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2012年7月31日 (火)

語の意味を確定しようとしてはダメなわけ≪「哲学探究」を探求する13≫

「モーセがいる」の論理文

ラッセルの固有名の問題について、もう少し突っ込んでかんがえてみたい。語の意味とは何かということについて、ウィトゲンシュタインは次のように語る。
「人が「モーセは存在していなかった」と言うとすれば、それはさまざまなことを意味し得る。イスラエルの人たちがエジプトから脱出したとき彼らには特定の統率者がいなかったと言うことでもあり得るし、或いは彼らの統率者はモーセという名ではなかったということでもあり得るし、或いはまた、聖書がモーセについて語っている事柄の全てを成就した人間などいなかったと言うことでもあり得る-等々。ラッセルによれば「モーセ」はさまざまな記述を介して定義し得ると言うことができる。たとえば「イスラエルの人たちを荒野の中で導いた人」「この時代この場所に生きて当時<モーセ>と名づけられていた人」「子どものときファラオの娘によってナイル川から引き上げられた人」等々。それゆえ、あれやこれやの定義を仮定することによって「モーセは存在していなかった」という文章が違った意義を持つことになり、同様にして、モーセに関する他のあらゆる文章が違った意義を持つようになるわけである。だから、人が「Nは存在していなかった」と我々に言うとき、我々も「あなたはどういうつもりなのか。あなたは○○と言いたいのか、それとも○○と言いたいのか」と尋ねるのである。…」(「探求」第79節)

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「モーセはいた」の文の真偽はどうすれば決められるか

「モーセ」を固有名として捕らえると、「モーセがいる」の論理文は単純に
「モーセが存在する」
∃m(∃は存在する、mはモーセのBeduitung指示対象)
となるはずである。しかし、前節の論理的固有名の考え方によると「モーセ」はもはや直示できる対象ではなくなってBeduitungを失い、固有名とは言えなくなるので、∃mでは何を指しているか分からなくなってしまう。だから、「モーセがいる」の論理文は
「或るものが存在し、それはモーセである」
∃x(Mx)
(xはあるもの、MxはあるものがモーセのSinn(内包的意味)をもつこと「モーセである」)
というように「モーセ」のSinnを表す述語「モーセである」Mxを用いなければならないことになるのである。
<※ただしこれではモーセが単独の一人しかいない個人であることが言えていないので、厳密には、
「モーセは少なくとも一人存在し、多くとも一人である」
∃x(Mx)・∀x(Mx→∀y(My→x=y))

となる。しかし煩雑になるのでここでは簡略に ∃x(Mx) で代用することにする。>
そこで、「モーセである」とは何を意味するのかということが問題になってくる。たとえば、「イスラエルの人たちを荒野の中で導いた人」であることをM1とし、「この時代この場所に生きて当時<モーセ>と名づけられていた人」であることをM2とし、同様に、M3、M4…といろいろなモーセ像を考えていくことができる。
そしてこのときに、「モーセがいる」という文は、
∃x(M1x)「イスラエルの人たちを荒野の中で導いた人がいる」
を意味するかもしれないし、
∃x(M2x)「この時代この場所に生きて当時<モーセ>と名づけられていた人がいる」
を意味するかも知れないし、
∃x(M1x・M2x・M3x…)「これらの条件が全部そろっていること」
を意味するかも知れない。
「モーセがいる」という文がこの様々な意味のうちのどれを指しているのかは、結局その文を語っている人に尋ねなければ分からないのである。ラッセルは、その語がどのような条件の時に真でどのような時に偽なのかということがすべて決まっている場合に、その語の意味が初めて確定されると言う。もし、その条件が一部でも決まっていないのであれば、語の意味は確定されていないことになり、「モーセがいる」という文は何を意味しているのか分からないナンセンス文になってしまうことになると言うのだ。

 

