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« ドゥルーズのノマドと個体化と一義性〈僕にも分かる「差異と反復」1-2〉 | トップページ | メイヤスー「有限性の後で」を読むための用語置き場〈思弁的実在論をわかりやすく読み解く14〉 »

2019年2月27日 (水)

「差異と反復」を読むための用語置き場(増殖中)

「差異と反復」の「用語」にかんする備忘メモ置き場です。少しずつ増やしていきたいです。作成途中のページですので、足りないところや間違っているところも多いと思います。付け足すべき項や訂正すべきところなど、お気づきのことがありましたらコメントで教えてもらえるとありがたいです。

「差異と反復」本文の読解は、<僕にも分かる「差異と反復」>のページで進めてるので、そちらも覗いてもらえると嬉しいです。

 

あくたいおん【アクタイオンAktaion】アクタイオーン。ギリシア神話の英雄。アポロンの息子アリスタイオスとカドモスの娘アウトノエの間に生れ,ケンタウロスのケイロンに養育され,狩りの名手となった。あるときキタイロンの山中で,狩りの疲れを癒やそうとして泉に近づいたところ,そこで沐浴していたアルテミス女神の裸身を見てしまい,その罰に鹿に姿を変えられ,自分の連れていた 50頭の猟犬に食い殺された。 (百科事典マイペディア)「差異と反復」では、自分が世界を観照しているという事態を自ら振り返っている「ナルシス」的な面と、その見ている自分のことを忘れて無心に世界を見ているという「アクタイオン」的な面との対比での比喩に使われる。

 

あくちゅあるなげんざい【アクチュアルな現在】端的に現前化している現在。古い現在との対比において語られる。

 

あむねーしす【アムネーシスἀνάμνησις】 想起。プラトンの哲学において、既知の真実在を引き出すこと。すなわち、個々の事物とは厳密に区別された真の実在を人は既に知っているとし、知っているからこそ、人はそれを目の当たりにしたときに、それことが探求していたものだということが分かるとするときの、その既知の真実在を引き出すこと。「知らないものを探求することはできない。探求を為すためには人は何を求めているのかを事前に分かっていなければ求め始めることができない。だから、学習とは思い出すことに他ならない」(「パイドン」)。人は既に「美のイデア」を自分のなかに内在させているから、美しい花を美しいと感じることができる。善きことを善きこととして感じることができる。

あんヴぇすてぃ【アンヴェスティinvestie】→備給

 

いぎ【意義sensサンス】(財津訳では「意味」):「表現されるものexpriméエクスプリメ」。英語の「meaning」。フレーゲがドイツ語で言うところの「Sinnジン・意義」にあたると思われる。指示される対象の性質を示すことで言葉が対象を指示しようとするその内容。内包的なことを指す意味での意義。「明けの明星」と「宵の明星」は同じ金星を指示していても、「sensサンス」は異なる。(本ブログでは「意義(サンス)」と表記する。)

 


いろにー【イロニー】ironie。法則に服従せず皮肉なやり方で法則を疑い、一般的なものを罷免する。「フモール」(ユーモラスに、法則に服従しつつ特異性を再び見いだす)とセットで、法則や一般性に対立する。(ラカン’66によると)大他者〈父の名〉(世界規範に関する絶対的規範:神の法)が現実的にはあり得ず、非一貫的なものでしかないとする立場

 

うつくしきたましい【美しき魂】シラーによる哲学概念。運動的な美の成立のための理性と感性、義務と傾向性との融和の、その融和の最高の境地。「道徳感情が情緒に委ねられ、しかも意志と矛盾することがないレベルにまで、あらゆる感情が占有される場合、美しき魂と名付けられる」(シラー「恵みについて」)

 

 

えいえんかいき【永遠回帰】永劫回帰、ドイツ語: Ewig Wiederkehren、フランス語:éternel retour。後期ニーチェの哲学における中心的な考えで、それによれば、すべての出来事は無限に何度も繰り返される。経験が一回限りで終わるという世界観ではなく、超人的な意思によってある瞬間とまったく同じ瞬間を次々に、永劫的に繰り返すことを確立するという思想である。ニーチェにとって、この回帰の理解は生命に対する最高の肯定になる。(ドイツ語版wikipedia「Ewige Wiederkunft」より抜粋)

 

【エス】イド。フロイトがその後期の心的装置の設において区別した三つの審級〔心的力域〕の一つ。エスは人格の動的な極である その内容,すなわち、欲動の心的表現は無意識的であり、その一部は遺伝的・生来性であり、他は抑圧された後天的なものである。経済論的観点からは、エスは心的エネルギーの一次的貯蔵所であり、力動的観点からは、それは自身および超自我とをおこす自我と超自我とは,発生論的には、エスから分化したものである(精神分析用語辞典)

 

【エディプス・コンプレックス】「子供にたいして抱く愛および憎悪の欲望の組織的総体をいう。その陽性の形ではコンプレックスは「エディプス王」の物語と同じであらわれる。すなわち同性の親である競争者を殺そうとする欲望と異性の親への性的欲望とである。その陰性の形では逆になり、同性の親への愛と異性の親への嫉妬と憎しみとなる。実際のは、エディプスコンプレックスの「完成した 」形では、この二つの形態はさまざまな程度で並存するものである。フロイトによれば、エディプス・コンプレックスは人格の構成と人間の欲望の方向づけに基本的な役割を演じる(精神分析用語辞典)

 

 

おうもの【追うもの】「ツラトゥストラ」の〈影〉の節で、ツラトゥストラの影が逃げるツラトゥストラを追う。影は肯定としてのツラトゥストラを否定するものであるが、その否定は肯定に先立つものではあり得ず、つねに肯定が否定に先んずる。「永遠回帰が差異を『つくる』と言われるのは、それが高次の形式を創造するからである。永遠回帰は〈追うもの〉としての否定を利用し『否定され得るものはすべて否定され、否定されなければならない』という否定の否定についての新しい定式を考案する。永遠回帰の霊妙なところは記憶にあるのではなく、かえって浪費に能動的になった忘却にある。」(差異と反復p159)永遠回帰においての世界解釈は「沼における否定」の「誠実」でもってつねに自らを否定することによって担保される。その、「誠実としての否定」は「否定から生まれる出来損ないの肯定(驢馬の「然り」)」を否定する。

 

おぶじぇあー【対象a】→たいしょうあー

 

おるがにっく【オルガニック】organique(形)①有機の②器官の③組織上の(プチロワイヤル仏和辞典より)

 

おるがにっくなひょうしょう【オルガニックな表象】représentation organique、「有機的で組織的な表象」、「絶対的な同一性にもとづいて正規的で確定的な世界像が成型され表象となること」

 

おるじっく【オルジック】orgique。ドゥルーズの造語。「オルジック(有機的組織的)な状態がorgiaque(オルジャック・乱痴気騒ぎ・乱交)の状態へ向かって逸脱すること」(「差異と反復」財津による訳注より)

 


おるじっくなひょうしょう【オルジックな表象】représentation orgiqueとは、「同一性にもとづかないで、一義的な現前の中から逆にさまざまな形式を出現させる。その形式を無限に展開することで表象を定義づけるもの」である。それは有機化され絶対化された存在ではなく、その有機化されたものの限界の下に潜む喧噪や不安や情念を再発見し、怪物を再発見するような表象である。同一性ではなく、差異を基盤にするなら、この怪物を含み持つオルジックな表象の中でしか、世界は発見されないことになる。

 

 

