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2014年3月23日 (日)

所与の神話論と、センスデータのダメなわけ<意味の意味5>

セラーズの所与の神話論から内在主義的基礎付け主義のダメなわけを考える。

 

内在主義と外在主義

知識についての議論において、基礎付け主義に賛同するか反対するか、あるいはJTB説に賛同するか反対するかという論点と似てはいるが、また少し違う別の論点がある。内在主義を取るか外在主義を取るかという視点の話である。
内在主義とは信念が正当化されているかどうかはわれわれの心の中の認知状態だけで決まるとする考え方で、われわれがある知識を持っているか否かは、頭の中を調べるだけで決められるという主張である。これに対して、外在主義は。ある人の信念が正当化されているかどうかを決めるために、その人の心の中の認知状態以外のものが関係しているとする考え方で、われわれがある知識を持っているか否かは頭の中を調べるだけで決められるものではないという主張である。

実は僕自身は、内在主義も外在主義もダメだと考えているのだが、まずは、内在主義について取り上げて考え方を見ていき、そのダメさを考えることにしたい。
 
 

 

センスデータ論

内在主義の中でも最も特徴的なものはラッセルのセンスデータ論のようなものだろう。「いま、ここが、赤い」というような世界の現れをわれわれは感覚として与えられ(感覚所与・センスデータ)、直接的に得る。なぜかは知らないが、そのような直観があるという事実がすでにして在って、そういうものとして現前しているのだから、これ以上の正当化は不必要である。もしかすると私にとって赤く見えているだけで本当は赤くないものが目の前にあるのに見間違っているという意味での間違いはあり得るから、「目の前に赤い物が実在する」という報告をするには正当化が必要になる、と思う人がいるかもしれない。しかし、「私に赤く見えている」という次元での世界把握については間違えようがないはずだ。「赤く見えている」ような気がしているだけで本当は「赤く見えていない」なんていう勘違いは原理的にあり得ない。私が、私に現れる現前を直接的にデータとして受け取り信念として持つのであるからこれ以上の正当化は不可能であり不要であると言うのだ。
それゆえ、センスデータはそれ自身正当化を必要としないのに、他の信念に正当化を与えることができるのである。それ自身が正当化不要で、他の信念を正当化できるのなら、これはすごい認知状態があることになる。このすごい認知状態のもとになるものが、カントの「直観」であり、ラッセルの「センスデータ」であり、前期ウィトゲンシュタインの「私の世界」であり、現象学派たちの「現前」であり、サールの「知覚経験」である(と言っても過言ではないだろう)。これら内在主義者は、この、正当化の無限遡行を不必要にする物凄い認知機能が現に在ることによって世界が理解可能になっている、とする。だから、世界を理解可能にする機能がわれわれに内在していると主張する。
これら「センスデータ」どもは基礎付け主義の基礎的信念となり得て、ミュンヒハウゼンのトリレンマやゲティア問題による批判をものともせずに、基礎付け主義を進展させられることになる。さらに、穏健な基礎付け主義を取るのであれば、演繹情報量非増加の原理にも対応できるから、基礎付け主義は完全に息を吹き返すことになる。
そんなことが可能なのであろうか。
 
 

 

所与の神話

ダメなのである。 ウィルフリッド・セラーズ(1912~1989)が「所与の神話」論によって否定してしまったのだ。
Sellars_2
セラーズは、所与(つまりセンスデータ)とは次の2つを混同させてでっち上げた幻でしかないと言う。
(1)ある感覚によって印象を持つこと

(2)どう感じるかについて命題的内容の有る知識を得ること
の2点である。
(1)は確かに直接的な現前と言えるが、これはまだ知識や認識と言えるものにはなっていない。その現前が何ものであるかを認識するためにはそれを命題化して理解する作業が必要である。(2)は確かに知識あるいは認識である。しかし、直接的な現前とは別物である。(1)と(2)の間には果てしない断絶があるのだ。
Red_2赤いと言うとき、Red_3 は(1)の意味で現前そのものである。それを「赤い」と言うのであれば、それはそのとき(2)の意味で知識化・認識化している。これを正当化不要な直接的な認識としたのがセンスデータ論であったのだが、セラーズはそこに、意味付けのための<無限の断絶>を飛び越えるジャンプがあることを指摘し、それが、現前そのもののレベルと認識のレベルの混乱させた中での単なるでっち上げであることを明らかにしたのである。
Red_4「赤」だと言うとき、それは「正当化」を必要としないどころか、身勝手で無謀で不当な解釈ルールを密輸入させてしまっているのであり、身勝手で無謀で不当に正当化が不要だと決めつけただけのことなのである。「他の信念を正当化できるのに、自分は正当化不要な、センスデータ」などというものは、自分に都合のいいようにでっち上げたものでしかなかったのである。だから、センスデータをもって基礎付け主義の基礎とするというのは、単なる実の無い無意味な空想に過ぎなかったのである。

こうして、内在主義的基礎付け主義は否定される。次節では、何とか意味のある知識論認識論を組み立てようといまだにがんばっている内在主義者・サールを再び取り上げ、内在論が有効になる道が残っているのかを考えたい。

つづく

意味の意味

大阪哲学同好会へのお誘い

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コメント

いつも楽しく拝見させていただいております。
今回の解説もわかりやすく、大変参考になりました。

すずさん、
コメントありがとうございます。
評価してもらえて励みになります。

ものすごくわかりやすい内容で感動しました。
できたら、過去の記事から、興味のある記事を読んでいきたいのですが、記事のタイトルを一覧で表示しているページなどはありませんでしょうか?

森月さん、うれしいコメントありがとうございます。

記事タイトルのすべてを一度に見られるページは無いのですが、
「目次」のページや枠外の右上に表示されている「ウェブページ」の欄に出ている「章タイトル」を開けてもらうと、その章の中の個別の記事タイトルが表示されるようになっています。
(一番目の「はじめに」から「独今論者はカップ麺を食べられるか」まではウェブページがそのまま個別の記事になっているのですが、そのあとの「独我論がダメなわけ」からが章だてのページになっています。)

うわー!ありがとうございます!!!章だてになってるんですね!!これでちゃんと確認できそうです。今から全部印刷して勉強するつもりです。本当にありがとうございました!

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