来、象徴界に属すシニフィアンが父の名排除の証拠となる要素現象や意味作用として現実界に現れる。精神病ではシニフィアンが即自として現実界に現れるので対立項がなく(精神病の幻聴は聞こえない可能性が失われている)何かを言うものである可能性がない 神経症では〈父の名〉が隠喩などのとして導入される。それゆえ妄想が何かを言わんとするものになっている

 

 

でぃすくーる【ディスクール】discours。象徴界に属するものとセクシュアリティに属するものを結合させた状態で捉えられるようにする理論装置。「真理→動因→他者→生産物」の4ステップ構造で、現実と象徴を繋ぐ。主体と対象aの間を遮断しつつファンタスムを作ることによって、過剰な享楽の氾濫から身を守れるようにする。例えば、疎外と分離が合わさるとき、主体が原初的に喪失した部分を対象aが代理して、「主人のディスクール」の図式が得られる

 

てんい【転移】精神分析において、無意識の欲望が一定の型の対象関係のうちで、とくに分析的関係の枠内で、ある種の対象に関して現実化される過程をさす。その際には、幼児期原型が著しい現実感とともに反復体験される。分析家が転移と呼ぶのは治療過程における転移。転移は一般に精神分析治療の諸問題が現れてくる素地と考えられている。その定着、その様態、その解釈、その解決などが精神分析治療の特徴を形づくる(精神分析用語辞典)
(フロイトにおいては)幼児期の両親に向けられていた性愛関係を精神分析家に向けること 転移神経症は、対象愛が可能で(ここでの神経症に相当)精神分析治療が可能。 ナルシス的神経症は、対象愛のリビードが自我へと退行し(ここでの精神病に相当)転移も分析的治療も不可能
(ラカンにおいては)転移のシニフィアンが出現すること。 症状に「何からの意味x」があると考えていた患者の前に、その「意味x」を知る分析家が現れ、症状が何らかの意味を表すものからシニフィアンに対して主体を代理するものとなる

 

ぬすまれたてがみ【盗まれた手紙】The Purloined Letterエドガー・アラン・ポーの短編探偵小説。ボードレールによる仏訳「La lettre volée」について、ラカンは《「盗まれた手紙」についてのゼミナール》(「エクリ」1)で考察している。女王が王に内緒にしていた手紙を大臣に盗まれ、それを探偵デュパンが見つけて取り返す話。王は女王の机に上にあった手紙に気づかなったのだが、そこに来た大臣が手紙に気づき、その机の上に代わりとなるような手紙を置いて入れ違いに元の手紙を盗み取っていった。大臣が盗んだことははっきりしており、手紙は大臣の官邸にあるはずのなのにどうしても見つからない。そこで、デュパンが官邸に出向き、壁に掛かっているボール紙の状差しに差し込まれていたぼろぼろの手紙を見つける。そして、代わりとなる手紙と入れ替えて元の手紙を取り戻す。というストーリーである。ラカンは、第一の盗みの場面(原場面)で、何も知らない王とそれに対して手紙の存在を知っている女王、そしてその二者関係をさらに見下ろして手紙を盗み取ってくる大臣との三者の関係がある。そしてこの関係おいて、第二の盗みの場面にも同様の対応関係にあるとする。つまり、どこに手紙があるかまるで見つけられない警察とそれに対して手紙の在処を知っている大臣、そしてその二者関係をさらに見下ろして手紙を盗み取っていくデュパンとの三者関係である。ラカンはここに、子供が認識を持つときの形式を当てはめる。何も知らない主体としての子供は相対するものとの二者関係のなかで世界を意味づけるゲームを理解し始めるのだが、その理解をさらにはっきりと意味づけるためには第三者的な〈他者〉が必要になること。また、探すべき世界の対象は、そこに、まだ見つかっていない「探している対称」として身代わりになるようなものとした捉えられなければならないということ。など、認識のメカニズムのメタファーとされる。

 

ねずみおとこ【ねずみ男】フロイト1909年《強迫神経症の一例に関する考察》論文の強迫神経症者の別名。患者は29歳の独身青年、知人から肛門にネズミを食いこませる〈ねずみ刑〉の話を聞いて以来、父親と恋人がこの刑を受けたら大変だという恐怖に圧倒され、その恐怖をふり払うために、お祓いのような動作を反復するようになった。

はいじょ【排除】精神病においては、去勢の脅威は「排除」されるので加工されることなく、神経症とは異なるプロセスを経て(幻覚などとして)現実に再出現する

 

はくだつ【剥奪】想像的父を動作主とする象徴的対象の現実的穴。社会的規制を課す想像的父によって象徴的ファルスをもちこむことによって女児は「ペニスがない」状態だと判断でき、そこを穴として捉えるようになる