かいかんげんそく【快感原則】快楽原則。フロイトによれば、心的機能を支配する二つの原則の一つ。心的活動は全体として、不快を避け、快を得ることを目的とする。不快が興奮量の増大にかかわり、快は興奮量の減少にかかわるから、快感原則は経済原則である。(精神分析用語辞典)↔現実原則

 

かこはじ【過去把持 rétentionレテンシオン】フッサール哲学の用語。「〈ただ見やる、ひっつかんで把捉する〉のを、我々は直接に把持に基づく仕方で見いだす。把持の統一性の内部にあるメロディが過ぎ去って、その一部に──それを産出しないままに──遡って留意するという場合」(フッサール「内的時間意識の現象学」)聞き終わったメロディが、脳内で再度鳴るというのでもなく、それでもそのままのイメージが残ってる、という感じかと思われる

 

かときてきたいしょう【過渡期的対象】移行対象。ウィニコットが提唱した概念、乳幼児が特別の愛着を寄せるようになる、毛布、タオルなどおもに無生物の対象をいう。

 

かのうたい【可能態・デュナミス】現実態を生む潜在的可能性。今ある現実態は未来の現実態を生む可能態でもあると言える。

 

かばんご【カバン語】混成語。「粘滑ねばらか (slithy) とは、滑らかで粘っこい (lithe and slimy) 様子じゃ。この言葉は旅行カバン (portmanteau) のようじゃろう — 2つの意味が、1つの言葉に詰め込まれておる」(鏡の国のアリス)

 

かんしょう【観照・テオリア】「上位の優れたものを「観る」こと。プロティノスにおいて、すべては一者より生まれたものであるゆえ、全ては己の産みの親である一者を慕い求め、「観る」という働きとして表れる。下位は上位を観ることによって生命を得る」(プロティノス「エネアデス抄2」p91訳注より)
「理性的な生物ばかりでなく、植物の生命もそれらを育む大地も、全てが〈観照〉を求め目指す。全ては本性の許す範囲で観照を行い、成果を収める。ただしそれぞれの観照は仕方や成果に違いがあり。あるものは真実を得、あるものは真実の模造や影を得るに過ぎない」(プロティノス「自然、観照、一者」)

 

きたい【基体】質料としての存在。それ自身が在るとは何が在ることなのかを自ら指し示すことのできていないような実体。形相によって本質が定められることによって、何者かが言えるものになる。

 

きてい【基底】「本質と見なされる有限で個別的な《自我》の中に普遍的なもの自体が包み込まれている場合、その普遍なものがもつ諸固有性の無限な連続性を、基底(フォン)と言う」(「差異と反復」)つまり、個別のなかにある普遍の、そのなかにある複数の固有性の、その連続性が基底。それって矛盾にみえるけど矛盾してようがなんだろうが、それはもう定義的に既に「基底」なんだから、ってことなのかな?

 

きょうかのうせい【共可能性】「世界は、矛盾を含むものの反対であるように、自然学的に必然でありそのように決定されている。可能性が本質の原理であるように、完全性もしくは「本質の度」(それによってなるべく多くの共可能なものが存在するようになること)は実在の原理である」(ライプニッツ「事物の根源的起源」)

 

きょくげん → げんかい=きょくげん【限界=極限】

 

 

きょうど【強度】intensité。度。ドゥルーズ哲学において、形相によって分析認知される以前の個物そのものの質的な度合い。

 

 

【グノーシス】物霊二元論の下で自己の本質と真の神についての認識に到達することを求める秘教的思想。特に、紀元2世紀から3世紀のキリスト教グノーシス体系を「グノーシス主義」とする。

 

けいそう【形相・エイドス】事物の本質を表すロゴス。そのものが何であるかを定める原因。形相因になる。質量と結びついて実在を成す。

 

げんかい=きょくげん【限界=極限】 世界認識に対して微分を施したときに極限的値を指す。

 

げんじつたい【現実態・エネルゲイヤ】形相が質量(素材)と結びついて現実化した個物。

 

げんじつげんそく【現実原則】フロイトによれば,心的機制を支配する二つの原則の内の一つ。現実原則は快感原則と対をなし,快感原則を修正してゆく。すなわち現実原則が規制原則として受け入れられるにつれて、満足の追求は最短距離をとることをせずに迂回路をとり、外界から課せられる諸条件に従って目的達成を先に伸ばす。経済論的見地からすれば、現実原則は自由エネルギーを拘束エネルギーに変えること。局所論的見地からは現実原則は前意識-意識系の基本特徴。さらに力動的見地から精神分析が現実原則の介入を認めようとするのは、ある種の欲動エネルギーがとりわけ自我に奉仕しようとしていることによる(精神分析用語辞典)↔快感原則


げんよくあつ【原抑圧】「衝動の心的な(表象)代表が意識の中に入り込むのを拒否する第一期の抑圧」(フロイト「抑圧」)

 

 

こうじょ【控除prélèvement】天引き。先の取り出し。採取。サンプル。(これは精神分析用語ではないみたい。「最初に取り出しておくもの」のことの意と取ればよいと思われる)

 

こうそく【拘束】リエ・liée。フロイト精神分析用語。差異・強度・リビドーを手に入れること。

ごーごりのはな【ゴーゴリの「鼻」】パンの中に人の鼻を見つけた男はそれを棄てようと画策するがやがて自分の鼻を失っていたことに気づくというゴーゴリの小説 。「差異と反復」においては、実在の非確定な世界に対し存在を問う比喩として扱われたか?

こぶつ【個物】個体。それ自身が在るとは何が在ることなのかを自ら指し示している実体。それはまた、一般化されることがない特異点である。それゆえ、それは「外延」として指示されるものであり主語になる。

 

こぶつかのげんり【個体化の原理】個体を個体として他から区別する形而上学的原理。アリストテレスにおいては、存在の一義性否定の下で個体の質料のみがその個別性を持ち、形相は普遍として多くの個体で共通するとした。一方、スコトゥスは「ヘクセイタス・これ性」が形相的に個体化に関係できるとした。

 

 

さい【差異】古典的な実在論においてAであるような存在とnotAであるような存在が第一次的に存在しそれによってその差を分ける判断が二次的に可能になると考えるのに対して、ドゥルーズの世界モデルでは差異こそが一次的に存在するものとされ、「差異」こそが「存在」であるとされる。そのような世界記述においては、同一性ではなく反復によって世界を分析するべきとされ、それによって量的内容と質的内容の両者を掴み得るとする。その世界の内容それ自体のことを差す。多くの場合、「存在論的差異」の意味で語られ、(「どのようにあるかについての差異」ではなく、)「何であるか・何があるかについての差異」を意味する。あるいは、「存在と存在者との差異」とも表現される。

さいせい【再生reproductionレプロドゥクシオン】過去の記憶を再び思い起こして感じられること。

さいてき=びぶんてきなかんけい=ひ【差異的=微分的な関係=比】rapport différentiel。「dx/dy」のこと。当ブログ[「差異的=微分的な関係=比」と「副次的矛盾」〈僕にも分かる「差異と反復」1-8〉]のページ参照。

さいのぬきとり【差異の抜き取り】自我の観照としての差異の自己展開のなかで、自分自身を巻き込む他の諸差異を問い返し、自らを繰り広げる差異の作動

 

