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2013年9月29日 (日)

機能主義と意識のハードプロブレム<心は実在するか10>

機能主義とは

唯物論の解釈のうち、行動主義と同一説についてそのダメなわけを見てきた。この行動主義と同一説のダメなわけをクリアするために機能主義が考えだされた。
行動のすべてに関する機能によって、その場面場面の脳状態は心的状態と同一視することができるとしたのが機能主義である。隠れた内面を無理に引きづり出して捉えようとするのではなく、外的に発揮される機能を問題にしようというのだから、機能主義はいろいろな面で行動主義に似ている。また、機能に注目することを方策として心脳を同一視しようとする考え方なので、機能主義は同一説の一種である。(正確に言えば、機能主義は必ずしも同一説に含まれない。同一説以外の機能主義もある。しかし、本節では機能主義の中でも主流の、同一説に含まれる機能主義を「機能主義」として扱っている。)
行動主義に似て、同一説の一種であることからも分かるように、機能主義は行動主義と同一説の「良いところ取り」をした結果生まれたものである。

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機能主義と行動主義の違い

では、機能主義は行動主義とどこが違うのか。それは、外面に表れる行動そのものや外面から知ることにできる傾向性そのものだけでなく、その行動や傾向性の原因となるような機能についても、心脳の同一性の判断材料にすることができるようになったとことだ。
たとえば、行動主義のカップルがベッドを共にしたあとで「君はすごく楽しんだけど、僕が楽しんだかどうかは君に聞かないと分からない」などと問い合わなければならないような問題は解消する。自分自身が楽しんだかどうかは、自分の身体的反応の因果的機能を、因果的身体的機能として感じ、因果的身体的機能として発言することができるからだ。自分がどう感じたかを思い考えること自体も因果的機能だと捉えるのだから、思ったこともそのまま自分の心的状態として考えていいのだ。単純に「僕はすごく楽しかったと思える。だから、僕はすごく楽しんだ。」と言っていいのだ。(説明のため、変な言い方になっちゃったけど、単に「僕はすごく楽しんだ」で十分なのだ。)
たとえば、行動主義の立場では、深昏睡の患者が赤色や痛みの感覚を持つことは定義上あり得なかったが、機能主義の立場では、深昏睡のために行動に表れない心的状態も脳状態の分析によって測ることも可能だとするのである。そんな測定が現実的にできるかどうかという問題以上にこの二者が違うのは、原理的に深昏睡患者の心的状態が無いとせざるを得なかった行動主義に対して、原理的に深昏睡患者の心的状態もあるのだとできるのが機能主義だという点である。

 

ブラックボックス機能主義とコンピュータ機能主義

機能主義にとって心的内面とは「機能を果たしその原因となる何か」でしかない。結局、心的内面について直接それが何であるかを問うことはせず、心の中を全部「機能の原因であるところの何ものか」というブラックボックスに入れてしまって考え、外側に現れる機能だけで問題を語ろうとするような心の捉え方である。それゆえ、この機能主義を「ブラックボックス機能主義」と言う。
これに対して、脳は心のハード面を担当するコンピュータのようなものであって、心はそのコンピュータ計算機で働く計算的な状態であると解釈するような「コンピュータ機能主義」が展開された。脳内外の神経が適切な回路になっていてプログラムが走るのであれば、そこに心が生じる。また、たとえば宇宙人の脳がシリコンゼリーでできていたとして、それが適切な回路になっていて適切なプログラムを走らせることができるのであれば、そこに心が存在し得るとするのである。

迷走気味だった唯物論もここまできてようやく一つの形が定まってきた。世界は物質的な存在のみによってできていて、世界を説明するのに物理法則以外の法則はなくても良い。心というものは、すべての因果的な機能を判断基準として問われるべきものであり、物理的因果法則以外の超自然的な法則などには一切頼ることなく、語り得るものである。それゆえ、ある有機体において行為の原因となるような内的機能が発揮されているのなら、そこに心は存在していると言っていいのだ。だから、「私」に心があるように、「他者」にも心はある。
といったような感じで一般的な唯物論の形が決まってきた。まあ実際には、唯物論といっても千差万別様々ではあるのだが、20世紀時点での大まかな形はここである程度出来上がったと言って良いと思う。

 

