フォト
無料ブログはココログ

« ダメットが直観主義を推すわけ<意味の意味Ⅱ-1> | トップページ | 言語論的実在論と真なる言明<意味の意味Ⅱ-3> »

2014年8月21日 (木)

ダメットの反実在論<意味の意味Ⅱ-2>

ダメット「実在論(1963)」を読む1

いわゆる実在論といわゆる反実在論の論争というものにはいろいろな種類がある。ダメットは論文「実在論1963」で、その論争を整理したうえで、数学の直観主義的なアイデアをそれらに当てはめて、独自の新しい「反実在論」を立ち上げた。反実在論と言えば「還元主義」が思い浮かべられるが、ダメットによると、還元主義は反実在論の本質ではない。言語論的な争点こそが反実在論の本質とするものである。本節ではこの「反実在論」の内容を見ていく。

種々の実在論

実在論と一口に言っても、普遍論争においての唯名論に対するスコラ教義の「実在論」から、観念論に対して物的対象が実在するという「実在論」や、果ては数学的実在論と言われる「プラトニズム」まで様々なものがある。
Photo_2
一般的に、普遍論争の「実在論」と、物的対象の実在に関する「実在論」は何ら関係がないと言われることが多い。どうかすると関係ないどころか「ある意味で反対の意味だ」などと言われることさえある。普遍論争の「実在論」は普遍の実在について論じているものなのに対して、物的対象の実在に関する実在論いわゆる「唯物論」は物質が実在することを示しているものだからである。
普遍論争というのは、中世11~14世紀の実在論と唯名論が対立した哲学論争である。普遍論争の実在論は、たとえば、「神一般」や「犬一般」の普遍的存在イデアが、「神」や「犬」という「名」に先立って存在していて、「名」はそれを示すものとして後付けで付けられるとする考えである。一方これに対立して、唯名論は「神」や「犬」という「名」こそ、イデアに先立つものであって、「神」や「犬」のイデア自体は実在するものではないとする考えである。この普遍論争の実在論は、そう考えると、心的イメージとしての普遍存在を示すものなので、唯物論的な実在論のように物的対象の存在を示さず、観念論のように心的対象の存在を示すことになる。だから、同じ「実在論」と言っても、普遍論争の実在論は観念論的だと言われることがあるのだ。
また、数学的実在論プラトニズムにしたって、それは所詮、心的な対象の存在を言っていることにしかならないので「唯物論」とは全く別物だと言われることもある。
だから一概に「実在論」と言ったってその中身は全くばらばらなのだ。

ダメットの実在論

しかし、これに対して、ダメットは「実在論」一般を一つにまとめるアイデアを提出する。さまざまな実在論争を「言語論的な争点」で見ることができるとするのだ。
「実在論を巡る論争とは、言語論的にはある種の表現=一般名辞とか物的対象の名前とか=が真の意味で指示を持つかという問いに関するものだ、と言うことができる。」(「実在論」(「真理という謎」所載)邦訳p94・以後引用の数字はすべてこの書のページ数)

この見方では、普遍論争のスコラ教義実在論は「神」や「犬」の名がその指示対象としてのイデアを真の意味で持つとする、とする。また、数学的対象の、たとえば「自然数」の名がその無限の値を真の意味で指示するとし、「電子」という名が顕微鏡でも見られない電子そのものを真の意味で指示するとする。
「実在論」とは、人間の認識に先立ってその対象が存在するという、言語論的論争の立場としてまとめられるというのだ。

係争クラスとダメットの反実在論

実在論をこのように一つにまとめた上で、ダメットはこの実在論に対する「反実在論」を考える。
実在論を人間の認識に先立ってその対象が存在する考え方と捉えたのだから、反実在論は人間の(あるいは、ある主体の)認識があって初めてその対象の存在が言い得るとするものである。