じが【自我】「(精神分析において)フロイトが、心的装置に関する後期の理論のなかで、エスと自我から区別した 審級。局所的観点に立てば、自我はエスの復権要求にたいして依存関係にあると同時に、超自我の命令や現実の要請にたいしても依存関係にある。自我が仲介者であり、その人間の全体の利害を担っているものだとしても、自我の自律性はまったく相対的なものでしかない。力動的観点からすれば、自我は神経症的葛藤においてはっきりと人格の防衛的側面をあらわす。自我は不快な情動(不安信号)をうけとると一連の防衛機制を働かせる。経済的観点からすれば、自我はさまざまな心的過程を結びつける役割を果す。しかし防衛活動にさいして、欲動エネルギーを拘束しようとする試みは、一次過程に固有な諸特徴の影響を受ける。その試みは、強迫的反復的 脱現実的な性質を呈する。自我の生成について、精神分析学理論は互に異質な二つの領域で考察しようとする。一つは、自我に、外的現実と接してゆくなかでエスから分化していった適応装置を見ようとするものであり、いま一つは、エスによって備給される受の対象が、人格の内部で形成されていった同一化の産物として、自我を定義しようとするものである」(精神分析用語辞典)→エス・超自我


じかんのだいさんのそうごう【時間の第三の総合】「エロスが自我に逆流し・対象の偽装と置換えを自我が引受けて己の死に関わる変状とし・時間が循環形態を失い直線となり・直線形式と同一なタナトス(エロスの脱性化されたエネルギー)が現れる・ということが同時に生起する」ようなナルシシズム的リピドーと死の本能の相補性

 

しじさよう【指示作用désignantsデジニャン】(財津訳では「指示するもの」):「表現するものexprimants」。「指示作用désignation」と「意義sens」を備えたエレメント。命題や名が指示対象を指示する作用の全体。「明けの明星だ」という命題において、その命題が金星を指すはたらき。なので、「明けの明星だ」と「宵の明星だ」では命題が異なる分だけ異なる。(本ブログでは、「指示作用(デジニャン)」と表記する。)

 

しじたいしょう【指示対象désigneデジニェ】(財津訳では「指示されるもの」):「己を表現するものce qui s’exprime」。英語の「reference」。フレーゲがドイツ語で言うところの「Bedeutungベドイトゥング・意味、指示対象」にあたると思われる。言葉によって指示されている対象。外延的なものを指す意味での意味。(「désigneデジニェ」は「指示されるもの」と訳されるべき語だけど、ややこしいので本ブログでは「指示対象(デジニェ)」と表記する。《存在》を問うのに「《存在》の指示対象」なんて言うのは本当はダメかもしれないけど、僕自身にとっての分かりやすさを優先することにする。)「明けの明星」と「宵の明星」では「意義(サンス)」は異なっても「指示対象(デジニェ)」は同じ。指示が個体に達するのでドゥルーズは「個体化の様態」とも言う。

 

じつざい【実在】認識から独立に客観的に存在するもの。プラトンにおいてはイデアとしての観念論的存在が実在であったが、アリストテレスにおいては、質料の中に何ものでもないものとしての実在が含まれてあり、それが形相と結びつくものとして、はじめて実在するものとしての実在となる。それゆえ、実在は質料の中にあるとも、実在は形相的だとも言い得る面がある。キリスト教的な視点においては、無限の創造者神による存在が真の実在であり、被創造物である有限な我々は神の実在に到達せず、有限な存在者しか知り得ない。ニーチェにおいては、神の視点による実在を否定し、永遠回帰によって反復されること自体を実在だとした。

 

じったい【実体】アリストテレスの十のカテゴリーの第1。偶有に対立する固有性を示す。第1実体である個物は主語になり、第2実体である普遍(種と類)は「何である」を語る本体述語になる。(実体以外の残りの九のカテゴリーはどれも偶有的で「どんなであるか」を語る形容述語になる。スコトゥスにおいては、形相と様態とが統合することによって実体が成立する。また、デカルトにおいて、無限実体=神で、有限実体=精神と身体(物体)。スピノザにおいて、無限実体=神で、有限実体は存在しない。

 

しつりょう【質料・ヒュレー】事物を生成する原因。基体。銅像における青銅。銀杯における銀。材料。内容。質料因となる。

 

しのよくどう【死の欲動】死の本能。フロイト後期の欲動理論。生の欲動に対立し、緊張力の完全な除去に向うような、生体を無機的状態に導くような欲動の基本的範疇。死の欲動は最初は内部に向い、自己破壊に傾くが、二次的には外部に向い、攻撃欲動または破壊欲動の形で顕現する」(精神分析用語辞典)→タナトス

 

しみゅらくる【シミュラクルsimulacre・見せかけ】「現実との対応関係から解放され、もはや現実を反映する必要のない純粋な記号としての「もの」やイメージまたはそれらのシステムを意味する(原語はフランス語だが、特定の訳語はない)。」(日本大百科辞典)
「(現実との対立において)虚しい似姿であり、何ものかの表現=代理(そのものがそれのうちに代理派遣され、顕現し、しかも退いて、或る意味では身を隠すもの)であり、一つの表象をもう一つと取違えさせる虚偽であり、一個の神体の現存の表徴(そして今度はこの表徴をその反対のものと取違える可能性)であり、〈同一者〉と〈他者〉の同時的到来である(シミュレ〔偽装〕するとは元来、共に来ること)。かくしてクロソフスキーに固有のそして素晴らしく豊かなあの星座が形成される—シミュラクル、シミリチャード〔相似〕、シミュルタネイテ〔同時性〕、シミュラシオン〔偽装〕、そしてディシミュラシオン〔隠蔽〕。」(フーコー「アクタイオーンの散文」)
「我々はシミュラクルと言う言葉によって、単なるイミテーションではなく、むしろ範型つまり特権的地位という考えそのものが或るアクト〔行為〕によって異議を唱えられ、転倒させられるようなそのアクト〔現実態〕を理解せねばならないからである。シミュラクルとは、即自的な差異を含む審廷である。それは例えば二つの発散するセリーであり、そこでは当のシミュラクルが遊び戯れ、あらゆる類似は廃止され、したがってオリジナルとコピーの存在を、それをそれとして示すことができなくなるのである。」(「差異と反復」)
同一性を拒否したところで冒険的でっち上げ的に現実を指示しようとするような、虚偽としての世界記述のこと、虚偽といってもそれはオリジナルとコピーと言う関係を拒否したところでの虚偽であるので、決して偽ではなくコピーでもない。

 

しゅうせい【習性】→ハビトゥス

 

じゅうそくりゆうりつ【充足理由律】「充足理由律 le principe de raison suffisante とは、原因、或いは少なくとも決定的な理由、つまり、これは何ゆえに存在しないのではなく、存在するのか、また、全く別の仕方ではなくこのような風に存在するのかをアプリオリに説明するのに役立つような理由がなければ何ものも存在しないということ(ライプニッツ『弁神論』)」(ドゥルーズ「差異について」訳注より)

「32.十分な理由のふ原理。これによると、AがなぜA以外ではないかを十分にみたすにたる(究極的な)理由がなければどんな事実も真ではない、存在もできない。またどんな命題も正しくないということだ。もっともこのような理由は十中八九知ぬぬゆ」(「モナドロジー」)

 

じゅうぶんなきてい【十分な規定】カント「純粋理性批判」より。世界の中の存在者同士の相互の関係性によって規定する「相互の規定」に対して、そのような相互関係によるのみの規定だは、十分に存在者の存在を規定できないとしたときに、必要とされる規定。「差異と反復」のライプニッツ解釈においては、連続律によって十分な規定が確保される。

 