様々な認知モデル

この唯物論の考え方を受けて、様々な方面で心とはどういうものかについての研究が行われた。
認知科学の方面では、デネットらによって人間の脳内で意識は如何にして働くかを示すような意識の認知モデルが研究され、生物学方面でも神経生物学の理論展開があり、物理学の方面でも量子論などを利用しようとした研究がなされ、コンピュータ学方面では「アトム」のように自ら考える計算機を作ろうとし、プログラミングする研究がなされた。「心とは何物か」「心は如何に働くか」についての多彩なアプローチが試みられ、いろいろな成果が挙げられた。

心の研究の一つとして、機械が考えているかどうかの測り方というものも考案された。機械によって心を作ることが可能なのであれば、その機械が実際に本物の心として「考えることができるか」を確かめるテストが必要である。そこで考えられたのがアラン・チューリングの考えた「モノマネゲーム」(チューリングテスト)である。
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このゲームは男性Aと女性Bと質問者Cの三名で行われる。Cはほかの二人と別室にいる。Cは男性および女性とそれぞれテレタイプを用いて会話を行い、ABのどちらが男性でどちらが女性かを当てる。男性は女性の真似をして自分が男であることを見破られないようにする。ここで、この「モノマネゲーム」でコンピュータが男性の代わりにAの役をするようにさせて、質問者を騙すことができるかをテストする。(「計算機と知性」p1)

このテストに合格すればその機械は自分でモノを考えていることにできるというのだ。まさしく行動によって心を判断している点で行動主義的であり、機能主義的である。

また、時代はずっと新しいが「ダンゴムシにはこころはあるのか」(森山徹)というユニークな心の研究などもされている。この研究によると、心とは「生物が行動をとる際に隠れている余計な行動の原因」であるとして、様々なパターンでダンゴムシの行動からその内的状態を探っている。ダンゴムシの行動パターンは比較的決まっていて状況に応じてどう行動するかはおおよそ予測可能である。ところが急に不自然な状況にダンゴムシを追い詰めていくとダンゴムシはパニックを起こし普段は見せない行動を見せると言う。単に行動の脳内プログラムが事前に身体的に決まっているところへ異常事態が起こると決まっているパターンでは対処できなくなるので、そこで自分なりの必死の行動を考え表出するらしい。ここで、パニックを起こしながらも何か自分なりの行動を起こしているという状況があるというそのこと自体がダンゴムシに心がある証拠だと考えられる・・・と森山は言う。大変興味深い研究である。

 

意識のハードプロブレム

このように、様々な心の研究が大きな成果を上げつつある。しかし、その中で、デイヴィッド・チャーマーズ(1966~)は、これらの心の研究はどれも心の平易な問題しか扱っておらず、「本当の難問(ハードプロブレム)には手をつけないでいる」と言って批判する。

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還元による意識の「説明」は、認知の機能について驚くほど洗練された説明を生み出すだけでしかない。コネクショニストのネットワーク、非線形力学、人工生命、量子力学といった「革命的」進展でさえより強力な機能的説明を生み出すだけだ。これで意識の謎が取り除かれることはない。…物理用語だけで記述しようとしてもそれは最終的には物理過程の構造特性と力学特性によって与えられ、それが如何に洗練されても、さらなる特性と力学を生み出すだけのことである。意識の問題は構造と機能の説明に関する如何なる問題も越えたところにある。
(「意識する心」和訳p161)

脳状態から外的機能がいかにして生まれるかという問題はどれほど洗練した形で説明されたとしても所詮、平易な問題イージープロブレムでしかない。本当の心の難問ハードプロブレムは脳状態から主観的な意識体験がいかにして生まれるかという問題である。心について、いかに優れた研究が為されていようと、それが機能と構造についての研究であればどこまで行っても外的機能と構造についてしか語ることはできない。意識の問題には手つかずのままなのだという。
唯物論は心の中の意識や現象的な質については何も語らずまさにブラックボックスの中に入れたままにして話を進めるのだが、チャーマーズは意識の問題を取り残しておいては、心の問題は解決したとは言えないと力説する。

チャーマーズはこの意識の問題についてクオリアやゾンビの思考実験を取り上げて説明し、唯物論がダメなわけを説く。
それについてはまた次節で考える。

つづく

<心は実在するか>

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