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2014年2月12日 (水)

意味の内在説と外在説<意味の意味0>

語の意味の意味を考える。語の意味を考えるうえで、いくつか重要な視点がある。記述説と因果説、内在説と外在説などなど。

記述説および内在説での語の意味は、それが命名された後の外的な因果連鎖によって決定すると考える。JSミル、クリプキ、パトナム、デイヴィドソンなどがこの考えを取る。因果説および外在説での語の意味は、話者の心的で内的な記述的志向を対象がどのように満たすかによって決まるとする。ラッセル、フレーゲ、サールなどがこちらに与する。
語の意味論は、この二つの派の対立の中で深められてきた。ウィトゲンシュタインは外在説として捉えられる場合もあるが、僕は外在説でも内在説でもないと考えている。内在説も外在説もどちらも不十分なアイデアで、この対立を越えたところに「言語ゲーム」と「家族的類似」の本来の意味があると思う。ここからは章を立ち上げて、それぞれの言い分を一つ一つ考えていきながら、意味の意味を深めていきたい。
ミルとラッセルの固有名に関する考え方はすでに<語の意味とは何か>のページでまとめたので、ここでは概略だけを引く。

 

J.S.ミル(1806~1873)は、一般名の意味が内包指定でそれがどんな性質なのかを示すものであるとし、固有名の意味が外延指定でそれがどの個体なのかを示すものであるとした。語の意味とは内包と外延であり、一般名は内包だけを、固有名は外延だけを意味する。固有名は外延を指示するだけで、それがどういうものなのかという「意味」を持たないとした。

バートランド・ラッセル(1872~1970)は、「固有名」が外延を指示する機能を持つための条件として「①指示対象がアプリオリに存在する ②特定の対象を名指すことのみがその機能である ③固有名を使う者はその対象を見知っていなければならない」を挙げる。この方向に厳密に考えると、「あれ」「それ」「これ」といった直示的な表現以外は「固有名」だと言えないことになり、このような捉え方をした固有名を「論理的固有名」と呼んだ。論理的固有名には対象を形容するような「意味」は持たない。しかし、一般的な固有名は対象を指示するだけでなく、れっきとした「意味」を持つとしている。
クリプキはミルと同様に、内包を持たない固有名のみの指示があり得ると考え、固定指示子というアイデアを提出している。次節ではこれについて考えていく。

前節の<言語ゲームに他者は必要か>はもともと「思いつき」のページのものとしてアップしていたが、ここで書いた考えを突き詰めることを目指して、章立てしてみようと思うので、前節も本章の一つに入れておく。

つづく

意味の意味

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