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2016年5月21日 (土)

A系列・B系列・C系列の関係<時間と生は非実在か2>

マクタガートは、論文「時間の非実在1908」で時間が実在しないことを論証した。この論証は、見ようによっては詭弁に見え、見ようによっては、生の意味を深く掘り下げて問おうとする本質的な思索に思える。この論証が一体何を問おうとし、何を明らかのしようとしたのかを考えてみる。

論証は次のような構成になっている。

1.時系列をA・B・Cの3系列に分けて考える。

2.そのうち、A系列が時間の本質であり、時間に不可欠である。そのため、時間が実在するにはA系列の実在が必要である。

3.ところが、A系列は矛盾していて、実在しない。

4.だから、時間は実在しない。

 

A・B・C系列の定義

ステップ1.時間の捉え方には、A・B・C系列の3種類の捉え方がある。

 定義

A系列:時間を「現在・過去・未来」の視点で分析する時系列
「遠い過去から近い過去を経て現在へ、そして近い未来から遠い未来へと続いている一連の時間位置の系列をA系列とする」(「時間の非実在」第6節)

B系列:時間を「以前・以後」の視点で分析する時系列
「より前とより後とをつなぐ時間位置の系列をB系列と呼ぶ」(同、第6節)

C系列:時間を並び順だけで分析する系列
「このもう一つの系列は――これをC系列と呼ぼう――時間的なものではない。並び順だけがあって変化を持たないものだ。」(同、第23節)

 

A系列

A系列:時間を「現在・過去・未来」の視点で分析する時系列。
A系列は、主体がどの時間位置にあるかという視点でもって分析する。主体の視座がある位置が「現在」で、その現在によって、既に過ぎ去った時間「過去」と、これから来るべき予期の時間「未来」に、時間を分割する。この分割特性を「現在性」と呼ぼう。「時間の非実在」では、A系列は現在性によって定義されているのだが、A系列の本質は「現在性」だけではない。現在が常に動き、事象が変化し続ける。そのことによって、未来は次々と現在に成り替わり、現在は次々と過去に成り替わっていく。この変化もA系列の重要な本質的特性である。これを「変化性」と呼ぼう。この「現在性」と「変化性」を併せ持った時系列がA系列なのである。ただし、マクタガートはこの「現在性」と「変化性」が分離不可能だと考えていたらしく、この二つをわけて論じようとはしていないし、A系列にこの二つを併せ持たせたまま、それを究極的な系列であると断じている。

 

B系列

B系列:時間を「以前・以後」の視点で分析する時系列。
世界の事象を起こった順に並べ年表を作ったなら、それはB系列の時間を持った並び方になる。
たとえば、
「①やきそばUFOにお湯を注いでから、②3分間待って、③UFOを食べる」
という事象があったのであれば、その順番は決まっていて、「UFOを食べて」から「3分待っ」たり、そのあとで「お湯を注い」だりしたことにはできない。
「黒船来航1853」があったから、「薩長同盟締結1866」があったのであり、それがあったから「明治元年1868」になったのである。この順番は決まっていて、「黒船来航」と「薩長同盟締結」の間に「明治元年」を挟み込むことはできない。
このような、並び順とその方向性が決定しているような時間の序列をB系列と呼ぶ。

「たとえば、ドン・キホーテの冒険だ。この系列はA系列ではないと言われる。私はこの瞬間を過去・現在あるいは未来のうちのどれだと判定することができない。それどころか、私はそれが3つのいずれでもないことを知っている。けれども、この系列は確かにB系列だと言われる。ガレー船の奴隷の冒険が、たとえば、風車小屋の冒険より後だということだ。」(同36節)

ただし、B系列にはA系列は含まれていない。

「A系列を伴わないでB系列のみによって形成される時間の中で、事象が事象でなくなり、別の事象になり始めたという事実があれば、我々は、変化が構成されたと言うだろうか。…しかし、これは不可能だ。事象が事象でなくなることはできない。…NがOより以前でMより以後であった場合、その以前か以後かの関係は永久のものである」(同12、13節)

