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« 「言語論的一元論」と「存在論が言語論に頼らないとダメなわけ」<心は実在するか20> | トップページ | 2014年横山が当面の勉強したいこと »

2013年12月 1日 (日)

哲学者たちの似顔絵

Platon_2 プラトンPlaton BC427~BC347

Aristoteles_2アリストテレスAristotélēs BC384~BC322

Augustinus_2アウグスティヌスAurelius Augustinus354~430
01dekartoルネ・デカルトRené Descartes1596~1650

Hume_2 デイヴィッド・ヒュームDavid Hume1711~1776

Kant イマヌエル・カントImmanuel Kant1724~1804

HegelG・W・フリードリヒ・ヘーゲルGeorg Wilhelm Friedrich Hegel1770~1831

Millジョン・スチュアート・ミルJohn Stuart Mill1806~1873

Carroll0 ルイス・キャロルLewis Carroll1832~1898

Jamesウィリアム・ジェイムズWilliam James1840~1910)

Fregeゴットロープ・フレーゲF.L.Gottlob Frege1848~1925

Mctaggart_2ジョン・マクタガートJ.M.E.McTaggart1866~1925

Russellバートランド・ラッセルBertrand A.W.Russell1872~1970

Wittgenstein1Wittgenstein_3ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインLudwig J.J.Wittgenstein1889~1951

Waismann_2フレードリヒ・ヴァイスマンFriedrich Waismann1896~1959

Ryleギルバート・ライルGilbert Ryle1900~1976

Goodmanネルソン・グッドマンNelson Goodman1906~1998

Berlinアイザイア・バーリンIsaiah Berlin1909~1997

Ayer_2 アルフレッド・エイヤーAlfred Jules Ayer1910~1989

Sellars_3 ウィルフリッド・セラーズWilfrid Sellars1912.5~1989

Turingアラン・チューリングAlan Turing1912.6~1954

Davidson_4 ドナルド・デイヴィドソンDonald Davidson1917~2003

Anscombe_3エリザベス・アンスコムG.E.M.Anscombe1919.3~2001

Strawson_2 ピーター・ストローソンPeter Frederick Strawson1919.11~2006

Photo大森荘蔵1921~1997
Dumett_2マイケル・ダメットMichael Dummett 1925~2011

Putnam ヒラリー・パトナム Hilary Whitehall Putnam1926~2016

Gettier_3 エドムント・ゲティアEdmund L. Gettier1927~

Shoemaker_2シドニー・シューメーカーSidney Shoemaker1931~

Searle ジョン・サールJohn Searle1932~

Negel2 トマス・ネーゲルThomas Nagel1937~

Gilbertharman_4ギルバート・ハーマンGilbert Harman1938~

Kripkeソール・クリプキSaul A.Kripke1940~

Block_4ネド・ブロックNed Block1942~

Dennett_3ダニエル・デネットDaniel.C.dennett1942.3~

Inwagen_2ヴァン・インワーゲンPeter Van Inwagen1942.9~

Jackson_2 フランク・ジャクソンFrank Cameron Jackson1943~

Nagai  永井均1951~

Nobuharayukihiro信原幸弘1954~

Irifuji_4入不二基義1958~

Chalmers_2 デイヴィッド・チャーマーズDavid John Chalmers1966~

Stoljarダニエル・ストルジャーDaniel Stoljar

Suzukitakayuki鈴木貴之

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コメント

上手いですね、かなり。字も。
僕は美大を出てるんですけど、美大生でもこんな感じで描ける人は少ないです。

がみさん、お褒めの言葉ありがとうございます。

美術大学ですか。いいですね。
落書き大好きですので、美術大学にも行きたかったです。結局、教育大学でて教員の道を選んだので、今も憧れの心を持っています。

え~、永井さんって、たらこ唇じゃないと思います。私は、メアリーのイラストが一番好きです。なぜかヘルメットがももクロ風だし。

横山さんの言う言語には、こういうイラストも入ってるんですか?絵を描くって、クオリアを捉えようとしてる気がするんです。とすれば、クオリアも意味が無いことはないのでは。