しゅくやく【縮約 contraction】ベルクソンの哲学において、時間の本質が、瞬間に留まらない「持続」であるとしたうえで、その持続の中にある豊潤な質はそのままでは分析不可能なので、それを身体の運動と照らし合わせることで、固定化し統語論的に分析可能なものとしなければならない。それによって我々は世界を語ることができるようになり、自らの生を生きることができるようになる。この分析化言語化の作用を「縮約」という。

 

じゅどうてきそうごう【受動的総合】自我の関与なしにおのずから生じる無意識的総合。ベルクソン「想像的進化」において「植物的で自動的無意識的な生の継続性」と「動物的で意図的意識的な生の非継続性」という生物がもつ二つの界の内の前者。 意識を持たない生物として自動的機械的反射的に習慣的な行動がとられることに基づいて世界が総合化されること。

 

しゅ・るい【種・類】アリストテレスのカテゴリー分類において、実体のうち、述語になり得るもの。種類とは、それ自身が在るとは何が在ることなのかを自ら指し示すことのできない概念であるが、しかしそれだからこそ、普遍的な概念であり得て、それが「何者であるか」を語るような「内包」として指示されるようなものであり述語となり得るもの。偶然的な事実としての「それがどんなか」は示さないが、必然的な事実としての「それが何か」を示し得るもの。

 

しゅんかんてきせいしん【瞬間的精神】「物質とは瞬間的精神、すなわち記憶を欠いた精神である。なぜなら物質は自分の傾向力と他の傾向力とを一瞬以上保持し得ないからである」(ライプニッツ「抽象的運動論」)「自分自身をたえず忘れる意識は瞬間ごとになくなってまた生じる意識である。これこそが無意識ではないか。ライプニッツが物質とは瞬間的精神であると言った時、物質とは感覚をもたないものと宣言したのではないか」(ベルクソン「意識と生命」)

 

じゅんすいかこ【純粋過去】かつて現在になったことのない過去。第3の時間の総合を構成する。

 

【しるし】signeシーニュ。信号発信での自然的因果性における信号発信のシステムのなかで生起し、複数のレベルの間隙になかで閃き、齟齬するものたちの間に打ち立てられる或る連絡。生産的な比対称性を表現しているとするアスペクトと、その非対称性を取り消す傾向を持つとするアスペクトの2つを合わせ持つ

 

しんきゅう【審級】精神分析において、心的力域。心的な力の働く場。

 

しんごう【信号】signalシニヤル。信号発信での自然的因果性において、非対称的な複数のエレメントをそなえた(複数の齟齬する量的レベルをそなえた)システム。反復の非対称性をそのまま非対称なものとして取り上げたときの発信内容。

ずしき【図式】Schema。「概念にその形象をあてがう構想力の一般的な手続きの表象」「三角形の図式は、…空間における純粋な形に関する構想力の総合の一つの規則」(カント「純理」)「量的規定を外された三角形のパターンをカントは『図式』と名付ける」(薮木栄夫)

 

せいのよくどう【生の欲動】フロイトが後期の理論で、死の欲動と対立させた欲動の大きな範疇。たえずより大きな統一をつくり、かつそれを維持しようとする。生の欲動はエロスとも呼ばれるが、本位の性的欲動だけでなく自己保存欲動をも含む(精神分析用語辞典)↔死の欲動

 

せりー【セリー】séries。級数、系列、シリーズ。世界認識に対して微分を施すための連続的対象としての一つながりの系列。

 

 

そうき【想起】→アムネーシス

そうごう【総合】多様な知覚的現れが統一され対象が認識されえること、またその認識。(「差異と反復」では多くの場合フッサールにおいての「総合」が意味される)


そうごしゅたいせい【相互主体性】フッサール現象学用語。間主観性のこと。相互主観性。自我ととも他我をも前提にして成り立つ共同化された主観性。

 

そうごのきてい【相互規定】存在者の存在を、もろもろの存在者同士の相互関係でもって規定すること。ライプニッツ哲学において、それだけでは不十分だとされる。無限小にまで規定するには、連続性によって保証された「十分な規定」を必要とする。


そがい【疎外】ラカン精神分析において、象徴界(シニフィアンの世界)への参入によって享楽の喪失と引換えに主体を現れさせる操作。また、シニフィアンの構造(=大他者)の導入によって人間が原初的な享楽を失いこの消失の中で主体が姿を現すこと。この時、もともとあった原初的な享楽は快原理に受入れ得ないほど過剰で致死的な快となってしまう。但し、疎外において導入された大他者は一貫した大他者(A)でなく、自身のうちに欠如を抱えた非一貫的な(矛盾した)大他者である (「人はみな妄想する」より)

 

ぞくせい【属性】実体の本質を構成するもの。なので、本質のない偶有的な性質は属性とは言わない。デカルトにおいての属性は、思惟と延長。スピノザにおいての神の属性は無限にあるが、人間に認識できるのは思惟と延長だけ。

 

そんざいろんてきさい【存在論的差異】ハイデガー哲学において、存在と存在者との差異。それは、世界を同一性ではなく、差異そのものとして捉えるので、単なる固定的な形式による表象としての世界を構成するものでなく、存在を問う問い方自体を問い返しながら、とりあえず冒険的に世界を構成することになる。それによって、世界が個物から離れることなく存在し得るようになる。

 

 

たいしょうあー【対象a】objet a オブジェアー。小文字の他者(フランス語: petit autre)とも言われる。(これが別のものだとする人もいるので要注意)ラカン派精神分析概念。享楽が、シニフィアンと体系としての大他者における欠如を補填するために主体によってあてがわれる対象である。大他者における欠如を埋め合わせてくれる対象であるとともに、主体が原初的に喪失した「存在の生き生きした部分」を部分的に代理し、主体に別種の満足を獲得させてくれる対象でもある。想像界や象徴界や現実界の中間にあり、欲動が求める穴を埋めるための対象。部分対象や移行対象、自己対象との関連性が指摘されている。

 

たいしょういくす【対象=x】潜在対象。虚焦点に支えられ、純粋過去によって無意識に形成される時間の潜在的イマージュ。部分対象的に断片的ではあるが、時間の流動性において虚焦点を伴うことによって全体的対象を虚的にイマージュする

 

 

たいしょうてきなじぶつのぱらどくす【対称的な事物のパラドクス】不一致対称物問題。カントによる、二つの鏡像が概念的に同一なのに不一致であることについての問い。カントに先立って、ライプニッツは空間把握において間隔的な諸秩序が等しいものは互いに等しいと考えた。これに従うなら、手の諸部分の間隔的関係性秩序は等しいのに左手に右手袋がはめられないことは、左右の手袋は概念的に等しいのに空間的に異なることになりパラドクスになる。
「カントにおいて概念の無限な種別化は存在するが、その無限はバーチャル(可能無限)でしかないから不可識別同一律に有利な論拠を引き出すことはできない。しかしライプニッツによれば一個のポシブルまたはレエルな存在者の概念内包はアクチュアルに無限である。ライプニッツが『バーチャル』という語を用いるとき、『巻き込まれている』『埋め込まれている』を意味する語として、アクチュアル性をいささかも排除することのない語として理解せねばならない」(「差異と反復」上・序論原注7)

 

たいないか【体内化incorporation】フロイト精神分析用語。のみこみ。主体が対象を空想的に体内に取り入れること。乳児が満腹時でも吸引活動を示しやがて指しゃぶりに没頭したり、成人の性生活においても口唇と口腔が大きな役割を演じたりすることなど。幼児期は対象を体の中にとり入れてゆく時期であり、体内化が人間の心的機制としての同一化の原形をなす。



