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2016年11月15日 (火)

何度でもやり直せるタイムリープ

 なぞなぞをひとつ。

 

恋人のKを無残に殺されてしまい、心底落胆している私の許へ、男がやってきて次のように言ってきた。

「このアイテムを使えば、ダイヤルを合わせてボタンを押すだけで、君だけが今の記憶を持ったまま任意の時刻に自在にタイムリープすることができる。そして、これの真にすごいところは、人生を本当に何度でもやり直せるということだ。たとえば、人生をやり直したあとでも、再度やり直さなかった方の人生に戻ることさえもできてしまうのだ。つまり、恋人が殺される前に戻って恋人を救い、そこでもし心変わりをしたなら、その救出の記憶を持ったまま、もう一度、恋人が殺されてしまっているこの今の場面に戻るということもできるのだ。時間は君の思うがまま、何度でもどんな風にでもやり直せるのだ。恋人が酷い殺され方をした君こそがこのアイテムを使うべきだ。さあ、これを君にやるから恋人を救ってきたまえ。」

さて、この男の発言は完全に信用できるものとする。そして、私はKを救えるのならどんなことでもする。しかし、できないのなら何もしたくない。私はそのアイテムを使って恋人を救いにいくべきだろうか。

 

 

 

 

 

 

ここまででいったん、記事をアップしていたのですが、どうも僕の意図が分かりにくいものに思えたので、もう少し説明を付け足します。

僕がこの話のどこに謎を感じているかと言うと、この設定では「私」は「その事件を経験していないKが生きている世界を生み出すこと」はできたとしても、「殺されたKを殺されなかったことにすること」はできないと思われるという点です。
そのアイテムでタイムリープしてKを救ったとしても、依然「私」は彼女が殺された世界にも再度戻ることもできるというのですから、Kを救ったあとでも、Kが殺された世界においてはKは殺されたままだと言うこともできます。そうだとすると、そのタイムリープによって「私」はその殺された恋人を救うことができると考えるべきなのか。
しかし、確かに、殺されずに生きているままの恋人を確保することができるのなら、その機械を使っても良さそうにも思えます。
それは、「過去」なるものをどう受け止めるか、「隣人」なるものをどう受け止めるか、に帰される問題のように思われます。そして、僕はそれらをどう受け止めているかがよく分からないでいます。

次のように言うともっと問題をはっきりさせられるかもしれません。

「恋人を殺された君よ、この機械を使えば、君は彼女が殺される直前にタイムリープして、彼女が殺される世界とは別に、殺されなかった世界を分岐させることができる。これをやるから、彼女を救ってきたまえ。」そう言われた私はどうすべきか。Kとまったく同じ人格なのだったらそいつはもちろんKなのだから、救いにいった方が良いようにも思える。でも、実際にKが過去に死んだのであれば救いだしてきた者はKとは別人だとしか思えない。これをどう考えれば良いのだろうか。

どうでしょう。少し話わかりやすい文章になったでしょうか。

思いつきの言々

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コメント

恋人が殺される前に戻って恋人を救うことができるのかも知れませんが、その時代にはもう一人の自分がいますから、彼女との関係は2対1になってしまいますね。

>『そこでもし心変わりをしたなら、その救出の記憶を持ったまま、もう一度、恋人が殺されてしまっているこの今の場面に戻るということもできるのだ。』

もし救出してしまったならその未来も変わるはずなので、最初の時間に戻ったら彼女も生きているのではないでしょうか。

もとにもどってもその世界が元通りであるためには、互いに影響しあわないパラレルな世界がいくつも併存していて、タイムリープは別の世界へ行くのでなければならないと考えられます。無限にあるパラレル世界のうち都合の良い世界を選び出すのは、無理数を特定するのと同じくらい難しいような気がします。

御坊哲さん、こんにちは。コメントありがとうございます。

【僕の話をそのまま受けとるには、パラレルワールドを考えないといけないし、パラレルワールドを考えたとしても確率的に難しい、というご指摘について。】
まさしく、そのような困難を克服してパラレルワールドが成立しているという前提をすると、どうなるかを考えたいというのが、僕の欲するところなのです。しかし、そこのところの、僕の説明が曖昧で分かりにくいものだったと思いますので、上の記事本文を後で(今夜にでも)加筆して、もう少し意図をはっきりさせられるように努めたいと思います。
よろしければご覧ください。


【時間遡行すると自分が複数になるというご指摘について。】
僕が聞いた浅いSF知識によると、「タイムリープ」というのは、自分が複数にならないような時間移動なのだそうです。「時をかける少女」とか「オールユーニードイズキル」とか、そういうヤツらしいです。ですので「タイムリープ」という表現で僕の想定したかったのは自分が一人のままでの時間移動ですので、そう考えてください。