このことをきちんと述べるために、ダメットはまず「係争クラス」という語彙を導入し、実在論・反実在論を規定する。
「実在論と反実在論との間の論争を特徴づけるために、それは存在物のクラスや名辞のクラスに関係するのではなく、言明のクラスに関係するのだという、そういう特徴づけを採ることにする。そのような言明とは、たとえば物理的世界に関する言明、心的事象ないし心的過程・状態に関する言明、数学的言明、過去時制言明、未来時制言明などである。これらの言明のクラスを私は以後「係争クラス」と呼ぶ。そして、私は実在論を次のように規定する。すなわち、係争クラスの言明は、われわれがそれを知る手段から独立に、客観的真理値を持つという信念として、つまり、それらの言明はわれわれから独立に存在する実在によって真か偽かなのである、という信念として規定する。反実在論者の言明はこれに反対して、係争クラスの言明はわれわれがそのクラスの言明の証拠としてみなす種類のものに照らしてのみ理解されるべきだ、という見解を対置する。言い換えると、実在論者はこう信じているのである。係争クラスの言明の意味は、われわれが入手し得るような類の言明の証拠と直接つながっているのではなく、その証拠をわれわれが持っているかどうかに依存しないで存在する事態によって当の言明の真偽が決定されるされ方に他ならないのだ、と。これに対して反実在論者はこう力説する。それらの言明の意味は、われわれがその証拠とみなすところのものと直接結びついており、係争クラスのある言明は、もしそれが真なら、その言明が真であることの証拠とみなすような、われわれに知り得る何ものかによってのみ真であり得る、という仕方で、そうなっているのだ、と。」(p95)
「存在物」や「名」の次元での話ではなく、「言明」の次元において実在論や反実在論を論じるような、言明のクラスを「係争クラス」とする。そして、係争クラスに関する言明が真であるか偽であるかが、その言明の語り手の持っている証拠づけとは関係なく、元々から決まっているとするのが、実在論だと規定する。そして、言明の真偽は語り手が持ち得る証拠によってのみ決まるものでしかないとするのが反実在論になる。つまり、言明の価値は、神の視点によるような真偽にあるのではなく、前節の「真理」でみた「是値」(証明立てられる言明であること)と「非値」(証明立てられていない言明でしかないこと)にのみあるとするのだ。
Photo_3

Photo_4
※1 ダメットは「普遍実在論‐唯名論」に関する言明を係争クラスに入れていない。唯名論は普遍論者の存在と一般名辞の指示的性格否認したが、言明の真偽はわれわれの基準によるか否かによって決まるとは限らないので、反実在論ではないとしているからだ。(ただ、僕はこの部分よく理解できていない。唯名論にも反実在論の部分があるように思えるのだが、そこは深入りしないで措く。)
※2 クラス(類)とは、集合に似た、ものの集まりについての概念である。集合が集まってクラスを作るのだが、集合の要素はクラスの要素にはならない。たとえば、現代の集合論で「すべての集合の集まり」はクラスである。ここでは「何かの類のあつまり」と考えてもらって良い。

還元クラス

次にダメットは、さらに反実在論を考えるために、係争クラスとは違うもう一つ別の、還元クラスという視点を提示する。還元主義においての還元の意味で、センスデータなどに還元されるべきものに関する言明のクラスを還元クラスという。現象主義においてはセンスデータに還元されることに関する言明であり、科学的実証主義においては例えば指針の読みに還元されることに関する言明であり、性格の言明や行動主義においては振舞いに還元されることに関する言明であり、過去については現在の記憶と記録に還元されることに関する言明であり、未来については傾向と意図に還元されることに関する言明である。ただし、数学の場合には還元クラスがない。数学では、その還元クラスを探そうとしても、あるページにかくかくの言明の証明が書かれているとするよりほかなく、センスデータ言明に当たるようなものは無いからだ。
Photo_5

還元クラスがダメでも反実在論がダメじゃないわけ

こうして考えた還元クラスと、係争クラスを比べてみると、還元クラスは反実在論と必ずしも重ならないことは明らかだ。反実在論が言明の証拠を手元に持っているかどうかによってその価値を決めるとするのに対して、還元クラスは言明をセンスデータなどに言い換えることができるかどうかによってその価値を決めるとするものであって、まったく別のものである。これについては節を変えてまた詳しく考えたいと思うが、違う視点であることには異論が出ないだろう。
Photo_8
そして、還元クラスと係争クラスを別のものとして考えると、還元主義が否定されたとしても反実在論が否定されるとは限らないことが分かる。還元主義は様々な批判を受けて、センスデータによる世界記述の不可能性や無意味を叩かれ否定されてきた。その批判は正しい。しかし、だからと言って、反実在論までダメだということにはならないのである。

本節では、ダメットの反実在論を大まかに見てきた。次節でもっと詳しくその内容を考え、反実在論がなぜ二値論理と排中律を拒絶するのかを見ていくことにする。

つづく

意味の意味Ⅱ

大阪哲学同好会に来ませんか

« ダメットが直観主義を推すわけ<意味の意味Ⅱ-1> | トップページ | 言語論的実在論と真なる言明<意味の意味Ⅱ-3> »

コメント

師匠、バトル中で恐縮ですが、質問お願いします。

ひしもちの図の上下左右の枠の、上の枠は、何になりますか?

taatooさん、こんばんは。

菱餅の上の方は還元主義で言語的実在論ですから、センスデータが実在するものとして語り得るとする考え方、正しく「『クオリア私的言語がある』と言える派」じゃないですかね。

なるほどです。ありがとうございます。

taa「この図は、きっと大切。」
too「うん。テストに出るね。」

taatooさんのお名前は、taaさんとtooさんのコンビ名だったのですね。

コンビ名ではないですが、時々分裂するようです。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/548679/60184663

この記事へのトラックバック一覧です: ダメットの反実在論<意味の意味Ⅱ-2>:

« ダメットが直観主義を推すわけ<意味の意味Ⅱ-1> | トップページ | 言語論的実在論と真なる言明<意味の意味Ⅱ-3> »