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2018年2月19日 (月)

時間を失うことが何かの回避になり得るか

思い付きの寓話。

湯を注いだUFO がちょうど出来上がったそのとき、悪魔が囁いてきた。『お望みなら時間を止めてやる。世界中の時間が止まるのだ。時間自体が止まるのだから君はそのUFO を食べられない状態に「なる」わけではない。だから、君は「食べられなくなる」ことはない。不幸の状態に「なる」ことなど原理的ないのだ。物理的に静止した状態の時間が生じるわけでもないから、それは世界の「停止」でもない。だれも時間が止まったことに気づきようがないのだ。そして、何より良いことには、そのまま無限に時間を止めたままにしておけば、君はこの先に苦痛を感じる可能性から一切解放されるのだ。幸福を失うことなく不幸が排除できるのだ。どうだ。時間を止めてやろうか』・・さて、僕はこの問いに頷首するべきか?

 

 

 

アンチナタリズムは、結局、上と同様の、子どもは生まれなければ不幸に陥ることがなく幸福を失うこともないという論理でもって、子を産まない方が良いとする。
僕にはどうしても詭弁に思えて仕方ないのだけど、どうだろう。
時間を失うことが何かの回避になることが果たしてあり得るだろうか。
悪魔の話に乗ろうと思う人がどれくらいいるだろうか。

思いつきの言々

アニマルライツから倫理を考える 

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コメント

悪魔が出てこないとこのお話が成立しないように
生まれてこなければ、というのも生まれてきたヤツが居ないとお話にならないはずですよね。

つまり、アンチナタリズムはお話になっていない話の良し悪しを語っている気がします。

生まれてこなかった場合についてあれこれ言えるのは生まれてこなかったヤツだけなんじゃないかな、と。

現実的・道徳的な点を含んだ話ならばまた違うのでしょうけど。

岡さん、
そーなんですよ。

今回、僕は語る視点がダブルスタンダードになるような詭弁トリックを考えて上の寓話を作りました。
幸福を失わないという話のときには、時間が止まっているという非実在のナンセンスな視点でもって語ってるのに、不幸を回避できるという話のときには、その時間の停止を外から見ている視点で悪魔は語ります。視点の非対称が語られる内容の非対称を生んでいるのだけど、その視点にギャップがあることを見せないで誤魔化すというトリックです。
アンチナタリズムでいうと、生まれてこないやつの視点をナンセンスな視点とする前提で語りながら、その一方で、生まれてこないやつの視点を有意味に語れるとしたらって前提で語ってるという点で、同じではないかと疑っています。

その点で、まさしく岡さんが言うとおり、生まれてこないやつが生まれなければ話にならないと思います。

ところで、アンチナタリズム的に「死んだほうがよい」はどういう扱いなんでしょうね。
生まれてこないヤツについて言及できるのならば、これから死ぬヤツについても言及できそうなものです。

岡さん、
今生きている人とまだ生まれていないものとの間には価値の非対称性があると、アンチナタリズムは考えているみたいです。
まだ生まれていないものはその不在ゆえにその生の非存在を憂うことはないが、すでに生あるものは死を忌むのだから、生まれていないものが生まれない方が良いからと言って即生きているものんだ方が良いことにはならない、のだそうです。
僕にはこの理屈も納得できません。

快や充足感の不在や多寡により苦や不充足などの「実害」が出るのはすでに存在しているものの意識の中でだけです。
意識が与えられておらず,選好も生じていなければ快や充足感の現前ががどんなに大規模に阻止されようとそれ自体は何の問題も生じません。
(もっとも想像上の仮想人格の不充足に感情移入している人もいるでしょうが、それは
無視してよいでしょう。彼の錯覚だからです。)

