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2017年6月25日 (日)

どんな「絶対」も話し手聞き手の意図によるしかないかも

忌の際の朦朧の父に対して僕は言葉を幾つか語ったが父は無反応のまま死んでしまった。だから僕の言葉が父に届いたかどうか本当のところは分からないままだ。

でも、その「本当」とは何か。脳内に某かの反応があったということなのだろうか。

「本当のところは分からないままだ」ってのは僕の語りなのだからその「本当」ってどういう意味かと問われれば、僕の意図によって「脳内反応があったことで判断できるものだ」とするとか「そんなもので判断できないものを指そうとしたものだ」とするとか僕が決めるしかないのかも。そういう問題なのかも。

話者にどういう意図で「本当」と言ったのかを答えてもらってはっきりさせられるレベルで問いたいのならそうすれば良いし、もっと根源的なレベルを問いたいなら語の翻訳夫可能性と意味の不確定のなかでさ迷えば良い、ということなのかもしれない。どんどん問いのレベルを上げたとしても、その問いの意図するレベルによって問いの意味が決められることになってしまい、所詮、問いの意味などそのようなものでしかない、

ということなのかも。

仮に「言葉の絶対的意味を問う」などと言ったとしても、それは、それを言う口のレベルの意図に沿うものでしかないと言う意味でしかないのだから、「絶対的なレベルの絶対」はあり得ない、ということかも。

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コメント

今この記事に気づきました。
遅くなりましたが、ご尊父のご冥福をお祈りします。

taatooさん、ありがとうございます。父の死はもう1年以上も前のことなのですが、最近死んだような口振りで書いちゃってました。スミマセン。

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