 これはなかなかの難問です。殺されることがなければ、救うこともできないのであるから、最終的には個人の選好の問題に帰するような気もします。救えなかったという記憶を修正したければ、救ったという記憶を持って元の世界に帰ってくるであろうし、別人格でも良いとするなら、別の世界に恋人Kと住み続けるであろうと思われます。要はどのように恋人が殺された事実と折り合いをつけるかでしょう。恋人が殺されて、あとでよく似た人が目の前に現れたとしたら、その人を恋人と思えるか。ということと似ているのではないでしょうか。僕の考えだと一人の生の一回性こそが尊いのであって、救えなかった自分に折り合いをつけるためにリープするなら分かりますが、よく似た別人格のK’と住もうという発想は残念ながらよく理解できませんでした。後者の場合は恋人Kは所詮その程度のものと言っているのと同じように思われたからです。ずれている、ずれているのでしょうね。まあ、僕の変な考えなので気になさらずに。

イイダさん、ありがとうございます。イイダさんからコメントをいただけて本当にうれしいです。

①殺されたK、と、②これから私によって救い出されるK´、とは何がちがうのだろうか、ということを考えてみます。
私がタイムリープ機によって救いにいくその時刻をt0とし、Kが殺される時刻をt1というとすると、①はt0からt1までの時間を私と共に過ごしたという経験があります。そして、それゆえ、①にはt0からt1の記憶がありますが、②にはその記憶がありません。
私が、すでに死んでしまった①のKだけをKだとし、②を救いにいっても仕方ないと考えるのであれば、それは、もしかすると、そのt0からt1を経験したという事実があるかないかの違いによるものかもしれません。

そこで、t0でK´を救うときに、その記憶ごとt0のK´に与えるとすることができれば、救う価値があるものになるかを考えてみます。Kは、t1で殺されるまでの経験を積みt1で殺された瞬間にその意識がt0へ飛んでいく、そして殺されるまでに記憶をもってt0で目覚めた、ということになるような形でK´を救いだすのです。それなら、私はK´を救いだす価値をそこに見つけられるようになるかもしれません。しかし、そこまでしても、救われたK´はしょせんコピーでしかなく、オリジナルが死んだ事実は消えないのだから、救いにいっても仕方ないと考えるかもしれません。

このときに、私がどう考えるかは、私がKなるものが何者であるかをどう捉えているとするか、その設定の仕方にかかっていると言えると思います。
その記憶まで備えているのであれば、そこで救う人物は「Kそのもの」と考えるかも知れませんし、それでもそこに魂まで移行させられたとは思えないから救われる奴は「よく似た別人格のK’」でしかないと考えることもできるでしょう。
それを、どっちにするかは、私の判断によると思われます。

ふつう、我々は恋人の同一性をどうやって確かめるかなんて、いちいち考えませんが、このような特殊な状態になれば、いちいちそれを自分で選んで取り決めないといけないことになるのだと思われます。
そして、この恣意的な、自分勝手に決めてしまえるような取り決めは、たまたま、日常では表面化していないから意識して問題化しなくてすんでるだけで、でも、実際には無意識のうちに自分で選んで自分で取り決めているはずだとも言えそうです。

唯物論を前提し、その唯物論的な世界において脳や神経の反応によって意識体験が発生するとする。そのような世界があるとしても、それだけではそこには発生しないある種の意味論がある。脳がある反応をすれば確かに意識が生じるのだろう。しかし、そこで生じる様々な意識はそれぞれが個々の反応としてあるだけで、どれとどれがどう関係するかというものは、その発生とは関係ないだろう。人体Aの脳においてt0の時刻に生じた意識と、t1において生じた意識とは、繋がっているとすることもできるし、しないとすることもできる。ただ世界のありようとして、無意味に生じただけだと捉えることもできるはず。
世界は、我々が意味付けしてはじめて意味あるものになる。
ならば、我々は「私」や「愛する人」や「生きる」ということをどのように意味付けることができるのか。
どのように意味付けるべきなのか。
そのことを問うことに意味はあるのか。
そういうところを、考えようとしている。

この思考実験が問うものは、Kなる人物とは一体誰のことなのかは決して一意的に決まるものではないことを明らかにしたうえで、その問い直しを迫るものであったのだ。そして、それゆえ、わたしがその都度その都度、冒険的に、Kが誰なのかを決定し続けなければならないということを突きつけるものなのだ。

つまり、客観的な過去と見えるものでも、私がこれから行くところは、或る意味で未来でしかないということ。

だから、どんなに、過去をやり直せるかのように見えたとしても、それは新たな未来を重ねているだけだと認めなければならない。それを認めてはじめて、次の一手に自分が何を求めるのかを考え決めることができるようになる。

タイムリープがパラレルワールドの自分に乗り移るものだとすれば、乗り移る先の私に記憶とともに永井均さんの言う<私>も乗り移らなければなりませんね。しかし、乗り移られる側の私にも<私>’があるはずなので、一つの体から同じ「世界」が二つ開けていることになるような気がします。その後、また別のパラレルワールドに移ったとしたら「世界」は分離することなく、一つずつ「世界」が増えていくことになりますね。

年を取ったら自分が若かった過去へタイムリープをするということを繰り返していたら、永遠に若いままでしかも記憶はどんどん積み重なっていくので、学問的にはかなりの業績を上げることも可能かもしれませんね。少なくとも勉強する時間は無限にあることになります。