以前・以後の関係は永久にそのままであって、そこに「変化性」は無い、と把握するのだ。

でも、そのようにB系列が順に並んでいるのであれば、その並んでいる状態そのものを「変化」だと捉える、という捉え方をするのも別にアリなのじゃないのだろうか。
たとえば、「UFOにお湯を入れる」という事象があり、その3分後に「UFOを食べている」という事象があるとするのだったら、そのようなB系列だけで、「UFOが食べられるように『なった』」とそれを「変化」として捉えることができるのではないだろうか。
しかし、マクタガートはこれを否定する。

「変化が、絶対時間の数値が異なる2つの瞬間において見つけられることも、そのような瞬間があると想定されることも、あり得ない。同じ議論がここにも適用されるためだ。そのような瞬間はどれも、B系列の中に、それぞれが他より以前だったり以後だったりするような各自の場所を持つだろう。そして、B系列は、それがなくなったり別の瞬間に成り替わったりするような瞬間があり得ないということを、永久に示すのだ。」(同15節)

B系列は、それ自体が永久の関係であり、そこに変化はあり得ない。もし本当に、それを「変化がある」と感じるのであれば、知らず知らずのうちにA系列を密輸入してしまい、そのB系列がA系列を隠し持っているものになってしまっているはずなのだ。A系列がなくB系列しかないのであれば、「UFOにお湯を入れる」という事象と、「3分後に食べている」という事象がそれぞれ固定的にあるだけで、「UFOが食べられるように『なった』」と、「なる」という変化を示す語を用いて、表現することはできないのだ。
(ということは、逆に言うと、A系列の「変化」とは、時空間の中で、単に、時系列に沿って異なる状態が順に並んでいるだけのものを指すものではなく、その異なる状態に「なっていく」という意味を指しているものだとも言える。)
B系列は、順序の並び方と向きは持つが、変化は持たないのである。

 

C系列

C系列:時間を並び順だけで分析する系列。
C系列は、B系列から向きを取り除いたものである。1・2・3・4・5という並び順が1・3・5・2・4という順になれば並び方は異なってしまうが、1・2・3・4・5という順が5・4・3・2・1になっても並び順は同じだと考えたときの、この向きを問わない並び順で時間を捉えるのがC系列である。
このC系列は、「現在性」も「変化性」も「向き」も持たない。そして、逆に、「現在性」や「変化性」や「向き」の中にも、C系列は一切含まれない。C系列とA系列には、互いに同じ要素はなく、完全に別のものである。だから、A系列からC系列を作り出すことはできない。でも、B系列からC系列を取り出すことはできるし、C系列に向きを加えてB系列を作ることもできる。

 

3系列の関係

ちなみに、この「向き」なるものは、厳密に言えば、「変化」と独立のもので、必ずしも変化があれば向きがあるとはしなくても良い、とも考えることも可能なはずだ。だから、A系列に向きがあることを言うのであれば、「A系列とは:「現在性」と「変化性」と「向き」のある系列のこと」とまとめることもできると思う。(ただし、マクタガートは、A系列が究極な系列だとしているので、「現在性」と「変化性」と「向き」の3点が分離可能だとは考えていなかったと思うが。)
だから、このA・B・Cの3系列の関係をまとめると、こうなる。

時間の要素:「現在性」「変化性」「向き」「並び順」の4点

A系列:時間を「現在・過去・未来」の視点で分析する時系列
     
「現在性」「変化性」「向き」をもつ

B系列:時間を「以前・以後」の視点で分析する時系列
     
「並び順」「向き」をもつ

C系列:C系列:時間を並び順だけで分析する系列
     「並び順」のみ

               
 

時間の要素

 
 

「現在性」「変化性」「向き」「並び順」の4

 
 

A系列

 
 

「現在性」「変化性」「向き」をもつ系列

 
 

B系列

 
 

「並び順」「向き」をもつ系列

 
 

C系列

 
 

「並び順」のみの系列

 

 

