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2014年5月 3日 (土)

ストーカーの信念をどう糺せるか

信じるってどーゆーことだ? 狂信者を糺すことは可能なのだろうか。

ストーカーによる女殺しをテレビが報じていた。
この世では結ばれないので、殺してあの世で結ばれよーとしたのだそーだ。
なんとも馬鹿げた話だ。いくら一緒になりたかったからって、殺したり自分も死んだりしてしまっては何にもならないと、僕は思う。
しかし、本人はおそらく大真面目なのだろう。
僕は、死後の生活を想定するなんてひどくナンセンスなことだと信じているが、そのストーカーは死後に一緒になり得る可能性が1%なりともあるかもしれないと信じたのだろう。僕の信念は有意味で、ストーカーの信念はナンセンスだと、僕は思う。しかし、僕の信念がストーカーの信念より優位だとする論拠も結局、僕の信念でしかない。
そうであるなら、僕の信念とストーカーの信念のどちらかが正しいと決定づけるような正当性をもとめることは、逆にナンセンスになってしまうのだろうか。

つまり、信じるか信じないかという次元の論議は論拠を要しないので、もはや、それぞれの信念が通じる者同士がそれぞれ別の言語を持つしかないのではないか。原理的にストーカーとは話が通じないのじゃないだろーか。もともと言語が違うのだから。

しかし、ストーカーの信念が馬鹿だと決めつけることもできないとゆーことではない。ストーカーの信念は僕の言語においてバカだ、と決めつけて言えるのだ。ただし、それはストーカーの言語には届かない。彼岸には決して届かない、此岸でだけの叫びなのかもしれない。

ストーカーに語りえないと結論付けるしかないのなら、それも変な話だ。
しかし、言語にできるのは此岸で独り言をつぶやくだけで、たまたまそれが彼岸に届くかもしれないと祈ることしかないのだろー。そしてそれは、言語の外の働きでしかないだろー。

思いつきの言々

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コメント

昭和の時代なら、学校の帰り道で、好きな人を待ち伏せて、けど、声をかけられないで、木の陰から後ろ姿を見送るというような。ストーカーって、純愛だったと思います。

平成の時代でも、本質的には変わっていないように思いますが、現代のストーカーは、すごく利己的で他人の命をかなり軽く見てますね。

好きな人を殺して、自分も死ぬなら、まだ、純愛って認めてあげてもいいけど、自分だけ生き残って、法廷でにやにやと純愛を語ったりする。

人間の体をなしていないです。

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