「モーセがいる」の意味を確定し得るのか

このことについても、探求79節は疑問を投げかける。
「…私が今モーセについてある言明をしたとすると、私には常にこれらの記述のうちのどれか一つを「モーセ」に置き換える用意はあるのだろうか。もしかすると、私は「モーセ」という語によって聖書がモーセについて語っていることを行った男、或いはその多くを行った男のことを了解しているのだというかも知れない。しかし、私はどのくらい多くのことまで考慮すべきなのか。自分の言明を偽として放棄するためにどのくらい多くのことが偽と証明されなくてはならないのか、私はすでに決めてしまっているのだろうか。…」(「探求」第79節)
だいたい、「モーセがいる」という文を語るときには、「モーセ」という語がいかなる条件に当てはまるのかを事前に完全に把握してからでないと言えない、なんてことがあるだろうか。自分でもある程度の条件しか決めていないのが日常語では普通であり、そのある程度の理解だけで十分こと足りるのだ。もし、すべての真偽条件を決定し終えていないと語の意味が分からないというのが本当だとしても、その真偽条件を確定し終えることなど人間には不可能なのではないだろうか。真偽条件はいくらでも、やろうと思えばそれこそ無限に問い続けることができるのだから、真偽条件を事前に確定するなんてことはできるはずがないのだ。だから、不十分な真偽条件しか提示できなくても仕方ないのだし、それでしか人は語りようがなく、それで十分なのではないだろうか。
そして、79節はさらに続く。
「…もう一つ別の場合を考察せよ。私が「Nは死んだ」と言うとするとき、「N」という名の意味については、おそらく次のような事情があり得よう。私の信じるところではある人間が生きていて、その人を私は①某所で見たことがあり、その人は②何某の姿をしており、③何某のことをなし、④社会ではこの「N」という名で通っていた、等々。-「N」という名で私が何を了解しているかと問われれば、私は、これらの全てや、或いはそのいくつかを挙げ、異なった状況の下では異なったものを枚挙するであろう。すると、「N」に関する私の定義は「これら全てに該当する人」ということになろう。-ところが、今そのうちのどれかが偽であることが判明されたらどうか。-私にとって枝葉末節と見えることだけが偽と判明された場合にも、-私は「Nは死んだ」が偽になると宣言する用意をしなければならないのだろうか。だが、枝葉末節か否かの境界はどこにあるのだろうか。…このことを人は次のように表現することができる。私は「N」という名を固定した意味なしに使用しているのだ、と。(しかし、このことはこの名の使用をほとんど妨げない。ちょうど、テーブルが三脚の代わりに四脚で立っており、その状態によってはぐらぐらするということが、そのテーブルの使用を妨げないのと同じである。)語を使っているのに、その意味を知らないのだから、私はナンセンスなことを語っているのだと、人は言うべきであろうか。-どういう事態であるのかを見てとることの妨げにならない限り、自分の言いたいように言うべきである。…」(「探求」第79節)
語の意味は完全に確定させることができなかったとしてもそれでいいのだ。私が「Nが死んだ」と語るとき、「N」の真偽条件としての意味は「どんな姿だったか」と尋ねられれば答えられるし、「どんなことを為したか」と問われれば答えられる。しかし、無限にすべての質問への答えを事前に用意しておくことなど、人間にはできない。私は自分で語る語の意味を自分で固定することができないのだ。そして、語の意味が固定できていないからといって、すぐに語の使用を妨げられるとは限らないのだ。「Nが死んだ」と私が言うとき、「Nが私の親友だったかどうか」いうのは私にとって大問題だから、「死んだのは私の親友ではなかった」ということが発覚すれば「Nは死んだ」という文の信用性は大きく失う。けれども、「Nが2012年8月2日に苺ミルクのかき氷を食べたかどうか」というのは枝葉末節の問題でしかないから、「Nが食べたのは苺ミルクではなく宇治金時だった」ということが発覚したとしても、「Nが死んだ」という文の信用性がぐらつくことはない。Nが苺ミルクを食べたかどうかなど知らなくても「Nが死んだ」と言うことはできるし、私がその意味を知らないナンセンス文を語っているなんていうことになるわけがないのだ。人は自分の語る語の意味を固定していなくても、語を語ることができるのだ。ただし、自分が語っている語の意味を自分で確定していなくてもいいと言ったからって、あまりにでたらめで言語ゲームが成り立たないのであれば、それは何も語っていることにはならない。テーブルの脚の4本のうちのどれかが欠けたとしても大丈夫なのだけれど、テーブル自体がひっくり返ってしまってはダメなのだ。大切なのは、言語ゲームの駒として語が仕事をしているかどうかである。意味が固定されていなかったとしても、言語ゲームが成立しているなら語は正しくその役割を果たし、真なる意味をもちえるのだ。
人間は語の意味をすべて確定させることなどできないのだから、そのような語り方しかできないのであり、意味が確定できないままに言語ゲームを成立させる語り方こそが、本当に正しい、本来の真なる文であるとすべきなのだ。

