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2015年7月12日 (日)

「5億年ボタン」から私の同一性を考える<私の死と「私」の同一性8>

「5億年ボタン」っていう漫画がある。
哲学的思考実験として抜群に面白い。

「5億年ボタン」は週刊SPA!連載の、SOTA(菅原そうた)によるCG漫画『みんなのトニオちゃん』の逸話のひとつ。正式なエピソード名は「アルバイト(BUTTON)」。

ストーリーはこう。
スネ郎という少年に胡散臭いバイトが持ち込まれる。そのバイトの内容は、
 1.ボタンを押せば100万円もらえる。
 2.ボタンを押せば5億年間何もない空間で過ごさねばならない。
 3.その間、年を取ることもなく、死ぬことも自分を傷つけることもできない。
 4.5億年経てば5億年間の一切の記憶を失ってボタンを押した瞬間に戻ってくる。

詳しくはこちらhttp://goodluckjapan.com/5okunenbotan/

この話で、スネ郎の同一性とは何なのかを考えてみた。

ボタンを押そうとして「ヨーシまずは百万!」と言ってるスネ郎をスネ郎Oとし、
5億年世界に来て「やっべッやっぱ。こうなるのかよ…」と言ってるスネ郎をスネ郎Aとし、
元の世界で「お♪よっしゃッゲンナマ百万うっひょーラッキィ♪」と言ってるスネ郎をスネ郎Bとする。

このスネ郎Oは「本当は」Aになるのか、Bになるのか、などと言うときの、「本当」なんてものは、
世界自体に初めっから備わってるものではないはずだ。
某かの主体が世界を解釈をする前の、単なる物理的データのみとしての世界には、意味論的(セマンティクス的)意味があるわけがない。
何の意味も解釈もなくただ素粒子や時空が存在しているだけの世界のはずだ。
そして、その、まだセマンティクスのない世界では、Oが本当はAになるのか、Bになるのか、などという「問い」や「答え」が実在するものとしてはある訳がない。
某かの主体が世界を解釈し始めることで、初めて、「OとAやBが同一なのか否か」という問いや「キリスト教と親和の深い「魂」」などが意味を持つことになるはずだ。

「本当はOはAになるのか否か」などという、主体の絶対的な同一性を問う問いは、だから、意味がないはずだ。

だから、そう考えると、スネ郎Oはスネ郎Aになって5億年を経験してからスネ郎Bになった、というトニオの言うとおりの、スネ郎の同一性に関する解釈だけが絶対的な事実だとは言えなくなる。
スネ郎Oがボタンを押した瞬間にスネ郎Aとスネ郎Bに分裂し5億年を終えたスネ郎Aはその時点で消滅し、スネ郎Aとスネ郎Bはボタンを押した以降の時点では断裂していると、解釈することもできる。また、スネ郎Bが70年ほどの残りの寿命をまっとうした後その70年の記憶をすべて消されて(失って)スネ郎Aになるのだという解釈だってできてしまう。
スネ郎AとBの間に、物理的因果関係の連続性や記憶の連続性がないのであれば、どの解釈が優位であるかということは言えないことになるのだ。

ところが、そう考えてしまうと、主体は生者として生きることができなくなってしまう。

「本当は僕Oは3分後にUFOを食べる僕Aになっているか否かのいずれかである」という命題が有意味な真理値を持つ命題だとしなければ、僕はUFOを食べることができなくなってしまうことになるだろう。

そこで、浮かび上がってくるのが、「思考停止」と「信仰」なのだと思う。
「本当はスネ郎OはAになるかならないかのどちらかだ」などという問いがナンセンスで疑似命題であるという考えは
哲学的に真摯に思索すれば当然出てくる結論のはずだけれども、
そこを、思考停止してしまって、その「本当」があり、それを実体として成立させる「魂」があるとするような「信仰」によって、
「本当はスネ郎OはAになるかならないかのどちらかだ」という問いが、有意味であることを信じきることができてしまうようになる。
そうして、「本当は僕OはUFOを食べる僕Aになる」が有意味な命題であることが疑いえない真実になることによって、僕は3分後の僕も僕であることになる世界の生者になり得るのだろう。

しかし、しかし、この「5億年ボタン」の漫画の設定は、僕たちの信仰の範囲を外れてしまっていて、
単純に、「スネ郎OはAになってBにならない」というのも「スネ郎OはAになってからBになる」というのも「スネ郎OはBになってAにならない」というのも、無条件に信じられる状況を大幅に外れてしまっている。
だから、「スネ郎が何者かになる」ということを無条件に信じることができなくなってしまい、スムーズに生きることができなくなってしまう、ということなのだろう。

3分後の僕が僕であるというのは、僕が勝手に決められることではない。なぜかそうなってしまっているということを信仰として信じ込み、それが真実であることを疑わないようになったとき、僕は3分後にUFOを食べることができるのだろう。

私の死と私の同一性

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大阪哲学同好会掲示板で5億年ボタンについて討論しています。こちらもご覧ください。

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