taatooさん、お早うございます。
コメントありがとうございます。

ウィトゲンシュタインの「論考」では音声も文字も絵も様々なデータ記録媒体も「像」だとしていると僕は解釈していて、これらの像が現実の像として適切か否かが判断されるべきときにはすべて記述的言語として認めるべきだと考えています。
だから、イラストも僕のいう言語になり得ます。しかし、足し算に対してクワス解釈が許されるように、イラストそれ自体も無限の解釈を許します。僕は永井が口を開けている顔を描いたつもりでしたがタラコ唇と解釈することも可能ですし、タラコ唇解釈が正しいかどうかなんて基準は実はイラスト自体にあるわけではありません。そのイラストをどう扱い解釈するかという言語ゲームがあってはじめて基準もうまれるのだと思います。そのようにかんがえるとイラスト自体も私的言語としてクオリアを指示できると捉えることには無理があると、僕は思います。どうでしょうか。

確かに開口とも見えますね。しかし、私にはどうしてもタラコ唇に見えてしまいます。タラコ唇のほうが、意外と永井さんの雰囲気が出てたりします。例のアヒルとうさぎの絵の話といっしょですね。観察の理論負荷性。観察は人それぞれなのに、私的じゃないんですね。

しかし、私的言語も無く、クオリアも無く、独我論も無いとしたら、横山さんの哲学の中に、「コギト」は居ないのですか?永井さんの<私>や独在論も無いのでしょうか?

もひとつ質問です。横山さんの言語って観念ですか?

taatooさん、コメントありがとうございます。

だれとも語り合うことができないような私的なコギトは横山にとっては存在しない。・・・と表現したとしても、あながち的外れではありません。ただし、私的言語でしか語れないような内容は有るとも無いとも言うことはできないというのが僕の考え方です。丸い四角は有るとか無いとかと言うことに意味がありますけれど、マシルカイクが有るとか無いとかと言うことには意味が無いのと同様です。だから、僕の考え方で正しく言うと、私的なコギトはナンセンスであって、有るわけでも無いわけでもない。・・・となります。
語り得ないことは黙る以外ないという考えです。

それから、このブロクで僕が言語とか言葉とか言っているのは、世界を理解するための形式です。比喩を使っていいなら、世界を切り分ける包丁であり、切った断片を整理するサンプルケースであるようなものとして、言語を考えています。

p.s.
永井の口を少し手直ししました。余計に悪くなったかもしれませんが、たらこ唇ではなくなったかな。

僕の言語観について上のでは説明が足りないように思ったので補足します。[世界はそのままではその真偽を問うことも語ることもできない。世界を理解するためには、真か偽かを問える形にする必要がある。そしてそのような真偽の可能性を語り得る内容をすべて集め組み合わせた論理的空間がにんげんに思考できる範囲であり、語りえる範囲である]…としたのがウィトの「論考」です。
世界を記述しようとをするときに、世界を真偽という眼鏡で測れるようにする装置が言語だと僕は考えていて、その意味で「形式」だと回答したわけです。

で、またソシュールによると、「言語」と言ったときその対象は「シニフィエ」をさす時と「シニフィアン」をさす時があります。シニフィエは記号の内容、シニフィアンは記号の表現のことです。シニフィアンとしては、イラストも音声も文字も言語になりえると考えてよいと思っています。しかし、そこからシニフィエを取り出すには解釈やゲームが必要になります。上の回答の仕方だとそれを混乱されると思い補足させてもらいました。

イラストの件、すいません。直されなくてもよかったのに。

丁寧な回答ありがとうございます。理解できたと思います。私的な私は語れなくて、公的な私は語れる。観念は私的だから語れない。言語は形式である。

私というゴーグルをかけさせられ、言語という拘束具を身につけ、ゲームに参加させられている。だからこそ、語り得ぬものに、思いを馳せる。

だと思いました。

フッサールとデリダの新たな地平、楽しみです。


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