御坊哲さん、

永井の〈私〉には、複数性を有し得る次元の存在として捉えるべきものを意味する場合と、複数性を許さない唯一の絶対者として捉えるべきものを意味する場合があるようです。ですので、議論に使う用語としてはややこしいので、あまり使いたくないと思うようになってきました。ここで御坊哲さんが言われているのは、他者との並存が許されるような次元の〈私〉ですね。様々の世界をそれぞれに見開く「魂」みたいなイメージでしょうか。そうであれば、おっしゃるとおり、一つの身体に複数の魂が宿り得るものとして、僕はその世界の設定を考えています。

複数の魂が宿り得ることをどう考えたら良いかというのも、たいへん面白い考察の視点になると思います。自分なりに考えてみたいと思います。
興味深い宿題になりそうです。ありがとうございます。

http://sets.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-0eeb.html?cid=139196310#comment-139196310


お久し振りです、工藤です。いま甲府の東横インのノートパソコンから投稿しております。


>うたがっているのは、タカマハラナヤサ、竹村加菜、睫摘、理、工藤庄平の5つの名前です。おかしいと思ってコメントを調べてみたら、どれも同じIPアドレスから送られてきていました。おかしいです。工藤さん、去年入室をお断りしたさいの件と今回の件について、何の説明もないまま勝手に入室されませんようよろしくお願いいたします。もし説明されようとお考えでしたらメールのほうでお願いします。


久しぶりにブログを覗いてみたら、事実無根のホラ話ですか。証拠があるならちゃんと出してくださいね。


>ここ最近書き込んでいるのは工藤さん、Jさん、理さん、(がみ)僕の四人ですかね?
僕はそれぞれ文脈的に別人物だと感じますけども。


わかっている人はちゃんとわかっていらっしゃる。議論でやり込められたからといって、ホラ話を垂れ流すのは頂けないですね。

https://www.google.co.jp/search?q=%E5%B7%A5%E8%97%A4%E5%BA%84%E5%B9%B3
ともあれ、このような濡れ衣というかでっち上げは捨て置けないので、近日中に僕のブログで取り上げさせて頂きます。悪しからず。

工藤さん、
一昨年入室をお断りしたさいの件と上記の件について、何の説明もないまま勝手に入室されませんようよろしくお願いいたします。もし説明されようとお考えでしたらメールのほうでお願いします。snb25229@nifty.com

複数の名を騙ってコメントしたことを認めて謝罪されるのなら、当該のページは削っても構わないと考えていたのですが、それは不要なようですね。
事実無根のホラ話とおっしゃるなら、このブログの管理プロバイダであるニフティに申し立てされれば良いです。僕が言っているように、同一のIPアドレスから複数の名でのコメントがされていたことを確認してもらえると思います。
また、工藤さんご自身のブログ記事にこの事を挙げられるということですが、もし、僕の中傷記事が載るようなら僕の方からそちらのプロバイダへIPアドレスなどの確認や記事削除の請求をさせてもらうつもりです。そういうことになっても、僕が証拠に基づいてものを言っていることを確認してもらえると思います。

おはようございます、工藤です。いま自宅のPCから投稿しております。


>うたがっているのは、タカマハラナヤサ、竹村加菜、睫摘、理、工藤庄平の5つの名前です。おかしいと思ってコメントを調べてみたら、どれも同じIPアドレスから送られてきていました。おかしいです。
>事実無根のホラ話とおっしゃるなら、このブログの管理プロバイダであるニフティに申し立てされれば良いです。僕が言っているように、同一のIPアドレスから複数の名でのコメントがされていたことを確認してもらえると思います。


オカシイですね。仮にこれが事実であるなら、僕の名を騙りつつ複アカで投稿していた人物がいたという事になります。

取り敢えず、第三者にも納得し得るような形で証拠を出してもらわない事にはどうにもなりませんね。


>一昨年入室をお断りしたさいの件と上記の件について、何の説明もないまま勝手に入室されませんようよろしくお願いいたします。もし説明されようとお考えでしたらメールのほうでお願いします。snb25229@nifty.com


発言の機会を奪っておきながら、事実無根のでっちあげは悪質すぎますよ。

泥棒は嘘吐きのはじまり
https://twitter.com/kagekineko/status/247123796648144896


>ここ最近書き込んでいるのは工藤さん、Jさん、理さん、(がみ)僕の四人ですかね?
僕はそれぞれ文脈的に別人物だと感じますけども。


わかっている人はちゃんとわかっていらっしゃる。議論でやり込められたからといって、ホラ話を垂れ流すのは頂けないですね。真実を捻じ曲げる事は出来ないのですから。

工藤さんには、このブログへの一切の入場を拒否しているままですから、これも誰かが工藤さんの名を騙って書き込んでいるのでしょうね。許せませんね。

https://twitter.com/kagekineko/status/247123796648144896
↑紹介の志茂田景樹のツイート面白すぎ。

死んだ彼女と同一の人体と人格の所有者をタイムリープに求めるっちゅうのは、死んだ子どもを諦めて新しい子どもをもうけるみたいなもの、やね。

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