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2013年2月18日 (月)

装幀があってはじめて一冊の本

本はその中に書かれている物語や思想の内容がその本質であろう。本の表紙がなくても、紙がなくても、文字がなくても、その中味が読者の心に届くのであれば、その本は存在意義があると言えるだろう。

しかし、文字なくして、紙面なくして、装飾なくして、その内容は読者に伝わることはない。豊かな装幀を持つ本はその中味を豊かに読者に伝え、豊かな時間を持たせてくれる。
それゆえ、本はその中味だけが本質だというのは誤った思い込みなのだ。装幀があってはじめて本はその本質的な意味を持ちえるのだ。

装幀があってはじめて一冊の本なのだ。

 

人間の生命は、その精神、ものを思い、感じる内容がその本質であろう。人間の髪の毛がなくても、手足がなくても、脳がなくても、思考や感情が存在するのであれば、その生命は存在意義があると言えるだろう。

しかし、視覚なくして、皮膚感覚なくして、世界を実感することはできない。豊かな感覚を持つ身体は自然環境を豊かに感じることができ、豊かな時間を持たせてくれる。
それゆえ、人間の生命は精神だけが本質だというのは誤った思い込みなのだ。身体があってはじめて生命はその本質的な意味を持ち得るのだ。

身体があってはじめて一人の人間なのだ。

 

私は私の身体があってはじめて本質的な意味を持ち得るのではないのだろうか。

 

思いつきの言々

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コメント

工藤さんこんばんは。
ありがとうございます。

工藤さん、
クリプキのクワス算とかに関する話なのですかね。行って話をお聞きしたいですが、残念ながら遠すぎますね。発表頑張ってください。

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