これを見ると、「時系列を構成するための要素はA系列とC系列以外にはない」(同28節)ということを言えるわけが分かる。
そして、A系列とB系列を比較したとき、A系列もB系列もどちらかが欠けても時間を構成することはできなくなるので、その意味でA系列・B系列のいずれもが時間の本質だと言える。
このときA系列は、マクタガートの考えではその中身を別々の要素の分離することができず、別の系列を組み合わせてA系列を作るということもできないので、A系列はC系列と同様に究極的な時系列だとしている。
しかし、B系列は、その要素を分解して分析することができ、A系列とC系列を組み合わせてB系列を作ることができてしまうので、B系列は究極的なものではない、としている。(同29・30節参照)

 

疑問・「C系列+A系列=B系列」はおかしくないか?

(このA系列とC系列からB系列を作り出すことができるということについて、入不二基義は、次のように言っている。

「単純化して言えば、マクタガートは次のような等式を考えていたことになる。
C系列+A系列=B系列
無時間的な順序・秩序+時間的な変化・動き=時間的な順序関係」(入不二基義「時間は実在するか」講談社現代新書p102)

マクタガートの原書の翻訳が出回っていない中で、我が国内の多くのマクタガート論が、この入不二の著作をもとにして論じられている。その論議のもとになっているこの本が、「C系列+A系列=B系列」と大雑把な表現をしてしまったことが、いくつかの混乱のものになっているように僕は感じていて、たいへん強く疑問を感じている。

「変化と方向を与えるA系列が、C系列と結合されるときにだけ、それは永久性を得て、B系列が生じ得るのだ。」(マクタガート31節)

と言っているところなどから、出てきた考えだと思われるが、これは、マクタガート自身が

「時系列を構成するための要素はA系列とC系列以外にはない」(同28節)

と言っていることや、B系列のみからでは変化生まれないとしていることからも、その解釈は採りにくい。
これは、

C系列+A系列=B系列

ではなく、

C系列+A系列⇒B系列

という意味に解釈すべきだと思われる。つまり、「C系列+A系列」は「現在性」「変化性」「向き」「並び順」の4要素を備えることになるので、そこから、「向き」「並び順」のB系列が作られることはできる。しかし、B系列からC系列を引き算してもA系列が出てくるわけではないということだ。

その書き方で言うとすれば、

C系列+向き=B系列

B系列+現在性+変化性⇒A系列

とも言えることになる。

英語の論文などを検索してみると見ると、「C系列+A系列=B系列」の思い込みがない分、こちらの解釈の方が多いように思われる。)

 

さて、このようにA・B・C系列を捉えるとき、A系列は矛盾するというのが、証明の第2ステップだ。
それは、また明日。

 

つづく

時間と生は非実在か

大阪哲学同好会に来ませんか

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コメント

師匠、ブレイク後のせいか、キレッキレですね。

<僕>は、メタファジックスで考えてみました。どうでしょうか?

時間についてメタファーを使用して考えてみます。「人生」という巻尺です。誰が引っ張り始めたかはわかりませんが、少しずつ巻尺が引っ張り出されます。1日に1日分巻尺が出てきます。巻尺の出てくる所で、「人」は「今」を感受します。引っ張り出された部分は、「過去」です。巻尺の中でまだ巻かれている部分は「未来」です。ある日突然、巻尺が引っ張り出せなくなります。「死」です。
「前」「後」は、基準点を必要とします。基準点(「仮想の今」)はどこでもいいのです。巻尺の出てくる所でも、既に出ているどこかでも、巻尺に巻かれているどこかでもいいわけです。その基準点より「前」が「仮想の過去」であり、「後」が「仮想の未来」となります。巻尺の出てくる所である「今」は、基準点の位置次第では、仮想の過去にも未来にも成り得るということになります。
しかし、そもそも、巻尺の出所である「今」は、本当の「今」と誰が言えるでしょうか。引っ張り始めた「誰か」にしかわからないはずだからです。今、自分が「今」だと思っている「今」が、巻尺の出所である「今」ではなく、巻尺の中や既に引っ張りだされた所の「仮想の今」かもしれないのです。そして、「仮想の今」「仮想の過去」「仮想の未来」が、実は「本当の今」「本当の過去」「本当の未来」かもしれないのです。

taatooさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

>「仮想の今」「仮想の過去」「仮想の未来」が、実は「本当の今」「本当の過去」「本当の未来」かもしれない

その「本当の今」は、マクタガートが「the present」と表現したものじゃないかと思っています。そして、その「本当の今」が問題の本質だと思います。で、そいつはアクトゥアルな視点においてのみ語られるもので、レアルな視点では語られ得ないものだと考えています。マクタガートが非実在だと言ったのは、そういうことではなかったのか、ということを本章では検討したいと思っています。

師匠、こんばんわ。

基準点より「前」が「仮想の過去」であり、「後」が「仮想の未来」となります。と、前回コメントした後で、「前」が「仮想の未来」であり、「後」が「仮想の過去」でもよくないかなと思って、考えてました。で、いいこと思いつきました。

日本語の「前・後」は、二重の意味で使用されているということです。どういうことかというと、①「先(さき)・後(あと)」②「前(まえ)・後(うしろ)」の二通りです。例えば、「3日前」は「過去」です。「3日後」は「未来」です。「3日前」は「過去」ですが、「3日先」は「未来」です。「宿題を後回しにする。」は「未来」ですが、「前もって準備する。」も「未来」です。「3日先」は「未来」ですが、「先日」は「過去」です。

つまり、①が師匠やマクタガードが言うところの「並び順」で、②が「向き」ということじゃないかと思うのです。①は、年表を俯瞰していて、②は年表のある時点に居る「私」が、「未来」という「前」に向いているというような感じです。

と、考えれば、「前・後」の2通りの意味と、「並び順」「向き」の2つが、重なるように思います。

どうでしょうか。

taatooさん、コメントありがとうございます。
前後の二通りの捉え方と、並び順・向きを対応させて考えるというアイデアは面白いと思いますが、正しい解釈にするのは難しいと思います。①「先・後」にも②「前・後」にも必ず向きがありますし、②の「三日前・三日後」には向きだけでなく長さがありますから、①と②の区別をそのまま並び順と向きの区別によるものだとすることはできないとおもえます。
未来と過去の記述は「前後」と「先後」で逆になると決まっているわけでもなく、その辺りもいい加減なようです。たとえば、同じ「先」でも、「問題を先送りする」は未来に送るという意味ですが「問題を先に片付ける」なら過去の方向になってきます。この二通りの言い方があるのは、人が時間を捉える捉え方が二通りあるということに由来するようです。つまり、時間の道を人がどんどん進んでいくと捉える場合その進む方向は、過去から未来への向かうことになります。逆に、人は動かず時間が向こうからやってくると捉える場合その進む方向は未来から過去へ向かうことになります。時間の向きが二通りあるのは、この辺が理由で、「向き」と「並び順」の問題とは独立してると思います。

師匠、なるほどです。
確かに①も②も向きがあります。
向きの性質の違いでしょうか。

ただ、素朴な疑問で、「並び順」にも「向き」があるような感じがするんです。
「昇順」「降順」という時、明らかに双方向性があるように思います。
つまり、C系列に「向き」が内蔵されているのではないか。

また、「過去」「現在」「未来」にも、明らかに「並び順」が想定されているように思います。
つまり、A系列に「並び順」が内蔵されているのではないか。

つまり、系列は、A系列だけでよくて、A系列を中から見るか、外から見るかじゃないかと思うのです。

taatooさん、

「並び順」という言い方に「向き」のニュアンスが含まれている感じがするというのは、僕の訳し方の問題だと思います。「an order」の訳になりそうな言葉の中から向きのニュアンスがいちばん無いものを選んだつもりですが、それでもそのニュアンスを失くしきることができていないので、問題アリの訳だと思います。
ただ、マクタガートの言う「an order」には向きがないことは「時間の非実在性」本文を読めば明白だと思います。taatooさんは「並び順」という言葉の語感からそこに「向き」があると思われているだけなのではないですか。