ふぁりっくないみさよう【ファリックな意味作用】父性隠喩によってのみ喚起される意味作用

 

ふぁるす【ファルス】φ。屹立した男性性器の比喩的表現。世界を形式化する権力。子は「剥奪」において象徴的なファルスの欠如し、「去勢」において想像的なファルスを欠如する。両性のセクシャリティの規範化は去勢を通じてファルスというシニフィアンによって行われる。「陰性化することのできない享楽のシニフィアン」

 

ふぁるすきょうらく【ファルス享楽】分離の操作によって獲得され得る満足は享楽と呼ばれるものになるはずだが、(〈物〉が象徴的に到達不可能であるのだから)それは全体として回復させるような享楽ではあり得ない。象徴界に参入した主体が獲得できる享楽は部分的な享楽であり、身体の一部分(器官)に凝縮された享楽である。これを「ファルス享楽」や「器官の享楽」という

 

ふぁんたすむ【ファンタスム】フロイトの「空想世界」に相当。ラカンにおいて、シニフィアンを経由することで現実をある種のおとぎ話として捉えること

 

ふせいいんゆ【父性隠喩】〈父の名〉のシニフィアンの導入としての隠喩

 

ぶんり【分離】ラカン精神分析用語。子供は大他者における欠如に対して自分が先に失った欠如である「存在の生き生きした部分」(-φ)を以て答える、この二つの欠如を重ね合わせる操作が、分離と呼ばれる。 疎外において導入された大他者Ⱥの欠如を埋め、享楽を部分的に代理する対象aを抽出するときの過程のこと。この分離によって、ひとは大他者に内在する欠陥(Ⱥ)を認めながら、その欠陥を、対象aで隠す(Ⱥ+a=A)自我分裂に達する。それゆえ、分離とは主体の分離だと言える。分離によって主体は母と別の存在となり、自分の身体と切り離し得る存在となる

 

 

もうそうぶんれつぽじしょん【妄想分裂ポジション】メラニークライン分析用語。生後3~4ヶ月幼児の空想的段階。主な関心が母の乳房に向けられ「部分対象」として認識する(母の全体を一つの対象「全体対象」とできない)。「良い乳房」(欲求を充足させる愛すべき対象)と「悪い乳房」(不満足に陥らせる憎むべき対象)が分離

 

もの【〈物〉】des Ding フロイト心的装置(体験を意識可能なものに翻訳するシステム) において、決定的に取り逃がされてしまうものがあるが、ここで逃がされたものがラカンの〈物〉に相当する。人間がシニフィアンと関わり言語世界に参入する際にもはや取り返しのつかないような形で失われてしまう原初的対象。到達不可能な現実界水準のもの。言語システムそのものである快感原理の彼岸への到達(享楽)によって〈物〉に到達できるというのは、或る意味でファンタスムでしかない。しかし、にもかかわらず、〈物〉は断罪・罪悪感として断片的に侵入してくる(神経症では〈物〉を別の形に加工することによって、精神病では他者からの非難という妄想に組み入れることによって)

 

ようきゅう【要求】demande。欲求がシニフィアンの形式で求められるもの。 シニフィアン化した要求は、現実母を求める生物学的欲求の要求と、その欲求を満たしてくれる象徴的母の現前を求める愛の要求とに二重化する。

 

よくあつ【抑圧】神経症においては、去勢の脅威は「抑圧」によって意味作用が加工され別のものとして表現される 

よくうつぽじしょん【抑うつポジション】メラニークライン。生後4~6ヶ月、良い乳房と悪い乳房を統合し母を「全体対象」として認識できる。私と母の分離、自我のめばえ、悪い乳房の母を傷つけていたことへの抑うつ

 

よくぼう【欲望】désir。要求と欲求の裂け目において、弁証法的に構成される領野 →要求、欲求

 

よくぼうのべんしょうほう【欲望の弁証法】「特定のこれ」を欲する欲求の個物性が要求になるとき一般化され消去してしまう。が、その裂け目において生ずる欲望は様々な欲求からその素材を流用してこようとする(例、靴フェチ)。このとき欲望は「これでなければダメ」かつ「母の要求は関係ない」というものになる

 

よっきゅう【欲求】besoin。生物学的、生命維持のための欲求。

 

よっきゅうふまん【欲求不満】frustrationフリュストラシオン「象徴的母を動作主とする現実的対象の想像的損失」。象徴的母は子の前に全能の母としてあり、子が初めて経験する大他者でもある。現実的な乳房と象徴的母は、現実界と象徴的にそれぞれ異なる次元にあり、異なる機能を果たす

 

ららんぐ【ララング】lalangue。子供が初めて言語に出会うときのトラウマ的な衝撃(身体の出来事)の際に刻印される最初の言語。子供が初めて出会う原初的な言語(S1)

 

思いつきの言々

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