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2017年10月28日 (土)

「物質と記憶」訳語比較

おまけ、

 

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「virtuel」と「possible」を訳し分けていない本があるけど、どういうことなのかな?
(※M氏からの指摘によると、白水社ベルクソン全集竹内訳の「virtuelle」を「潜在的」と訳している箇所もあるらしいです。)

 

「contraction」がいろいろな訳され方をしてるのも、ややこしい。なんとかならないかなぁ。

 

 

「yakugohikaku.pdf」をダウンロード

 

ベルクソン「物質と記憶」を読む

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コメント

師匠 こんばんわ
潜在的可能性を言ってるので重複するんじゃないかなと。ゲノムとか言ったと思いますが、肺がんと胃がんの遺伝子を持ってる人が、肺がんを発症したとします。遺伝子レベルがヴァーチャルで、発症がアクチュアルで、肺がんそのものがリアルで、将来の胃がんの可能性がポッシブルじゃないか。ポッシブルは未来だけど、発症してないという意味では、ヴァーチャルと言えると思います。遺伝子レベルでは、過去も未来も、あまり区別がないかなと思います。

taatoo さん、コメントありがとうございます。そのアクチュアルとヴァーチャルはベルクソンの用語のそれの意味ですか。可能世界の話としてとらえようということですよね。しかし、それは僕のベルクソンの捉え方とは少し違います。リアル対ポシブルの視点は、分析可能な世界像としての可能世界においての現実性と可能性を指すものであって、taatoo さんの解釈と同じなのです。が、アクチュアル対ヴァーチャルの視点は分節不可能な内容までを捉えようとあがいている話であって、可能世界の話には収まらないような気がしています。どうでしょうか。

師匠 おはようございます

動画リアルタイムで半分くらい拝見しました。すごく良かったです。はじ銀さん?UPありがとうございます。これは、かなり貴重です。

2つの対で、2つの「可能」がでてくるので、ややこしいんじゃないかと思って、「生」「持続」「記憶」「収縮」「弛緩」「程度」「傾向」「潜在」「現勢」のキーワードを「遺伝子」というメタファーで、言えないかなと思ったんですが、無理ですかね。もうちょっと、考えてみます。

「潜在能力」という、これまた使い古された言葉があるんですが、この「潜在能力」や「遺伝子」のレベルでは、ポッシブルは、リアルの層ではなく、ヴァーチャルの層なんじゃないかと思ったんです。それが、無時制的になるという話につながるんじゃないかと。

taa:師匠がおらん。
too:発表よかったのにな~。
taa::わかる気もするな。ひとりになりたいんや。
too:ちゃうちゃう。おまえや、おまえ。

taatoo さん、訳語が本によって色々違うと、新しい本を読むときに出てきた語が前に読んだ本のどれと同じでどれが違うのか分からなくて困るなぁと思って調べました。で、調べてみると、高橋訳と竹内訳はvirtual とpossible の両方を「可能的」としていてそのりょうしゃを区別してませんでした。possible は文節可能な可能世界での現実性の有無を示すのに対して、virtual は持続的で文節不可能な意味においてactual を補完するものとして出てきてる語なので、強く意識して区別しなければならないと僕は考えています。なので、その辺りに無頓着な訳ってダメじゃないのかと思って記事にしたわけです。virtual の適切な訳語としては「潜在的」という語で十分に良いように思います。

師匠 こんばんわ すいません、また思いつきです。

アクチュアルとヴァ―チャル、リアルとポッシブルの2つの対の話の続きです。
WEB上で、2つの対を座標軸にしたような説明もありましたが、
私は、こんな感じで並べて、循環しているモデルにしてみました。

         <一人称>     <三人称>

<顕在化> ①アクチュアル → ②リアル
            ↑          ↓
<潜在化> ④ヴァーチャル ← ③ポッシブル

②生身のアイドル→③アイドルの可能態→④可能態の潜在化→①2次元のアイドル→②初音ミク→・・・・

アクチュアルとリアル、ヴァーチャルとポッシブルの2つの対も気になりますし、循環によって顕在と潜在を往還するイメージです。
生の循環によって遺伝子が組み替わる。今ひとつですかね。

taatoo さん、ありがとうございます。
コメント欄が狭くて申し訳ないです。表がずれちゃいますね。
その循環というのがよく分からなかったのですが、そのリアル、ポシプル、アクチュアル、ヴァーチャルについては僕もまたもっと考えていきたいと思いますので、またいっしょに検討できたら良いですね。ただ、その意味するところは、なかなかこのコメント欄だけでは確かめるのが難しいかも知れないというのが厳しいところですけどね。

師匠 いつも すみません。 

う~ん、確かにそうですね。

ところで、話は変わりますが、最近、面白いと思ったYou tubeで、ハラリとかいう歴史学者の話です。ご存じかもしれませんが。

https://wired.jp/series/wired-book-review/05_homo-deus/

ありがとうございます。「ホモデウス」めちゃくちゃ面白そうですね。訳が出たら読もうと思います。また、記事内に少し書かれてた「ハーモニー」も気になりつつ読んでなかったので、この機に読んでみようと思いました。

 はじめまして。
 竹内信夫訳『物質と記憶』がpossibleとvirtuelを訳し分けてなくてどちらも「可能的」だとの御指摘ですが。
 ウェブで探すと、竹内訳からの抜粋にvirtuelを「潜在的」と訳した箇所が見えます。
「この純粋想起は潜在的なものであって、それが現働化されるためには」……
http://watasitokigyou.blog.fc2.com/blog-entry-45.html
 竹内訳もvirtuelleを全部が全部「可能的」としたわけではないのでは。
 それと、ドゥルーズ『ベルクソニズム』が強調する程に、ベルクソン自身がそんなにpossibleとvirtuelleとを厳しく区別して使ったかが疑問です。一例として、『物質と記憶』第一章、「しかし、これは一つの隠喩でしかない」で始まる段落中、「われわれの身体の現実的行動の、その可能的あるいは潜在的行動に」云々とある箇所(ちくま学芸文庫版だとp.68)。原文は次の通り。
Nos sensations sont donc à nos perceptions ce que l’action réelle de notre corps est à son action possible ou virtuelle.
 ここでの「あるいは」=ouは、相容れないどちらかを選べと迫るものでなく、ほぼ同義に重なる語を横列びにして大まかな意味を指す用法ではありませんか。

Mさん、ご指摘のコメントありがとうございます。

僕は熊野訳を中心的に読んでいましたので、竹内訳はそれを補完するために図書館で借りて読んだだけですから、そのすべてがチェックできてなかったかもしれません。
バーチャルをポシブルと訳し分けて、「潜在的」としていたところもあったのですね。これは僕の確認不足でした。(上の記事、すこし訂正をさせてもらいたいと思います。)

バーチャルとポシブルの区別はそれほど重要ではないかもしれないというMさんのご指摘は、確かにその通りだと考えられている人も一定数あると思いますし、そのような考えを否定するつもりはありません。
しかし、ドゥルーズのように、そこの違いに注目して考えようとする著作があり、それと比較して「物質と記憶」を読もうとする場合には、「可能的」が元々どう表記されてたのかを、分かるようにしてもらえるとありがたいという思いは強いです。
(ただこの、重要タームは元の語が分かるようにしておいてほしいというのは、ベルクソンの本に限らずどの訳本を読むときにも感じることですが。)

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