ウィトゲンシュタインは、言語ゲームの中での語の意味や言語ゲーム自体の中身が、くっきりと線引きをして決定できるようなものではなく、ぼんやりとした重なり合いと関連性と大まかな類似性の網目の中でしか決められるものでないことを「家族的類似性」と呼ぶが、これについては、次節で。

つづく

「探究」を探求する目次

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コメント

こんばんは、工藤です。
いい感じで書き進んでおられますね。近いうちに独我論の論駁と永井氏の近刊についてコメントさせて頂きます。
では、また。

工藤さん、ありがとうございます。
永井の新刊というのは「ウィトゲンシュタインの誤診『青色本』を掘り崩す」でしょうか。
本も、工藤さんのコメントも、ほんとに楽しみに待っています。

鈴木です。ふたたび私的言語について論じます。
永井さんが「私的言語が可能でなければ言語は不可能です」といった意味が、かれの『なぜ意識は実在しないか』という本をひもといてみてよく分かりました。
その言葉の前で、かれはそれを説明して「言語は導入時には他者から伝授されますから他者とのコミュニケーションこそがなくてはならないものですが、しかしその後はむしろ逆転が生じて自分自身になにかを伝える手段であることのほうが言語にとって不可欠なものに転じ、そちらが自立可能になります」といっています。
恐らく、このような考えがあってかれは私的言語のほうが規範的な言語よりも優先するものと考えているのだと思います。
問題は、この説明の後半です。「逆転が生じて、自分自身になにかを伝える手段であることのほうが言語にとって不可欠なものに転じ、そちらが自立可能になります」というところです。
すこし回り道になりますが、西欧の17~18世紀に言説秩序の大きなパラダイムの転換があったことはご承知のとおりです。フーコーが『言葉と物』でその時期に「類似から差異へ」の言説の転換があったといっていますし、また『性の歴史』でカトリックの告解制度によって人間の内面が制度としてできたといっています。また、視覚文化論のバイブルというべきジョナサン・クレーリーの『観察者の系譜』によれば16~17世紀のオランダでの光学機器の発達により、近代哲学の基礎が作られたともいわれています。デカルトもジョン・ロックもオランダで著作を出版したのですから。また、スピノザはレンズ磨きの職人でした。とはいえクレーリーはフーコーとは別に19世紀初頭に神経生理学や生物学が登場したこととも相俟って、その時期に視覚に関して大きな切断線があったといって、上記の本で主張しています。
近代哲学の「反省」概念が、鏡の「反射」に由来することは良く知られています。スヴェトラーナ・アルパースの『描写の芸術』によればオランダで初めて風景画が誕生しましたが、それはこの世界から自立した自我が成立したからで、それによって自然や風景が出現したのだといいます。デカルトの心と物の二元対立は、オランダで作られたカメラの前身であるカメラ・オブスキュラの暗箱をメタファーとしてはじめて成立したものともいわれます。外の風景がレンズを介して暗箱に像が投影される。その暗箱が私たちの心であり、レンズは水晶体であり、その暗箱に投影された像・イメージが、言語の意味は心的過程でありイメージであるという近代哲学の考えにつながりました。
一方、西欧においてナショナリズムの勃興にともない、それまでの公文書や学術用語として使われてきたラテン語から各国の日常話されている言葉への転換、いわゆる「俗語革命」が進行しました。ドイツにおいてはルッターのドイツ語による聖書の翻訳であり、イタリアではダンテのイタリア語による『神曲』であり、スペインではセルバンテスのスペイン語による『ドン・キホーテ』でした。
わが国の場合、聖なる言語はありませんでしたが、かわって平安時代からながく漢文が公式文書に使われてきました。ラテン語はローマ帝国の言語であり、漢文は中華帝国の言語です。帝国の周辺のある国々はいやおうなく帝国の言語を使わざるをえませんでした。自国の音声は抑圧されました。この音声が「俗語革命」とともに復活してくるのです。19世紀に西欧と歩調を合わせるように本居宣長が『古事記』の解釈からヤマト言葉という音声の復権をはかりました。もちろん、宣長のいうヤマト言葉はフィクションにすぎません。宣長はナショナリズムの抬頭を背にヤマトことばを「発見」したのではなく「発明」したのです。この宣長の言説が幕末の水戸学にうけつがれ、過激な尊皇攘夷思想に結実しました。この流れに乗って、日清戦争後の明治30年代に文章改革と言文一致文体の創出が、主として文学者の手によってなされました。今の私たちは、この時代の延長線上にあります。