たいりつ【対立】伝統的形式論理学で、同じ主語と述語をもつが、質と量において異なる四種の定言命題の間に成立する関係。全称肯定、全称否定、特称肯定、特称否定の諸命題間に成立する大小対当、矛盾対当、反対対当、小反対対当の関係。対当。対当関係。(日本国語大辞典)考察可能になった論理的な概念の内部で、「有るか無いか」「黒か黒ではないか」「大なるか否か」「熱いか否か」「肯定か否定か」という「対立」が可能になる。

 

だつせいか【脱性化】désexualisation。フロイト精神分析においては「昇華」に同じ。性的な衝動を性的でなくする働き。(糞便を弄ぶ衝動が昇華されると芸術活動となり母親の性器を見たい衝動が昇華されると知的好奇心学問研究となるなど)ただし、「差異と反復」においては、「エロス」が性だけでなく生や概念形成までを請け負っているように「脱性化」は性の失効だけでなく生や概念形成の失効という意味も含んでいると思われる

 

【タナトス】死という意味のギリシア語。エロスの対極として、死の欲動を示すために時々つかわれる。この語を使用することによって、欲動の二元性に神話的な意味を与え、二元性が徹底したものであることを強調している」(精神分析用語辞典)

 

たようたい【多様体】「『多様体』は与えられ方の全体でもないしその中の一つでもない。それらすべてと区別され、それらの担い手としてそれらを統一している認識の『遠位項』である。例えば我々は、三次元ユークリッド『多様体』について考える際に、言語によって表現されるものユークリッド公理系を介して考えたり、実際にイメージされる三次元空間を介して考えたり、実際に表象されている空間の中での点や線の操作を介して考えたりする。『多様体』を対象として把握するとは、それらの様々な与えられ方を何かの与えられ方として把握することに外ならず、その何かにつけられる名前が『多様体』である」(鈴木俊洋「数学の現象学」による「フッサールの多様体」解説)フッサールの「多様体」というのは、ずいぶんと「イデア」っぽいものなんだね。でも、「幾何学対象の発生源を測地術という技術の中にある」「フッサールにおいて幾何学概念の発生源は自然の中にあるのではなく、技術という行為の中にある」と言ってるから、その「多様体」ってのは古典的実在としてのイデアじゃなくて、生と身体による「創造的」な実在なんだと捉えたら良いかな。

 

たんどくしゃ【単独者】キルケゴール哲学の用語。真理は「単独者」としての存在の在り方にある。人間とは「『単独者』としてただ一人、すなわち世界においてただ一人であり、神と真っ直ぐに向かい合ってただ一人なのである」「『単独者』は全ての者の中で唯一の者を意味することができ、あらゆる者を意味することができる」

 

 

ちから【力=累乗 】puissanceドゥルーズの哲学において、形相によって実体化する以前の様態がもつ潜在的な実体化の力能。ドゥルーズの「力=累乗」というダシャレの意味

 

ちゃくいのはんぷく【着衣の反復】《イデア》の内部に存在するような差異を含む反復。《イデア》に対応する動的な時空間を創造する運動として自我を展開する。差異と己自身を含む。《イデア》の過剰による肯定的。定言的。動的。内包的強度的。特異なものの反復。垂直的。包み込まれる。進化的。不等なもの・通訳不可能なもの・非対称性なものに基づく。精神的。我々の死と生、束縛と解放、悪魔的と神的なものの真理。仮面をつけ己を偽装する。

 

ちゅうかんきゅうし【中間休止】とは、激流のような表象の変化交替の頂点であり、そこでその激流に立ちはだかって表象を変化させながら、その表象そのものの出現とするような、物語の連鎖とリズムの分割点。そしてそれほどの分割であるのにそこに平衡をも示してしまうような分割点。ヘルダーリンの詩論「オイディプス注解」「アンティゴネ注解」で劇の流れの区切りを表す。前と後の時間的配分を作って時間論を展開するためのアイテム。ドゥルーズは「第2の時間」が中間休止そのものだともしている。

 

ちゅうたい【紐帯】lien・リアン。快感原則と現実原則を(あるいは、受動的総合と能動的総合)を繋ぐの意か?財津は訳注で「鎖」と訳すべきか、ともしている。

 

ちょうじが【超自我】人格の審級のうちの一つ。フロイトは心的装置に関する第二理論のなかで、これについて記述した。超自我の役割とは、自我にたいする裁判官ないしは検閲者のようなものてある。一般的には、超自我はエディプス・コンプレックスを引き継ぐものと定義されている。すなわち、超自我は両親の要求と禁止が内在化されることによって構成されるとする」(精神分析用語辞典)→エス・自我


 

 

 

でぃーえっくす/でぃーわい【dx/dy】「差異的=微分的な関係=比」のこと。[モナドと微分と連続律・不可識別者同一の原理・充足理由律〈僕にも分かる「差異と反復」1-9〉]のページ参照。

 

 

ていじゅうてき-のもす【定住的ノモス】表象に対して世界を判断するのに、常識や良識でもって判断するのが最も良い「割りふり方」だと宣言してしまい、その割りふりが原理として表象されるような、固有的規則の視点で為される世界構成。その割りふりが表象に限界づけられる「属領」「所有地」として捉えられるので「定住的」とされる。世界を構成するための言語が固定的な規則を持つことができるとする捉え方。言語は全ての個体に達することができ、それによってすべての対象の個体は、くっきりと固定されたものとして捉えられる。そして同時に、多くのそれぞれの個体が互いに結びつきあって出来るヒエラルキー(階層組織)も、くっきりと固定されたものとして築かれる。

 

でうかりおんのいし【デウカリオンの石】神の怒りの大洪水から箱舟で救われたデウカリオンが、人類をよみがえらせようと石を拾って投げると人間になったというギリシア神話

 

テオリア → かんしょう・観照

 

てんい【転移】精神分析において、無意識の欲望が一定の型の対象関係のうちで、とくに分析的関係の枠内で、ある種の対象に関して現実化される過程をさす。その際には、幼児期原型が著しい現実感とともに反復体験される。分析家が転移と呼ぶのは治療過程における転移。転移は一般に精神分析治療の諸問題が現れてくる素地と考えられている。その定着、その様態、その解釈、その解決などが精神分析治療の特徴を形づくる(精神分析用語辞典)


 

 

とい【問い】「問題が実現される審廷。認識の側に属し、その審廷のお陰で認識の定立性、特殊性を学ぶというこういのなかでとらえることが出来る」(差異と反復上p183)
問題と問いの関係において、「問い」はその問題の立て方自体までも一緒に思索の課題とし、その答えが固定できないものとする。一方、「問題」はその答えがすでに固定的に決定しているような課題をして捉えられる点で「問い」と対比される。

 

どういつか【同一化identification】フロイト精神分析用語。防衛機制の一。対象に向かって運動し対象と一体化すること。同化した者は他者のように振舞う。これはいわば模倣であり、自分自身しらないまま他者を受け入れる。対象と同じになることで対象との感情的結合を可能にし、自我に取り入れることで対象との結合の代用物を機能させる

 


