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2018年2月 6日 (火)

全部分かっちゃった・・・なんてこと言ってたらダメだぁね

存在論について分かっちゃった。基本的に全部分かっちゃった。・・・なんていうどうしようもなく馬鹿で驕り昂って能天気な気分に陥っちゃうことがある。

でも、それってホントに馬鹿だよなぁ。
何でかって言うと、そういうように全ての問いに答え得るってことは、つまり、答え得る問いしか立てられてないってことだからぁね。

例えば、足し算と自然数しかない数学しか知らない人が、数学のこと全部分かっちゃったって思っちゃうことってあり得るわね。
そこに引き算が発明(発見?)されて、数が自然数から整数に拡張される。で、今度は、その加減算と整数しかない数学しか知らないで、数学のこと全部分かっちゃったって思っちゃうことってあり得るわね。
で、そこに、掛け算割り算が発明されて、数が有理数に拡張される。そうして、今度は、その四則演算と有理数しかない数学しか知らないで、数学のこと全部分かっちゃったって思っちゃうことってあり得るわね。
そこに、無理数が発見され、虚数が発見され、どんどん問いは広がる。数が拡張されるだけでなく、幾何学的な問いが生まれ、集合論的な問いが生まれ、メタ数学的な問いが生まれ、数理哲学的な問いが生まれ、数学がそれ自体どんどんと拡張しどこまでも問いは広がり続けるだろう。

だから、或る数学者が「数学のすべてが分かっちゃった」と考えたとしたら、それはその数学者が想定する数学の範囲のことが分かっちゃったってことでしかなく、それは、「そのように問い得る範囲の数学しか想定できてません」ということを宣言しているということに他ならない。

どんなに分かっちゃったって思えたとしても、それは問いを失ってしまったという点で哲学的にはかなりショボい思索状態であろう。

それでも、バカな僕は、自分が「全部分かっちゃった」なんてことを思いそうになってしまって、なんて残念な奴だろうと自分を恥じることが、時々ある。

思いつきの言々

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