この、言葉は音声が基本であり、文字はそれを表記したものに過ぎないという考えを、ジャック・デリダは「音声中心主義」といって、ギリシャからながく西欧の伝統的な考えだといって、これを批判しました。じつはこの「音声中心主義」は俗語革命の副産物で、デリダのいうのとはちがって比較的新しいものでした。近世のナショナリズムの勃興にふかく関連しています。
西欧は19世紀に、表音文字であるアルファベットを表意文字である漢字よりも言語としてずくれたものであると主張しました。言語は音声が先行し、それが基本であって、文字はその後にでてくる二次的なものであるといったのです。ここに「音声中心主義」の始まりがあります。
しかし、言語は表音文字も表意文字もどちらが優れているということはありません。西欧の主張の背景には当時帝国主義と植民地主義によってアジアを席巻しつつあるということがありました。アジアにたいする蔑視があったのです。
もともと音声と文字とは起源を別にし、それぞれ別個に発展してきたものです。それが近世になって俗語革命によりたまたま結びあわされ、言語は音声を表記したもの、音声を「表現」したものだと考えられるようになりました。「表現」のもとにある意味は「内部のものを外に押しだす」ということです。内部とは内面のことです。この内面は人間にもともと備わったものではなく、フーコーがいうように告解制度による告白にその起源がありました。つまり、内面とは制度なのです。わが国の場合、告解制度などありませんから、そのかわりをなしたのが明治の活版印刷と文章改革、すなわち「言文一致」文体の創出と、それにもとづく本の「黙読」でした。
「黙読」は「おのれの声をおのれで聞く」ということです。
それによって自己完結的な、また自立的なサイクルができあがり、外界から切り離され、おのれが自立しました。「私は私である」という自己同一性ができあがり、その結果世界から独立した超越論的自我とか主観性にもとづく近代哲学が誕生しました。いま、私たちは本を「黙読」するいがいに本を読む方法をしりません。それによって近代を再生産しているのを知らずにです。
「言文一致」とは「話すように書く」ということです。
明治以前、福沢諭吉の『福翁自伝』によれば豊前中津藩では30通りの話しことばがあり、道で上士と下士が出会っても言葉がまったく通じなかったといっています。ひとつの藩でさえそのありさまですから、全国規模ではどうか推してしるべしです。明治に国家ができて全国から兵隊を募集して軍隊に命令を伝えようとして一番困ったのは言葉がまったく通じないということでした。そのままでは戦争などできません。ここから標準語の必要性が叫ばれ、政府は小学校教育をとおして標準語をしゃべるように強制しました。しかし、標準語とはそれまで誰も話していなかった言葉です。だから冒頭の「話すように書く」というのは実態をいえば「書くように話す」というのが正しいのです。明治のその時代に一種の転倒が起こりました。
しかし、近代の自我の起源が「黙読」という制度にあることとあわせ、その起源は隠蔽され、忘れ去られました。今や私たちは「話すように書く」ということを当然のように考えているのです。
晩年のフッサールは、自我と時間との連関とその根源をさかのぼっていった結果、そこには何もないこと、差異しかないことを発見しおのれの全哲学が崩壊する臨界点にたち茫然としましました。デリダはその臨界点にたつ先にすすみ、論理学の同一律が実在には横滑りできないこと、ギリシャ以来の西欧哲学が両者を同一視してきたことを「ロゴス中心主義」といって批判し、西欧哲学の伝統の解体に着手しました。たとえば西欧哲学の集大成というべきヘーゲルの弁証法です。正しくは、同一と同一ならざるものの同一性の弁証法です。かれは論理学の同一性をそのまま実在の同一性に横滑りさせ、弁証法を実在の論理だといったのです。
自己同一性はおのれの声の同一性を意味します。おのれの声をおのれで聞くことの同一性にもとづきます。たとえば、今私たちが自己とか私とかいえばそこには「私は私である」という同一性が含まれていることを当然のように考えています。また、それを前提に話しています。しかし、デリダが『声と現象』でいうように、それは差異と非対称性を隠蔽しているのです。同一性はまやかしにすぎません。
ドゥウルーズが『差異と反復』でいっているとおり、同一性のなかには差異が紛れこんでいるのです。私たちも20年、30年するとじぶんがまるで別人のように変貌しているのを発見して驚かされることがあります。差異は同一性の裏口からひそかに忍びこむのです。

