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2016年6月19日 (日)

非物理的クオリアの物理性と死後の生

今日の大阪哲学同好会も面白かった。

野口さんが独自のクオリア論について発表し、そのクオリアシステム自体を考える議論と、その論の有意味性を問う議論がたいへん盛り上がった。それは、僕の理解では、チャーマーズの自然的付随のアイデアとよく似たクオリア論で次のようなものだった。物理的でないクオリアがあって、それは脳内部の物理的な信号伝達機能がだんだん複雑に構成されていって、そこに「意味」が形成されたときに相転移が起こって、そこにクオリアや意識が立ち上がってくる、という物理的な意識構成システムがあるのだという話だ。

ただただ、脳内ニューロンが化学電気信号回路を作ってその回路が徐々に複雑になっていって、徐々に複雑な分析能力を持てるようになっていき、どこかで信号自体の分析を使用することができるようになった段階でその回路は意味を持つことができるようになる、というだけの話であれば、とてもよく分かる。どうなったら脳が意味を持ち得るのかを実験的に探り、研究することができると思われる。しかし、その「意味」なるものが物理的ではない何かであるというのであれば、話は別だ。「クオリア」がその語の意味において非物理的存在だと前提しておいて、そのクオリアが物理的システムによって必ず立ち上がるという話は、どう考えてもナンセンスか矛盾かのどちらかである。

そして、例会を終えて帰宅すると、NHK大河「真田丸」が流れていた。死のうとする高嶋政伸が、生き延びよと言う草刈正雄たちに向かって「お主らの働きぶり、あの世でしかと見物させていただこう」と言っていた。それを聞いて僕には、「死んだ後にこの世を見られるわけがないじゃん」と直感的に思われた。どう考えても、そんなわけがなく、偽なる命題であるはずだと。しかし、よく考えてみると、これはナンセンスでも矛盾でもなく、ちゃんと有意味な発言である。
いくら、死んだ後に意識があるというでたらめ話でも、そういうでっち上げの前提を受け入れるのであれば、ちゃんと有意味なのだ。

この眼前にありありと見えている話でも非物理的クオリアの物理性は何の意味もない話なのに、大河の彼岸という遠い遠いところのほら話でも死後の生はちゃんと意味のある話なのだ。

変なの。変だけど、これは絶対的な真だ。変だけど、直視すべき大切な真実がここにある、ような気がする。

思いつきの言々

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