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2017年8月17日 (木)

ベルクソンのやり方<ベルクソン「物質と記憶」を読む0>

ドゥルーズを読むためにベルクソンの「物質と記憶」を読んだ。これがなんとも面白かったので、ドゥルーズは横に置いておいて、先にこれをまとめておきたくなった。新しい章を立てて書いていこうと思う。

Bergson_2

アンリ・ベルクソン(Henri-Louis Bergson、1859年10月18日 - 1941年1月4日)は、フランスの哲学者。20世紀に最も読まれた哲学者はベルクソンとニーチェだと言われるくらいメジャーなんだそうだ。ドゥルーズやメルロポンティに注目され、再評価されてるんだって。

この「物質と記憶」は彼の第2の主要著で、持続と物理世界と主体について考察し、二元論の矛盾を解こうとしたものである(し、僕にはちゃんと成功しているように思える)。カントは、実在論と観念論の関係を、いわゆるコペルニクス的転回という新しい切り取り方をすることによって統合したが、ベルクソンはそれをさらに一般化したものだとも言えると思う。カントのやり方では、「主体が感性・悟性・理性という形式で世界を切り分け、主体が超越論的視点で世界を見ることで初めて世界が世界として成立する」とし、「世界は、主体の経験によって初めて実在するものになる」とし、そのような設定をすることによって実在論が観念論に支えられなければならないことを明らかにした。

それに対して、ベルクソンのやり方では、

1.「主体は単なる世界の観客ではなく、世界のプレーヤーでもあり、それゆえ、主体は物理的世界を生の希望として生み出す」というように、主体の位置づけを変えた。

2.「世界は固定的に切り取られ得る物理的時間だけではなく、止まった時間として切り取られることができない『持続』の中でだからこそ立ち上がることができる。それは持続の中で、記憶と可動的な身体とが互いに補完し合って関連することによって初めて『私が生きる世界』として立ち上がることができる」というように、世界が生の場であることをはっきりさせた。

そのようなやりかたであって、カントとはずいぶん違うけれども、そのやり方は主体によって成立する世界ではあるが、決して観念論に陥らないで、きちんと実在世界を組み立て、観念論と実在論が矛盾しないような世界モデルにしてしまうってところは、全くカントの路線だと言えると思う。
まさに「記憶と物質」に注目すれば、二元論の矛盾が解消されてしまうだけでなく、決定論と自由の矛盾も解消し、さらに「希望」としての世界が立ち上がってくるのだから、びっくりの面白い論立てであった。

次節から、順に解説していきたい。

つづく

ベルクソン「物質と記憶」を読む

twitterはじめました

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コメント

 カントとベルクソンが案外似ていると思われるのは、観念論と実在論を調停しているように思われるからですかね。カントの場合は、物自体というのを想定し、意識の側から物質世界にアプローチするのに不可知論という戦略を用いるのですが、ベルクソンの場合は持続の場としての時間を物質世界から物質と精神の中間あたりにずらすことによって、自由意志の問題を決定論のジレンマから解放したように見えるところが成程当時としては凄いアイディアなのかと思いました(うろ覚えですが)。カントのような構成法を採らずとも、世界との関わり方を考えれば、おのずから出てくる思考法の一つのタイプなのかなとは思います。少し観点はずれるでしょうが、超越論的視点や形式への当てはめ(構成主義)を採用しなくても、ただ生の持続に想いを馳せることで宗教的なものを否定できないのではと考えるようになりました。以前は無神論を神の不在としての顕現と捉えて有神論と並立しているというスタンスだったのですが、生に対する想いの強度の違いというか神をより近い側として捉えたほうが良いのではないかなと。さっぱり伝わらないかと思いますが、これでも割と考えたほうです。頭がおかしくなってしまった可能性すらあります。ともあれ、横山さんのベルクソン論、期待しております(行く会が多くなったこともあり、あまり行けてませんが、ドゥルーズのときは行くつもりです)。分析哲学をメインにやってこられた方がベルクソン及びドゥルーズをどう読むのかは純粋に興味があります。

イイダさん、コメントもらえて嬉しいです。ありがとうございます。
僕がベルクソンとカントの路線が重なるとしたのは、おっしゃるとおり、観念論と実在論の統合の手立てになっている点についてです。物自体には到達できないとしても、世界は主体の設定した形式モデルによって初めて意味を持つものになるとしたカントは、世界を神の手中から主体の手に取り戻したとも言えると思います。ベルクソンはその到達不能な物自体まで否定することで、神から世界を取り戻す作業をさらに進めたと捉えることもできると思い、同じ路線を先に進んだものと考えました。