さて、ここでふたたび永井さんの言葉に戻ります。
わが国の明治時代に「逆転」が生じたことはまちがいありません。パラダイムの転換がありました。内面ができ、あたかも内面の声が文字に先立ってあるかのような逆転が生じました。外界とは独立の、自立的で自己完結的なサイクルが言語的に可能であるかのような逆転が生じました。
しかし、それは近代の制度の産物であり、もともとフィクションなのです。自我、私、心、内面、主体、意識、主観と客観、そうした言説が近代の初めにつくられ、私たちはその言葉を使ってものを考えるようになりました。そのことに馴れきっているといえます。
フッサールの弟子だったハイデガーはフッサールが袋小路に迷い込んだのを見届け、みずからの哲学をはじめるにあたってその種の近代哲学の用語を使うのを封印しました。使わないからといって、それで近代哲学を克服したかはすこぶる疑問ではありますが。
永井さんは他者とのコミュニケーション言語に先立ち、おのれの声をおのれが聞く私的言語のほうが優先するのだといいます。これは、これまでながながと論じてきてお分かりになったとおり、近代の考え方そのものであり、近代を個人のレベルで反復しているのであり、むしろ近代への逆戻りだというべきです。

鈴木さん、こんばんは。たいへん詳しい長文のコメントありがとうございます。
言語に関するパラダイムの転換以前には自我や私などの概念がなかったことがよく分かってうれしかったです。
ただ、よく分からないところもあります。永井の言う「逆転」と鈴木さんの「パラダイム転換」はどのような比較対象になるのだろうかという点です。永井のは、私的言語と公的言語の逆転であって、言語論的な転換とはかなり論点が違う土俵に思えるのです。永井の設定した土俵の外で技を決めても永井は何とも感じないのではないかということが疑問なのです。たとえば、「世界は私の世界」や「この赤を見るとき、私と君に見える色は比べられない」などの私的感覚や私的言語に関わるような発言が有意味か否かという考察をするのに、言語論的なパラダイム転換のアイデアが何かを教えてくれると思えないということが、よく分からないのです。
よろしければ、このあたりについてどう考えられるかを教えてください。

鈴木です。
ご指摘のとおり、永井とすれ違いを演じたかもしれないと思います。
といいますのは、永井のいう私的言語と公的言語の区別を、私は声と文字との区別と解釈して論じましたが、永井のいう私的言語は言語というよりも、むしろ私的感覚にウエイトをおいたことばなのではないかと若干感じていました。
私は永井のいう公的言語から私的言語への「逆転」を、わが国の明治におきた声と文字との、それまでの文字の優位をくつがえした、言語論的というよりも文化的・歴史的パラダイムの転換を永井が個人のレベルで反復しているように思えたからです。文字が視覚的にみえる外部のものであるのに反し、声は内部のもので直接的に知りえ、私に親しいものですから、どうしても親しいものの方が優先するというのは誰もが抱く比較的プリミティブな考えです。これをデリダは「音声中心主義」といい、かれの初期の『グラマトロジーについて』でそのような立場にたって『言語起源論』をあらわしたルソーをやりだまにあげて批判し、声よりも文字(エクリチュール)の復権を、つまり近代の声優先のパラダイムの逆転回をくわだてました。
もし、私的言語が他人にはうかがい知れない私秘性をもった私的感覚にウエイトをおいた考えだとすると、ほんとうに感覚は私秘的なんだろうかとすこし私は疑問に思っています。といいますのは、それではなぜ私たちは他人の苦しみや喜び、あるいは痛がっていることにシンパシーを覚えるのか、そのことが近代の個人の立場からは理解できないと考えるからです。
フッサールが『デカルト的省察』の他我論でおちいったアポリアもそこにあります。イマジネーションだとか感情移入にもとづく類比的統覚によってはそのアポリアを抜けることはできませんでした。
永井やウィトゲンシュタインがそれをどう解決したか、私の読みが浅いのかもしれませんが、私は依然として解決できていないのではないかと思っています。
この問題の解決を求めて、人間形成の初期の段階、すなわち幼時にさかのぼってそれを考えようとしたのが、ラカンの「鏡像段階論」であり、メルロー・ポンティーの遺稿『見えるものから見えないものへ』で主張した「交叉配列」の考えでした。これを論じるとまたながながとした話しになりますので、いずれ日を改めて論じたいと思いますが、かれらはその結果、私というものの実質が他者なのではないかというところに到達しました。ここから、フランスのポスト構造主義者のいう「私とは他者である」という有名なマニフェストがでてくることになります。