どういつせい【同一性】他のものから対立区分されていることで変わらずに等しくある個の性質。(wiki)
あるものがあるものとして存立しあるいは同定identifyされるとき,そのものは同一性をもつという。同一性は,したがって,一面,あるものがあるものと異なったものでないことをいうものとして,差異differenceないし差異性と対立し,他面,あるものがあるものと異なったものになることがないことをいうものとして,変化と対立する。ここで,同一性―差異,同一性(恒常性)―変化という2組の対立概念は,いずれも,一方を欠いては他方の規定が困難になるような種類のものである。 (世界百科事典)
哲学上最も基本的な概念の一つ。差異性の対概念。Aが異なった状況においても常に同じものであり,同じものとして認められるとき,A は自己自身と同一である。このとき A=A において同一性が成立しているという。 A=A で表わされる同一律とは,いかなる概念も一連の思考過程においては厳密に同義であることを要求する論理学的原理であり,換言すればある判断において使用された概念的表象が不変の意義を維持することについての要求といえる。(ブリタニカ)
同一性は、ふつう、すべての存在の原理にされるものだろう。だけど、ドゥルーズは、それはつねに原理的に「未規定な同一性」でしかないと疑う。二つのものが同一であるか否かという弁別は、何かの規則によって行われることはできない。(これは多分、ウィトゲンシュタインの「規則のパラドクス」的な意味で言っているのではなく、同一性は、個体自体と個体自体との関係について語られることがあり得ず、また、某かが同一だってことを存在者のことを語る基盤とするときに、その基盤を支えるものはあり得ないという話、だと思う。)しかし、一般的な世界の理解の仕方をするためには、その「未規定な同一性」を世界構成の基盤とするしかない。だから、一般的な世界の理解の仕方では、無意識的にでっち上げてるのかもしれないが、でっち上げだろうと何だろうと、ともかく同一性を立ち上げることになる。アリストテレスは表象の要素「同一性」「類比」「対立」「類似」の4つのうちの「同一性」を第一の前提としてたが、一義でも非一義でもないような虚無的在り様を世界の前提だとするためには「対立」こそを第一としなくてはいけないという話になる。

 

とくい【特異】特殊。普遍や一般との対立項。すでに現実として存在している内容で一般化されることのない個体としての在り方。ふつう数学などで特異と言うと、連続性に欠けた、規則的でないイレギュラーな部分だけをさすことが多いが、ドゥルーズは、すべての個物が規則に収まらないものだとする観点から、個物全般に特異があるとして捉えている。例えば、クオリアが特異なものの一つに当たるだろう。今の私が赤いものに対して感じるクオリアの特異性と、3分後の私が赤に対して感じるクオリアの特異性と、他者が赤に対して感じるクオリアの特異性は、それぞれ同じ一つの語義のもとには語い得ないとするアリストテレスやトマスアクィナスの非一義性論に対して、ドゥルーズ等はそれらが特異でありながらも一つの語義のもとで語り得るものとして扱わねばならないとして一義性論を説く。

 

とりこみ【取り込みintrojection】フロイト精神分析用語。一般的に、周囲の取り巻く世界の行動、属性、断片などを自身が再現しようとするプロセス。投影の初期段階の防衛機制の一。未熟な防衛。 類似の概念には、識別、組み込み、 内面化がある

 

なるしす【ナルシス Narcisse】ナルキッソス(Narkissos)のフランス語名。ギリシャ神話中の美青年。ニンフのエコーを失恋させたあと、泉の水に映った自分の姿に恋し、満たされぬ思いにやつれ死んで、水仙の花に化したという。(デジタル大辞泉)「差異と反復」では、自分が世界を観照しているという事態を自ら振り返っている「ナルシス」的な面と、その見ている自分のことを忘れて無心に世界を見ているという「アクタイオン」的な面との対比での比喩に使われる。

 

ぬまにおけるひてい【沼における否定】「ツラトゥストラ」の〈蛭〉の節で、蛭の脳一筋の研究者が沼で自身の血を蛭に吸わせながら「私の知的良心は私が一事を知り、他は一切知らないことを要求する。…私の誠実が停止したら私は盲目だ、また盲目であることを選ぶ。しかし私が知ろうとするとき、私はまた誠実を自分に要求する。すなわち苛烈で厳格で精密で残酷で仮借なき者であろうとする」(世界の名著57ニーチェp355)と言う。この沼においてこの研究者による真理の捉え方は、常に苛烈で厳格で精密で残酷で仮借なき姿勢によって自分の研究を疑い続けるというものだ、それこそが誠実さであり、誠実さこそが或る意味で真理なのである、とする。自らを否定することによって自らを信頼できるものとすること、これが沼における否定の意義であろう。そのような否定ならば否定は「異なる肯定の効果」(差異と反復)であることになる。

 

 

のうどうてきそうごう【能動的総合】自我が積極的に関与して生じる総合。ベルクソン「想像的進化」において「植物的で自動的無意識的な生の継続性」と「動物的で意図的意識的な生の非継続性」という生物がもつ二つの界の内の後者。 意識を持つ生物として自動的機械的な制約から解かれた自由意思による行動に基づいて世界が総合化されること。

 

ノマドてき-のもす【遊牧的ノモス】定住的ノモスに対して、所有地もなければ囲いも限度もない遊牧的な規範。ここでは土地が領地として割りふられ配分されることはない。もし配分されるとすれば、それは、限界のない開かれた空間の中で配分する者が己れ自身を割りふるだけなのである。そのノマド的な割りふりは最早、規則を持つことができない割りふりであるので、万能の神的というよりすべてを破壊する悪魔的な「彷徨の配分」「譫妄の配分」と呼ばれるべきものになる。

 

 

はだかのはんぷく【裸の反復】概念に対して外的な反復。それは概念の下で表象され時空間において、諸対象の間の関係としての差異としてのみ定立される。概念における欠如としての否定による。仮言的。静的。外延的。通常のものの。水平的。展開され広げられる。公転的。同一性・通訳可能性・対称性を備える。物質的。非生命的。

 

はびとぅす【ハビトゥスhabitus・習性】「〔習慣・態度の意〕人々の日常経験において蓄積されていくが、個人にそれと自覚されない知覚・思考・行為を生み出す性向。ブルデューによって用いられた。」(大辞林)
アリストテレスの10カテゴリーの一つ「所有ヘクシス」のこと。一定の性質を有する行為の反復を介して成立した魂の持続的状態を差す。また、トマスアクイナスの概念において、人間の行為によって獲得された習慣であり、情念とともに道徳的選択に影響を与える志向の契機。
これは、ベルクソン「物質と記憶」で言われる第1の記憶にあたると思われる。それによると、「習慣」は「第1の記憶」であり、「学科の記憶」であり、算数の九九を記憶するときの記憶だとする。同じ努力を反復することで獲得できる記憶であって、記憶したものをいつでも同じ仕方で使えるようにするための記憶である。そして、それは表象ではなく反復する行動である。能動的記憶だとも言える。それゆえ、その内容は類型化され得る。

 

はんぷく【反復】同一性に頼らずに世界記述を作ろうとする哲学において、ある事象や対象が時間の中で繰り返されていると捉えて、それを世界記述の基盤とするときの、その繰り返し。また、精神分析において「反復強迫」の意。

 

はんぷくきょうはく【反復強迫】「A)具体的な精神病理学の領域では、非合理的で、無意識に起因する過程を言う。主体はその原型を想起することなく、昔の経験を反復することによって、進んで能動的に苦しい状態に身を置く。その際、主体は逆にそれが現実的なものに動機づけられているという強い関じをもつ。
B)フロイトがこの現象に与えた理論では、反復強迫は、快感原則と現実原則との対抗としてのみ理解できる葛藤的力動には帰着され得ない、自律的な要素として考えられる。それは基本的には欲望のもっとも一般的な特徴、すなわちその保守的な特質と関係している」(精神分析用語辞典


 