また、A系列に並び順が含まれているように思われるということに関して、それも僕は違うと思うのですが、これについては今後のブログ記事本文で明らかにしたいと思います。

But it does not follow that, if we subtract the determinations of the A series from time, we shall have no series left at all. There is a series -- a series of the permanent relations to one another of those realities which in time are events -- and it is the combination of this series with the A determinations which gives time. But this other series -- let us call it the C series -- is not temporal, for it involves no change, but only an order. Events have an order. They are, let us say, in the order M, N, O, P. And they are therefore not in the order M, O, N, P, or O, N, M, P, or in any other possible order. But that they have this order no more implies that there is any change than the order of the letters of the alphabet, or of the Peers on the Parliament Roll, implies any change. And thus those realities which appear to us as events might form such a series without being entitled to the name of events, since that name is only given to realities which are in a time series. It is only when change and time come in that the relations of this C series become relations of earlier and later, and so it becomes a B series.

ところが、時間からA系列の規格を取り去ってしまえば後には何の系列も残らないかと言えばそんなことはない。これらの時間内の事実の実在が互いに関係しあう永遠の関係の系列が残るのだ。――そして、それは、時間を作り出すようなAの規格の系列の組合せである。しかし、このもう一つの系列は――これをC系列と呼ぼう――時間的なものではなく、並び順だけがあって変化を持たないものだ。事象は並び順を持つ。たとえば、或る並び順がM、O、N、Pであったとすれば、それゆえにその並び順はM、O、N、PやO、N、M、Pやそれ以外の可能な並び順ではない。もっとも、この並び順の変化が、アルファベット文字や議員名簿のお仲間の並び順の変化以上の意味を持つというわけではない。したがって、これらの、事象として我々の前に現れる実在は、まだ事象の名を冠していないままこのような系列を形成しているのかもしれない。それは、名というものがただ時間としての系列の中にある実在にのみ与えられるものであるからである。C系列の関係から以前・以後の関係に成り替わることによって、変化と時間が現れるときにだけに、B系列が成立することになる。(The Unreality of Time-第23節)

師匠、いつもありがとうございます。
時間の話なので、どうしても、目盛をイメージしてしまうのが、いけないですね。アトランダムな順列ということでしょうか。時間が立ち現れる時の、たまたまの順列のような。野球のオーダーは、どうかな〜。アトランダムな並びにも、序数的な順序は
あるということかな〜。5番ショート鳥谷くんみたいに。

>アトランダムな順列ということでしょうか

いいえ、そういうことでもないのですよ。順番は規則的になっていたとしても良いのです。ただ、C系列には「向き」がないのです。
たとえば、こんな化学分子は実際には存在しませんが、原子が一列にHCOOHというように並んでいる分子があるとします。この並び順をタイプ1と呼ぶことにします。並び順が逆向きのHOOCHになってるものも分子構造は同じですから、タイプ1です。でも、HOCOHは分子構造が異なりますから、タイプ1ではありません。分子構造が同じかどうかを見るには、原子の並び方の向きはどうでも良いのですが、原子の並び方の順番が同じになっていることは見なければなりません。「並び順」は、そういう、HCOOHとHOOCHは同じだけど、HOCOHは違うと判別できるような並び方の順を問う問い方のみを、意図的に抽出したものなのです。

なるほど、師匠今度こそ、わかったと思います。向きが規則性を与えるものだと思ってました。

師匠、しつこいですが。

向きが無いといことと、立体的に全方向から観て同じということが、同じであるということでしょうか?なんか面白い。

この向きなら、M系列(メタファ)でも考えてたように思います。


それで良いと思います。
ただし、ABC系列というのは、時間を分析するための「形式」の名前でしたから、巻き尺のメタファをM系列として、それらと同列であるかのように名づけるのが適切なのかは、よくわかりません。

師匠、申し訳ございません。

トートロジーをトントロジ―と、言いたくてしかたない私を、お許しください。

それはなんだか美味しそうな。

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