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2019年8月 6日 (火)

同一性と反復〈僕にも分かる「差異と反復」2-0〉

 ドゥルーズ「差異と反復」第二章「それ自身へ向かう反復」を読む。
(今日は文庫上p197に入る前段のところ)

今日から第2章。
ドゥルーズが何をもって「反復」として捉えようとし、そこに何を求めようとしたのかを考える。今日はそのための前口上。


「同一性」と「反復」

ドゥルーズは、「差異と反復」第1章で徹底して、「同一性」を否定し「差異」による世界把握の必要性を追求してきた。
でもそれは、あまりに厳しい選択であった。
従来の「同一性」を基盤にした世界把握であれば、その同一性から世界把握のための物差しを確定的なものとして持ってきて、世界に当てはめることができるので、世界がどんなものであるかを確定的な語り方で明晰で判明に語ることができると考えられる。
この今の1秒という時間的延長と絶対的に等しい長さの時間が、昨日にも、また5m先の空間にも、あるとできる。この目の前の1㎝という空間的延長と絶対的に等しい長さの距離が、5m先の空間にも、また昨日にも、あるとすることができるのだ。
そしてそれによって、そこに存在する対象の長さや時間の、「本当」の同一性を確かめたり、比べたりすることができる。
同一性に基づく世界把握は、だからとても便利で、使い勝手の良いやり方であった。しかし、そのような絶対的な物差しは、世界のどこにもあり得るはずがないし、そのような「どこかにある絶対」に頼ってしまうから、ここに現にある個物をつかみ損ねてしまうのだ、とドゥルーズは考えた。だから、個物を語り得るようにするために、「同一性」を棄てなければならないのであった。
そこで、同一性に基づかないで、何と何が「対応」し「一致」するかを考える。そこに「反復」を求める。それが、「それ自身へ向かう反復」である。同一性の基盤のないところから「対応」を作り出し「一致」と「同じ」を作り「差異」を作り出す作業になる。だから、それは、根拠がはっきりさせられないままの、「とりあえず」「冒険的」「実験的」な作業になる。そして、その「とりあえず」「冒険的」「実験的」な作業のなかに「反復」が「対応」と「一致」と「差異」とともに浮かび上がることになる。


第1・2・3の総合

そのような「反復」によって構成される世界モデルは、同一性に基づくモデルとはずいぶん違ったものになる。同一性によるモデルならば、空間的にも時間的にも延長の物差しが定量的ではっきりしたものなので、先ず、過去にも未来にも現在にも等しく存在者が存在するような実在世界(3次元空間+1次元の時間の、いわゆる4次元時空的な実在世界モデル)が得られる。そしてそれから、それと同時かまたは少し遅れるかで、心の世界や、相関主義的世界や、独我論的独今論的な、世界モデルが問われることになる。

それに対して、ドゥルーズのやり方は、「同一性」に基づかないから、そのような4次元時空世界の実在から話を始めるわけにはいかないので、次のような手順で、世界モデルが検討される。
すなわち、

①「現在」の時間次元に対応する、ヒューム的世界モデルとしての「時間の第1の総合」
②「過去」の時間次元に対応する、ベルクソン的世界モデルとしての「時間の第2の総合」
③「未来」の時間次元に対応する、構造主義的ホーリズム世界モデルとしての「時間の第3の総合」

である。
まず、「今ここ」から話を進めるのでなければ仕方ないのだ。それでも、世界は「今ここにしかない」と言い続けるだけでも仕方ないので、そこからどこまでどのように話を進めていけるかという考察が為させることになる。
そんなわけで、第2章は、ヒューム的な第1の総合から考察することになる。
そして、そのように反復を捉えると「反復のパラドクス」もほどくことができるのだけれど、それは次節で見ていく。

つづく

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