一方、苦を現前させるかさせないかでは常にさせないほうが良いと言わざるを得ません。

ああ、アンチナタルサークルさん、コメントありがとうございます。よくいらっしゃいました。歓迎します。
先日はツイッターで長い話に付き合っていただきましてありがとうございます。楽しかったです。ただ、その時はアンチナタリズムの言葉づかいを僕が勘違いしてた部分があり、ご迷惑をお掛けしました。自分自身としても消化不良のところも残ったので、その点残念に思っていたところです。なので、こうしてコメントをいただけて建前でなく本当に嬉しいです。
ツイッターの議論があったのですから、それを踏まえて書き込みできたら良いのでしょうが、僕がよく覚えていない部分も多いので、はじめっからやり直しになるかもしれません。ご容赦ください。

さて、いくつか疑問があります。
(1)「苦を現前させないほうが良い」という判断は明らかに「現前しないこと」と「すでに現前したこと」が比較可能であり、その上で適切な方を選ぶことが良いことだと判断できるとする立場に思えますが、それで良いでしょうか。
(2)それは「意識のないもの」にとっても「その苦が現前しないこと」が良悪の判断できるものだとするのでしょうか。
一方、
(3)「意識が与えられていない場合、快の現前の阻止が問題ない」というのは、「意識のないもの」にとって「その快が現前しないこと」は良悪の判断ができるものではないというするという理解で良いでしょうか。

いかがでしょうか。

アンチナタルサークルさんというお名前から以前ツイッターで議論させていただいた方だと早とちりしてしまいました。別人でしたか。失礼しました。
それでも、お返事いただければ議論させてもらいたいと思います。よろしくお願いします。

(1)全くそうです
(2)「意識がないもの」の中には苦も快も判断も現れません
  正直何をおっしゃってるのかわかりません
(3)意識のないものには快も判断も生じません

んーあなたの疑問自体が俺にとっては疑問です
疑問に疑問でお答えして申し訳ありませんが・・

回答ありがとうございます。antinatal circleというお名前はツイッターのAnti-Natal Circleさんからとられたのでしょうか。大変失礼ですが、もしよろしければ、ややこしいので別の名にできないでしょうか。

質問を続けて良いですか。
「苦が現前しないこと」の良悪は生まれない子にとって判断できるものではない。なら、少なくとも生まれない子にとっては「苦が現前しない方か常に良い」とは言えないですよね。これはそれで良いですか。

>生まれない子にとっては

こう言い方が、存在しないものを主体にして語る言い方に慣れることができません
「主は~」と同じくらい違和感を感じます

存在しないものにとって良い悪いなど成り立ちません。

antinatal circleというお名前はツイッターのAnti-Natal Circleさんからとられたのでしょうか。大変失礼ですが、もしよろしければ、ややこしいので別の名にできないでしょうか。


「生まれない子にとって」が不適当であるとすれば、誰にとっての判断を考えるべきだということでしょうか。

antinatal circleというものが存在していること自体知りませんでした
適当なハンドルネームです

第三者である人間が快苦、充足不充足といった「人間的事象」を生じさせる生じさせないといった比較検討で
この問題において内容に漏れは一切生じないと思いますが

ややこしいので別の名にしてもらえればありがたいのですがむずかしいですか。

えっと、それは、生まれてない子の感じるべき苦や快を第三者がその子になったつもりで判断するということなのでしょうか。

アンチナタルサークルさんという方とこれまでにかなり議論してきた経緯があります。僕の感覚では、その方と違う方を同様の名で呼ぶのには大きな抵抗を感じます。

@antinatalcircleさんにも悪いという思いもありますので、もし、名前の変更がむずかしければこれ以上の議論は控えさせていただきたいと思います。悪しからずご理解ください。

>生まれてない子の感じるべき苦や快を第三者がその子になったつもりで判断する

別段存在しない人になったつもりになる必要もないでしょう
「苦を経験する意識を生じさせる」かどうかという実存的な話です

すこし考えを整理されてからこの問題に取り組むと良いと思います
「名前」に違和感があるので議論を中断したいということでしたら仕方ないですね
終わりにしましょう

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