はんぷくのぱらどくす【反復のパラドクス】「反復を語るためには、反復を観照する精神の中にその反復が導き入れる差異つまり変化による他ない、すなわち、精神が反復から抜き取る差異に他ならない、ということ」(「差異と反復」上p198)

 

 

びきゅう【備給】investieアンヴェスティ。フロイト精神分析用語。差異・強度・リビドーが対象に向かうこと。「経済論的概念。ある量の心的エネルギーが、ある表象、表象群、あるいは身体の一部、ある対象などに結びづけられること」(精神分析用語辞典)



ひだ【襞】ライプニッツやメルロポンティの哲学において、複数の現勢的・即自的・投影的な見える現象の間に隠れて見えない世界があることを差している。「因果的思考と敵対的にして連帯的な反省的運動(観念論者の内在)にとってかわるには、原理的に外部を持つ諸々の配置の構築法をもつ〈存在〉の襞ないしくぼみである」(メルロポンティ「見えるものと見えないもの」p330)この「襞」によって問われる差異は、アクチュアルではないところで、見えないもの隠れているものとして世界を構築すること、ということになる。

 

ひびわれたわたし【ひび割れた《私》】受動的自我が能動的自我と統合されるときに私を《他》なるものとして捉えながら世界を捉えなければならないこと。或いは、閉じたシステムから溢れ出てしまう開いたシステムとしての自我。「引き裂かれた〈私〉とはまさに生成を引き受ける個体そのもの。だから情動とはむしろ個体であることの内容を積極的に表現する」(檜垣立哉「ドゥルーズ解けない問いを生きる」

 

ひゅぶりす【ヒュブリスHybris】自然を人間の思い通りにできると自惚れる傲慢を戒めるための古代ギリシア思想における、その「人間の傲慢」。ギリシア神話で、アウロスという木管楽器の名手マルシュアースが、アポロン神の竪琴にも勝ると言ってしまい音楽合戦で負け、罰として生きたまま皮剥ぎにされるという逸話があるが、この傲慢の罪のこと。

 

ひょうしょう=さいげんぜんか【表象=再現前化】カントにおいての「表象représentation」は、直観としての「個別的表象」と概念としての「普遍的表象すなわち反省的表象」の両義があるが、ドゥルーズにおいての「表象représentation」は多くで「無意味で虚無的な現前」ではなく「概念化され有意味になった世界としての現前」としての「表象」(普遍的表象すなわち反省的表象)である。そのためつねに「再現前化」としての意味合いを絡ませるものとして語られるので、財津訳では「表象=再現前化」とされている。
【表象=再現前化と概念の関係】「権利上、概念は存在する個別的な事物の概念であることが可能で、その際、無限な内包をもつのか。その無限な内包は外延=1と相関する。その概念の無限性は実無限として定立されるのであって、可能無限としては定立されない。という条件においてはじめて、概念の諸契機としての諸述語は主語のなかで保存され有効になる。こうして無限な内包は想起と再認つまり記憶と自己意識を可能にする。概念とその対象との関係は記憶と自己意識のなかで実現されるものとして表象と呼ばれる」(「差異と反復」上p47)
つまり、無限の内包でもって概念は個物のしての外延に到達できるとする世界把握が「表象=再現前化」なのだけど、そんなの無理だよね、って話か

 

ひろう【疲労 fatigue】「疲労は、心がみずから観照するものをもはや縮約できないという契機を、つまり、観照と縮約が壊れるという契機を示す」(「差異と反復」p215)疲労と言っても別に「しんどい疲れた」ってことではない。観照が世界を明晰判明にはっきりさせる働きだとすれば、「疲労」は逆にぼんやりさせる働き。それは、ぼんやりしているがゆえに「尽き果て流れ去る現在」を掴まえ得る。

 

 

ふぇてぃっしゅ【ティッシュ】→物神対象

 

ふぉん【基底】→「きてい」

 

ふかしきべつしゃどういつのげんり【不可識別者同一の原理】「9.じっさいどのモナドも、他のすべてのモナドと互いに必ず異なっている。自然の中には2つの存在が互いに全く同一でそこに内的な違い、つまり内的規定に基づいた違いが発見できないなどということは、決してないからである」(ライプニッツ「モナドロジー」)或る2つのものについて、それが区別して弁別される可能性をまったくもたないのなら、その2つのものは原理として同一だ、とするものである。(この原理は、。「同一性原理」や「不可弁別者同一律」とも呼ばれる。

 

ふくじてきむじゅん【副次的矛盾vice-diction】ヘーゲルの「矛盾contradiction」に対して、ドゥルーズが「副-vice-」をつけてもじった造語。無限小から世界を構築する時に「世界には本質がないということが本質になる」という設定が必要になる。また、主体が某かの表象から適切な無限小を求めようとしても、それが無限である以上、その無限小には不可能性を含み持つことになる。これは厳密な矛盾ではないが、矛盾に似た不安定さをもつ。その矛盾的な不安定を示す。

 

ぶっしんたいしょう【物神対象】いわゆるフェチの対象。去勢によって欲望の対象が虚構的に再構成されたもの。しかし構成されてしまうと虚構ではなく本質的な欲望の対象となる。フェティシュ。

 

ふもーる【フモール】ユーモラスに、法則に服従しつつ特異性を再び見いだす。「イロニー」(皮肉なやり方で、法則を疑い、一般的なものを罷免する)とセットで、法則と一般性に対立する。

 

ふるいげんざい【古い現在】かつて現在であった時刻においての「端的な現在」としての現在。

 

 

【プレディカビリア】4つのプレディカビリア
○『定義規準』本質を意味表示する説明言表
○『固有性』本質を明らかにしないが、本質のみに属し、事実について主述互換される
○『類』種において異なる複数のものに即して「何であるか」において述語となる
○『付帯性』事物に属しつつ同じ事物に属さないことも可能なもの

 

 

ぶんゆう【分有】メテクシスmethexis。「関与」の意。特にプラトン哲学でもろもろのイデアと感覚的個物との関係を説明する概念 (『パイドン』『パルメニデス』) でミメーシスと同様に用いられている。たとえば美のイデアは個々の美しきものの根拠であり,個々のものは美のイデアに関与し,このイデアを分有することによって美しきものとなる。( ブリタニカ国際大百科事典より) プラトン哲学において、存在者がイデア自体を持つことはできないけれど、互いにイデアの質をシェアすることはできるということ。対立する2つの形相ABにおいて、何かの対象が或る意味ではAであるが、また別の意味ではBであると言うことができる。それゆえ、分有によって、対立する対象が或る根拠を同時に持ち得る。ABの2概念が互いに反対でなく単に異なっているときには、BもnotBもAと矛盾しないであり得る。そのような対立する存在者がともに一つの概念を共有するときの様子。
例えば、「非有」は「有」を分有するとされるが、「あらぬ」が「あらぬものである」を意味するのであれば、その「あらぬ」は「有」の反対ではなく異なるもの(つまり「否有」でなく「非有」)とせねばならない。それで、「非有」は「有」と矛盾しないので、「非有」は「有」であり得ることになる。
ドゥルーズは、新プラトン主義者たちが、《分有されないもの・善のイデア》《分有されるもの・善の質》《要求者たち》という聖なる三幅対を繰り広げて、根拠としてのイデアが分有するものに分有の可能性を与えたとする。

 