すごいですねえ!!しばらく見ないうちにここのコメント欄はすごいことになっているんですね。
「私とは他者である」って、私はランボーのセリフとばかり思っていました。ポスト構造主義のマニフェストでもあったなんて、ここで初めて学びました。柄谷行人はデリダのことをよく引用しますが、ドゥルーズやフーコーのことはどう思っていたのでしょうか。21世紀になってから、カント・ヘーゲル・マルクスの視点を交差させて、世界史の構造を読み解こうとしていますが、私にはよくわかりません。鈴木さん、一つ解説してください。


呼戯人さん、鈴木です。私のコメントを読んでいただきありがとうございます。
まず「私とは他者である」という言葉について、それはいうまでもなくランボーの言葉です。しかし、ランボーは詩人であって哲学者ではありません。フーコーやバルトやラカンがかれらの哲学を追求する中で、ある共通な認識に到達し、その標語としてたまたまフランスでよく知られていたランボーの言葉を借りたにすぎません。
ただ、「私は他者である」ということを説明するのは、私のようなただの読書人にはすこし手にあまる問題で、現在書きつつありますが、うまく書けるかどうか自信はありません。
つぎに柄谷行人ですが、私は柄谷が批評家として登場して以来、かれのファンで、かれの全著作を読んでおります。
柄谷はイエール大学の招聘で臨時講師をしているときにそこでデリダに出会い、またポール・ド・マンとは親交を結んだようです。だからかれらの名前はよく出てきます。しかし、フーコーとは面識がなかったようで、そのため柄谷の著作にほとんど名前が出てきません。しかし、かれの『日本近代文学の起源』を読めば、これはもうフーコーといっていいものです。だから潜在的にはフーコーの影響は大きいと思います。
つぎに柄谷の近著『世界史の構造』のことですが、これを読むためにはマルセル・モースの『贈与論』とヘーゲルの『法の哲学』を読むことが必要です。特にヘーゲルです。それを読めば柄谷のいっていることはほとんど分かります。
ヘーゲルは世界史を「家族・市民社会・国家」という三段階をへて発展してゆくものと考えました。この場合、家族とは古代の共同体を意味し、市民社会は近代の貨幣経済と資本主義社会を意味します。そしてこの二つの矛盾を乗り越えるものを国家だといったのです。そしてこの歴史的発展は近代社会の構造でもあります。つまり、時間的なものであるとともに同時に空間的なものでもあるのです。古代の共同体は現在の家族であり、そして西欧の近世に登場した市民社会は現在の資本主義社会につらなります。国家とはネーション・ステート、つまり国民国家です。
モースの『贈与論』によれば古代社会というのは家族とその拡大家族の氏族の社会で、物の交換は、貨幣によるのではなく、物の贈与によって成り立っていました。これを「贈与互酬」の社会といいます。私が人にプレゼントする。するとその人はこんどはお返しとして私にプレゼントをしてくれる。こうしたプレゼントのやりとりによって暮らしている社会なのです。モースは人からプレゼントしてもらったら、どうしてお返しをしなければならないのか、ひじょうに不思議におもい、それを理解できませんでした。だから、物には「ハウ」とか「マナ」とかいう霊や魂が宿っていて、その霊や魂が元に戻ろうとして、お返しを要求するのだと考えました。一種のアニミズムですね。
古代に「供犠」という宗教儀式があります。神に「いけにえ」をささげる儀式です。モースは「供犠」という本で、あれは神と人間との贈り物の交換なんだといいます。神が私たちを守ってくれる、その贈り物にたいし、そのお返しとして人間を「いけにえ」にささげているのだ、と。この古代の「供犠」はユダヤ教やキリスト教によって乗り越えられ、今では「いけにえ」をささげることはなくなりました。神の恩恵にたいし、イエス・キリストが人類を代表して身を犠牲にささげたことで、お返しは済んだからです。