上のコメントで「生に対する想いの強度の違いというか神をより近い側として捉えたほうが良いのではないか」とイイダさんがおっしゃっているのがやはりよく分からなかったです。僕は去年の大哲例会でマクタガートと永井の時間論を否定的に捉えて発表しましたが、そのときに、「主体の捉え得る世界は、自身と他者や他時刻の私までふくめた世界としてなお主体が到達できていると想定すべきであり、そこに立ち上がる世界は一神教の神による世界と完全に一致する」というような話をしました。実在論と観念論を統合することで神からもぎ取った実在世界は結局、一神教の神が作った世界そのものになる、という捉え方ですが、イイダさんがおっしゃっているのはそういう感じでしょうか。
って、僕の言うことの方が伝わりにくいでしょうね。

僕は、英米哲学を中心に読んできまして、それでも英米系哲学の十分には理解できていないのですが、ましてやフランス系哲学は言葉遣いからして分からないことだらけで、ずいぶん読み間違いがあると思います。イイダさんにはいろいろと教えて貰いたいことがあります。ここでしばらくは僕のベルクソンドゥルーズ理解を書いていこうと思っていますので、こうやってコメント貰えるとありがたいですし、また、大阪哲学同好会の11月の発表時にも来て貰えるなら心強いです。よろしくお願いします。

師匠 こんばんは、 お久しぶりです。
ベルクソンですね。いつもながら凄いです。なんか既にものにされてるし。

>1.「主体は単なる世界の観客ではなく、世界のプレーヤーでもあり、それゆえ、主体は物理的世界を生の希望として生み出す」というように、主体の位置づけを変えた。

これって、このブログで師匠がいつも言われてることじゃないですか。

つまり、世界のプレイヤーとしての主体から語るというスタンスですね。カントは、物自体に対する主体側に残って、超越という一工夫をしますが、ベルクソンは先に主体を超越させて、そこから構成してるんじゃないか。だから、始点は違うけど、似てるんじゃないかなと。

それから、師匠は別のところで、「反実在論的虚無主義」と言われてますが、ちょっとかじったベルクソン情報には、ベルクソンは、「反実存的楽観論」であるというのが、ありました。これって、前者と一緒のことじゃないですか。「楽観」は、ベルクソンが、「生」を語りますからね。

つまり、ここで、ダメット⇔師匠⇔ベルクソン、とつながるわけです。mayutuba,mayutuba.

しかし、直前のイイダさんとのやりとり、感動しました。神様の話、好きなので。

taatooさん、おひさしぶりです。コメントありがたいです。
ベルクソンの「反実存的楽観論」の話、興味あります。
僕のいう冒険的で虚無主義的な反実在論と、ベルクソンの哲学は繋がるだろう、という思い込みが元々僕にはありましたので、僕が読んでいるベルクソンはどうしてもそちらに引っ張られた解釈になってしまいます。
でも、そのように評価している人がいるのなら、僕の独りよがりな解釈ではないと言えるかもしれません。

でも、その「反実存的楽観論」を検索してみましたが、何も掛かりませんでした。
誰が言っていた話か分かれば教えてもらえますか。

師匠 おやすいご用です。と言いながら...

WEB‐哲学好事家の私ですが、今回の「反実存的楽観論」については、ネット上で見つけたわけではなく、しかも、ネット上に無いということが、今わかりました。なんと。

言った人は、戸島貴代志さんです。
著書の「現代フランス哲学に学ぶ」の第3章に出てきたと思いますが、残念ながら私の手元にはありません。amazonで購入できますが、図書館に置いてるかもしれません。

それから、WEB上では、
https://www.jstage.jst.go.jp/article/philosophy1952/1992/42/1992_42_192/_.../ja/
ここに、戸島さんの論文(PDF)があります。


taatooさん、大助かりです。ありがとうございます。
その「現代フランス哲学に学ぶ」は僕の取り寄せられる範囲の図書館にはなかったのですが、図書館で戸島著の関係ありそうなものを選んで取り寄せ予約しました。
Jstageにあったpdfのうちにも、「反実存的楽観論」という言葉そのものは見つけられませんでしたが、実存とか死とかニヒリズムとかオプティミズムとかペシミズムとか、そのあたりのことを書いている物を見つけられましたので、ダウンロードしました。読んでみます。

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