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2017年3月19日 (日)

水中の「匂い」を考える

今日のNHK「ダーウィンが来た」でドジョウのひげを「匂いセンサー」だと言っていた。「嗅覚器」だというのだ。でも、水中で嗅覚なんてあるのか?不思議に思って調べてみた。

それがあるんだ。

まず、「嗅覚」や「匂い」とは、気体についての感覚というものだけでなく、鼻で嗅ぎ分けるべきものだともされてるらしい。

におい ニホヒ【匂】①赤などのあざやかな色が美しく映えること。②はなやかなこと。つやつやしいこと。③香り。香気。④くさいかおり。臭気。⑤ひかり。威光。⑥人柄などの、おもむき。⑦そのものが持つ雰囲気。⑧同色の濃淡によるぼかし。⑨芸能和歌俳諧でそのものに漂う雰囲気。(広辞苑)

のうちの、ここでの「匂い」は明らかに「③香り」の意味。で、「香り」は…

かおり カヲリ【薫り・香り】①よいにおい。②つややかな美しさ。③芸術品などの、何となく感じられる良い感じ。(広辞苑)

ダメじゃん。堂々巡り。じゃ、「嗅覚」は?

きゅうかく キウ‥【嗅覚】においの感覚。揮発性物質が嗅覚器の感覚細胞に化学刺激を及ぼすことによって生じる化学感覚。(広辞苑)(へえ。「化学感覚」なんていうすごい言葉があるんだね)

ここで言われてるのは、一般的に、「嗅覚」=「匂いの感覚」は、気体を化学的に感知する感覚だということじゃないか。やはり、そうすると、「におい」は「気体についての感覚」なのだから、「水中でにおいがある」などという話はおかしいじゃないか?

いや、そうではないのだ。ここで言われている「揮発性物質の」というのは嗅覚の本質ではないのだ。
一般的には「におい」は「気体についての感覚」で間違いではないのだ。でも、「水中のにおい」などという、特殊な状況を考えるとき、においの本質は「気体であること」以外にありそうなのだ。

ふつう、地上で鼻と口を持つ生き物は、口と鼻で化学的な情報を得る。鼻は空気中を漂う微細物質を捉えて感知し、口は直接触れ得るもののうちの水溶性物質について感知する。そして、それぞれの化学的反応から、安全や危険を察知する。

このとき、口は、塩分度を察知する細胞、糖度を察知する細胞、酸度アルカリ度を察知する細胞、などの検証をする細胞を用意する。直接舌に触れる物質の検証だけに特化すればいいから、比較的少ない種類の味覚細胞がそれぞれ特定の検証をするだけで済む。1種類の感覚細胞は基本的に1種類の化学反応を検知するだけで足りるのだ。

一方、鼻の感覚細胞は、それぞれ多くの化学物質について感知するようにできている。空気中に漂いやってくるありとあらゆる化学物質(水溶性のものもそうでないものも含めてありとあらゆる微小物質)について調べたいのだから、そのために、1種類の細胞が1種類の化学反応を検知するだけではどうやっても調べられる化学反応の種類は限定的になる。だから、鼻の感覚細胞は、1種類の細胞がいろんな化学反応に対応できるようになっているのだ。

そのように分析すると、「味覚は液体についての感覚。嗅覚は気体についての感覚」とする以外の捉え方ができそうである。つまり、

「味覚」とは、「感覚細胞が特定の化学反応に対応するようにできている感覚器官によって感知される化学感覚」、

「嗅覚」とは、「感覚細胞が多くの化学反応に対応できるようにできている感覚器官によって感知される化学感覚」

とすることができそうである。その捉え方こそが味覚と嗅覚の本質的違いなのではないだろうか。

そして、この違いによって味覚と嗅覚を捉えるなら、逆に、「舌」とは「感覚細胞が特定の化学反応に対応するようにできている感覚器官」のことを指すものだと言え、「鼻」とは「感覚細胞が多くの化学反応に対応できるようにできている感覚器官」のことを指すものだと言いきってしまってよさそうに思える。
だから、そのような言葉として「鼻」を言うなら、漂いくる微小物質を、鼻で感じたらそれは「匂い」であり、舌で感じたら「味」である。

「におい」とは、鼻で嗅げるものであり、
「鼻」とは、感覚細胞が多くの化学反応に対応できるようにできている感覚器官である。ということなのだ。

僕は周囲から漂いくるのが気体であるときに感じやすい鼻を持っていて、ドジョウは漂いくるのが液体であるときに感じやすい鼻を持っているので、水中を流れくる微細物質の感覚は、僕にとっては味だけど、ドジョウにとっては匂いになる。と考えて良いみたいだ。

水中にもちゃんと匂いがあると言っていいのだ。

「気体についての感覚」がにおいの1次内包で、「感覚細胞が多くの化学反応に対応できるようにできている感覚器が感知する感覚」が2次内包、ってところなのだろうね。

思いつきの言々

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コメント

味覚と嗅覚の捉えなおし、とてもおもしろいです!1種類の細胞と、対応する反応の多寡の違いが、このカップ麺の臭いと、味の違いを生んでいる、という区別。なるほど。

すると、視覚はこの区別でいうと「味」ですね。なんでかって、たしか1種類の細胞が三原色のどれか1つと対応する、みたいな構成だったような気がします。

ってことは!視覚の「臭い」版(?)も作れるのでしょうか。1種類の細胞がたくさんの色と対応するような、感覚器官があったら、うーん、どんなクオリアなんでしょう。

このブログはいつもおもしろい思考実験がみつかります。^^

p.s.
ナマズは10万個の味蕾(人間は数百個)が、全身を覆っているようですよ。笑

SHIROさん、お久しぶりです。コメントありがとうございます。

そうですね。視覚細胞は「明・赤・青・黄」(でしたっけ?)それぞれの光刺激の知覚を分業してるらしいので、普通の「視覚」は「味」的な細胞の働きによる感覚だと言えますね。そうすると、一つの細胞がもっとさまざまな電磁波に対応できるような、「匂い」的な細胞の働きで知覚するような、「匂い的視覚」みたいなものもあってもいいことになりますね。
おもしろーい。

なまずは全身が超敏感な舌なのですか。それもすごい話ですね。

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