そして、この贈与互酬の社会は現代から消滅したものとモースは考えました。しかし、よく見回してみると、現代社会でもこの古い慣習が残っているんですね。たとえば、私たちは盆暮れに知り合いにお中元やお歳暮の品をプレゼントします。するともらったほうは何となくお返しをしないと居心地が悪いですね。だから、デパートや近所のスーパーへ行ってお返しの品を買ってきて、その人にお返しをします。だけどその理由はプレゼントしてもらった品に霊や魂が宿っているなんてことではありません。これと同じことが、現代の家族にもいえます。家族というのは一種の共同体です。贈与互酬によって成り立っています。だから、子どもに学費を出してやったり、誕生日にプレゼントをしても、それをお金で返せとはいいません。主婦が家事労働をしたからといって旦那に金銭を要求したりもしません。古代社会はなくなっていても、贈与互酬の仕組みは残っているのです。
ところが昔のように農業をして家族がみんなで働き、自給自足をしているときは、それで完結していて、他人を必要としませんが、近世の分業社会では分業していろいろなものを作っています。他人の作ったもので溢れています。家族は、だからその他人の作ったものを手に入れようとしたら、家族に閉じこもっているわけには行かず、外に働きに出ないといけません。これが家族の抱える矛盾で、家族の外の世界へ出ることで家族は解体します。この家族の外の世界、それが市民社会です。だけど、市民社会は他人同士がしのぎをけずる、競争社会です。家族のなかにあった、お互いを助け合う、暖かい温もりのある共同体とは違います。できるだけ他人から利益を搾り取ろうとする、そのためには人間性を無視してでも他人を蹴落とそうとする非情な社会です。この市民社会は現代の資本主義社会で、この社会は必然的に人間性を喪失した、貧富を生み出す社会です。ヘーゲルはこの市民社会を「人倫の喪失態」といいます。「人倫」とは共同体のことです。資本主義社会は家族のもっている人倫の否定なのです。ヘーゲルはこの市民社会の人倫の喪失から、ふたたび人倫の回復を図らねばならないと主張します。それが「国家」です。国家とは家族の温もりと人間性を、市民社会という否定を媒介として、新たに回復することなのです。
国家なんていうと、私たちには無縁だと思いがちですが、国家が現れるのは他国と戦争をしたり、国境線をめぐって争ったり、オリンピックに参加したときです。いま尖閣諸島で中国と争い、竹島で韓国と争っています。すると、市民社会のお金持ちも貧乏人も、職業を別にする人たちも、とたんにそんなことは忘れ、一緒に肩を組んで抗議デモに繰り出したりします。仲間意識が生まれ、みんな同朋になったような気分になります。これが「国民」です。そしてその延長が「国民国家」なのです。
このヘーゲルの『法の哲学』の市民社会の部分を経済学として解き明かそうとしたのがマルクスです。マルクスの『資本論』はそれを国民経済学の批判としておこないました。国民経済学とはアダム・スミス以来の古典派経済学のことです。しかし、それは事実上ヘーゲル批判なのです。ヘーゲルの国家は市民社会とのつながりがなく、いきなり市民社会にフタをするかのように出てきます。市民社会の矛盾、つまり貧富の差だとか、それによって苦しむ人が出てくる、その矛盾を止揚するものとして出てくるべきなのに、その矛盾に眼をつむり、それを押さえつけるものとして出てくるのです。これはヘーゲルの生きていたプロイセン国家の政体を如実に表していました。それは近代以前の啓蒙独裁国家でした。
とはいえマルクスもヘーゲルの国家とはちがいますが、ヘーゲルと同じように市民社会を乗り越えて新たな共同体を作ることで、人間が人間らしく生きられる社会が実現できるのだと考えました。マルクスはほとんどヘーゲルの『法の哲学』の構図を下敷きにしています。
柄谷行人が『世界史の構造』でおこなったことは、このようなヘーゲルの考えをやはり下敷きにしています。もちろん、そのままではありませんが。
かれはヘーゲルの「家族・市民社会・国家」を交換様式の違いとして解釈しました。古代社会や家族は「互酬交換」、市民社会や資本主義社会は「商品交換」、そして新たな国家は「アソシエーション」という具合にです。

