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2013年11月21日 (木)

「中国脳」と「コウモリ」がダメなわけ<心は実在するか19>

ブロックの「中国人民」の話はサールの「中国語の部屋」と同様の視点での唯物論批判であり、ネーゲルの「コウモリであるとはいかなることか」はジャクソンの「メアリーの部屋」と同様の批判であるので、ここでは簡単に補足するだけにする。

 

「中国人民(中国脳)」がダメなわけ

「もし中国の人民一人ひとりにニューロンを一つずつシミュレートさせ、彼らに無線によるリンクを装備させてシナプス結合を再現させれば、それで脳の機能構成が出来上がる。しかし、まちがいなくこの奇怪なシステムに意識はないだろう。」(1978)ネド・ブロック

中国脳の思考実験はパラドクスにならない。他者の脳を中国脳として考えるのなら、その一人一人が「言語ゲーム的意味論」を持っていると言える。「現象的な意味論」は自分の脳ではないのでその有無は調べようが無く、語り得ない。だから、パラドクスは無い。
自分の脳のニューロン一つ一つが中国人であったとき、そこに「語り得ない非機能的な現象的クオリア」があることは想像できるか。僕はできる。だからパラドクスは無い。ただし、もっと正確に言うと、想像できたと語り得たその対象は「反省的クオリア」でしかなく、本来の「現象的クオリア」はやはり語りえないので、もともとパラドクスは無い。

 

「コウモリであるとはいかなることか」がダメなわけ

「コウモリのソナーが知覚の一形態であることは間違いないとしても、その働き方はわれわれのいかなる感覚器官とも類似していない。ソナーによってコウモリが知覚しているものが、われわれが体験したり想像したりできる何かと似ていると想定する根拠はないのである。」(トマス・ネーゲル「コウモリであるとはいかなることか」1974より)

コウモリの体験を想像することができるとかできないとか言える根拠が実は無い。
言語ゲーム的意味論として「コウモリであるとはいかなることか」は語り得る。
それに対して、確かに、現象的意味論として「コウモリであるとはいかなることか」は問うことができない。しかし、「コウモリにはコウモリの体験がある」ということ自体がナンセンスなのだ。

結局、唯物論を批判しようとするアイデアたちはどれも語り得ないことを語ろうとしたがために、ダメだったのである。

 

 

7.語り得ないことについては沈黙せねばならない。「論理哲学論考」ウィトゲンシュタイン

 

つづく

<心は実在するか>

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コメント

こんにちは、工藤です。今し方拝読致しました。では、コメントをいくつか。


>コウモリの体験を想像することができるとかできないとか言える根拠が実は無い。
言語ゲーム的意味論として「コウモリであるとはいかなることか」は語り得る。


既に縷言した
http://sets.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-fa43.html#comment-80384422
http://sets.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/2013721-a380.html#comment-81831627
http://sets.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-4ba2.html#comment-81879454
通りですね。

では、そろそろ科哲へ。

私が唯物論的物理主義を支持しない理由の一つに、この中国脳の思考実験がありましたね・・・。
自分が感じている意識や自由意志自体が中国脳に当たる機能そのものか、それによる錯覚では有り得ないことは自明だと確信していますので。
中国脳がそれとは動作メカニズムが異なる人間の脳と同一になりえないのであれば、
中国脳は唯物論のパラドクスにならないと思います。
ただし、もし中国脳に意識や現象的クオリアが宿るとすれば、それは中国脳の機能自体の内にあるのではなく、物質と異なる心的要素か魂が中国脳を通じて作用するという、二元論的な立場でしか有り得ないと自分は思っています。
つまり、中国脳などのニューロモデルをシミュレートしたチューリングマシンによる、意識を持った「強いAI」の実現は、唯物論的立場では有り得ないということですね。
いずれにしても個人的には、人間の脳は想像以上にはるかに複雑な動作をしているからこそ、現象的意識が現れるのだと考えていますが。

遅れながらいくつか補足です。
別に中国脳説でも言語意味論的・論理的面でマシン機能主義や強いAI説を否定できるわけではないことには同意です。
人間の意識や心自体に関する命題の証明は不可能だと考えていますので。
私が本当に言いたいことは、自分の主観的経験の観点から、自分が実感している意識やクオリア自体がコンピュータの動作そのものか、それが直接生じているものでないという確率が100%に近いものだと言えることです。

亜留守さん、コメントありがとうございます。

このブログを読んでいただいたら、僕のクオリア観が「機能をもたないとされるクオリアの否定」であることは分かってもらえるとおもいます。
それに対して、亜留守さんは非機能的なクオリアが語りえるとされる立場のように感じましたが、合っているでしょうか。

>亜留守さんは非機能的なクオリアが語りえるとされる立場のように感じました

非機能的クオリアが語り得るかに関わらず、決定的チューリングマシンに基づいたAIシステムではクオリア自体が生成不可能とする立場です。
私はどちらかと言えば物理還元主義より生気論に近い立場を支持しています。
ちなみに非機能的クオリアが語りえない記事も読みました。これに関してはその記事でレスします。

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