ぶんり【分離isolation】
①フロイト精神分析用語。防衛機制の一。思考と感情を切り離し、行為や観念の間に存在する関係を断つようなはたらき。本能衝動とその他の欲求は通常表象と情動を伴うがこの2つが分離されて両者の関係が断たれる状態。例えば愛情とか憎しみとかの観念は分かるが、感情は伴わないという状態など
②ラカン精神分析用語。子供は大他者における欠如に対して自分が先に失った欠如である「存在の生き生きした部分」(-φ)を以て答える、この二つの欠如を重ね合わせる操作が、分離と呼ばれる。 疎外において導入された大他者Ⱥの欠如を埋め、享楽を部分的に代理する対象aを抽出するときの過程のこと。この分離によって、ひとは大他者に内在する欠陥(Ⱥ)を認めながら、その欠陥を、対象aで隠す(Ⱥ+a=A)自我分裂に達する (「人はみな妄想する」より)

 

 

へんかのど【変化の度】認識すべき複数の対象の間の差の値

 

 

ほんしつ【本質】それがそのものとしてあるために最低必要な性質をもつもの。不変の性質。そのものが何であるかを規定しその本性を構成するもの。偶有性の対立項、或いは、実存の対立項。

 

ほんせい【本性】nature それがそのものとしてあるために最低限必要な性質。本質は本性をもつものとしての意味合いがあり、本性は本質の性質という意味合いがある。

 

 

 

めいせきはんめい【明晰判明】clare et distincte.「明晰」は細かなところまではっきりも見えていること、「判明」は区分が明確確実にできること。デカルトの用語

 

 

もなど【モナド】ライプニッツの実体概念。ギリシア語で1を意味する語 monosに由来し,単子と訳される。 世界に関する完璧な基礎のプログラムである。それは、表象によって世界を表現する。部分を持たず、物質的な存在ではなく、因果関係の外にあって、他から影響を受けることはなく、予定調和の原理の下にある。それゆえ、それは本質でありながら、個体的である。

 

もんだい【問題】「問題的構造は諸対象の側に属し、その構想のお陰で諸対象をシーニュ(しるし)として扱える」(差異と反復上p183)
問題と問いの関係において、その答えがすでに固定的に決定しているような課題を「問題」とする。一方、「問い」はその問題の立て方自体までも一緒に思索の課題とし、その答えが固定できないものとする点で、「問題」と対比される。

 

 

よいたいしょうわるいたいしょう【良い対象と悪い対象】「部分的対象関係」。乳児が乳が出るおっぱいを「良いおっぱい」出ないおっぱいを「悪いおっぱい」として、母親の存在と無関係に捉えるときの、その場かぎりの快不快としか結びつかないような対象との関係。フロイトの弟子であるメラニークラインの精神分析学用語。⇔「全体対象関係」

 

ようせいのしゅたい【幼生の主体】脱中心化され、生まれ出ようとしては流産し続ける自我。同一性に基づかず、反復による世界構成がつねに自我とともに構成させるとき、世界構成は様々な対立構造のなかの危ういバランスの中で、崩壊し続け、新しく作り変えられ続けなければならないような安定しないルールでもって、初めて成立する。決して安定した存在なんかにはならず、どこへ向かう何者なものなのかつねにに未決定な存在でしかない。そのような自我の未分化性を示す比喩的表現。

ようたい【様態】mode デカルト・スピノザ以来、事物の本質的属性と対立するものとされた、事物の偶然的な性質。様。様状。状態。偶有性。
「事物の在り方についての諸規定を意味する。ただしこのような諸規定のうちでもその事物にとって不可欠な基本的性質(本質)が属性とよばれるのに対し、様態はその事物にとって付帯的、偶有的であるような諸性質、諸規定を意味する。ところでこの属性(本質)と様態(偶有性)との区別はアリストテレスにまでさかのぼるが、中世、近世の哲学でもさまざまに議論されている。たとえばデカルトでは精神と物体が実体とされ、思惟(しい)と延長がおのおのの属性とみなされるとともに、情意、判断、欲求が精神の様態として、また位置、形、運動が物体の様態として考えられている。またスピノザでは神が唯一の実体であり、思惟と延長がその属性であり、それらの変容したもの、すなわち個々の人の心や個々の物体が様態とされている。さらにロックでは、様態は印象や単純観念から合成された複合観念の一種とされている。」(日本大百科全書)
「様態とは、実体の変状〔顕現・発現〕、すなわち他のものの内にありかつ他のものによって考えられるもの」(「エチカ」岩波文庫上p39)
「もともと様態とは、ものの存在の様式を表す言葉として使われている。だがスピノザの形而上学の場合、それは、神によって産出された有限者を意味している。実体がそれ自身において存在し、他のものを必要としないのに、様態は他のものつまり神のうちに存在する。またこの「うちに」は単に「の中にある」という意味ばかりでなく、スピノザの場合、他に原因を必要とするという意味も持っている。」(中央公論世界の名著「エティカ」における工藤斎藤による解説より)

 

よくあつ【抑圧】「A)原意では、個体が、ある欲動に結び付いた表象(思考、イメージ、記憶)を無意識のなかに押し戻すとか、無意識に留めようとする精神作用。抑圧は欲動の充足(それ自身は快感を与えるもの)が他の欲求にたいして不快を誘発する恐れのある場合に生じる。抑圧はとくにヒステリーにおいて顕著であるが、正常心理や他の精神疾患においてもまた重要な役割を果たしている。それはその他の精神現象とは分離された領域としての無意識の構成を基礎づけているという意味で、普遍的精神過程と考えられる。
B)漠然とした意味では、抑圧という語は、時に「防衛」という語に近い意味で用いられる。一方では、Aの意味での抑圧の作用が、複雑な防衛の無数の過程のうちの一つの段階として見いだされるからであり、他方では抑圧の理論モデルが他の防衛作用の原型として利用されているからである」(精神分析用語辞典)



りえ【リエ・liée】→拘束

 

るい・しゅ・しゅさ【類・種・種差】「2つの一般概念をその外延について比べて,一方が他方に包摂されるとき,前者 (より個別的) を後者 (より一般的) の種,後者を前者の類と呼ぶ。ある種と同一種に属する他の種の間の相違を種差という。たとえば動物を類,人間を種とすれば,人間と他の動物との種差は理性または言葉をもつことであり,ある種は類概念と種差で定義される (「人間は言語をもつ動物である」) 。(ブリタニカ百科事典より) 

 

 

るいひ【類比】アナロギア。トマス・アクイナスをはじめとする中世のスコラ哲学の思考においては,超越者たる神の同一性は,神ならざる被造物の同一性とは質的に区別されたものであり,後者を出発点とした類比的な〈アナロギア〉の道にしたがう思考によって達せられるべきものである,というように考えられている。(世界百科事典)
一義性と多義性の中間にある特殊な意味の広がりのこと、論理的な類推を超えたところまで、或る意味で数比的なイメージの広がりでもって、似た内容をもつものついて、一義でも多義でもないものをつながりのあるものとして考えること。特に伝統的形而上学では、「存在」について「神」と「もの」との間の断絶をアナロギアが媒介すると考えられてきた。

 

 

るいじ【類似】互いに共通点があること。(デジタル大辞泉)
「対立」によって生じる対立ベクトルの狭間で、「類似」が語り得るものとなり、概念に規定されたものの程度が論理的に語り得るものとなる。

 

れんぞくりつ【連続律】ライプニッツのモナドにおいて、世界が無限小おいても連続しているとする原理。世界の認識対象への微分を可能にし、「十分な規定」を保証する。また、充足理由律の根拠にもなる。

 

 

僕にも分かる「差異と反復」>

 

<ドゥルーズ「差異と反復」を読もうとしてる>

 

 

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