ありがとうございます、鈴木さん。そしてごめんなさいね、横山さん。コメント欄を使わせていただいて、申し訳ありません。
私は鈴木さんのように徹底した柄谷ファンではなくて、かなり中途半端な読者に過ぎません。「日本近代文学の起源」は遠い昔に読んだ記憶があります。けれど大部分は忘れてしまっています。自然だとか、内面だとか、風景だとか、青春だとかは一つの制度として成り立っているという風な論でしたっけ。ついこないだ遅ればせながら、三浦雅士の「青春の終焉」という評論を読みながら、文学とは青春という主題の中で成立してきたものだという主張にうんうんとうなづいていました。日本近代文学もそうだし、ヨー
ロッパ文学も青年とか青春という問題系の中で成立しているものだという論です。これは、遠く柄谷行人の「日本近代文学の起源」を受け継いたものなのだなあと思いました。
 振り返ってみると確かに自然だとか風景だとか内面だとか自我だとかが、一つの制度的なパースペクティヴを形成しているという視点は、フーコーから来ているのだなあと思います。知や権力や制度を成立させているパターンの分析がフーコーの仕事だったんですものね。若い頃に読んだ本の記憶を少しづつ思い出しながら書いているので、自分自身が情けないやらまだるっこしいやらで変な気分ですが、そんなことを思い出しました。
 「世界史の構造」は、まだ買ってもいないので、わかりませんが、これから一生懸命読んでみます。岩波新書の「世界共和国へ」というのを読んだので、少しとっかかることができるかなあなんて思っています。「交換様式」による発展段階論というのがキーポイントですよね。

呼戯人さん、お久しぶりです。
詩のページの方も少しお休みになっていたようで、どうされたかと思っていたのですが、お元気そうで良かったです。
僕のコメント欄はどうぞ遠慮なく使って下さい。こんな面白い有意義なコメントをいただいてとてもうれしく思っています。

鈴木さん、くわしいコメントありがとうございます。
僕はランボーもバルトもラカンも知りません。ほとんど読んだことがありませんが、「私は他者」というのが、とても面白い切り取り方だと興味深く感じています。よろしければもっと深く教えていただけたらうれしいです。「私は他者」の視点で「私」の存在について書かれている哲学書はありますか。

鈴木です。
今回はラカン、デリダ、フーコーは後回しにしてメルロー・ポンティーの「身体の哲学」についてコメントします。「私は他者」という論点を別な角度から照明していますので参考になると思います。
かれの身体の哲学は晩年の遺稿『見えるものと見えないもの』でくわしく論じられていますが、すこし難解なので、それを書く前にかれが『眼と精神』所収の『幼児の対人関係』で書いていることも参照して論じます。
第1段階。アマルガムの状態。
生まれて半年までの間はベッドに仰向けの状態で寝かされているので、身体も感覚もアマルガムの状態にあります。すなわち混沌とした状態が続きます。ここにはなにも問題がないので、とばします。
第2段階。鏡像段階。生まれて半年から1年。
赤ん坊は這い這いを始めます。アマルガムの状態は続きますが、変化が訪れます。しかし、まだ自分の感覚や感情と他の赤ん坊の感覚や感情と、また、自分と他の赤ん坊の身体の区別を知りません。それらがどこに定位しているかというトポスの感覚を持っていないのです。
さいしょ、赤ん坊は鏡に写った何ものかを興味深くじっとみつめます。ラカンガ注目して論じていますが、赤ん坊は鏡に写っている何ものかが自分の像だとはしりません。さいしょ、それが何だかは分かりません。自分と似たものがそこにいると気付くのは、まだしばらく先です。その段階では、それが自分の像だとは分かりません。犬や猫でも初めて鏡を見たとき赤ん坊と似たような行動を示します。しかし、人間と犬猫と決定的に違うところもあります。自分が手を上げると鏡の中の何者かが、一緒に手を上げるのを見て、さいしょは気味が悪くて逃げ出しますが、慣れてくると面白がって手をたたいて喜びます。が、鏡の向こうに手を回してみて、そこになにもないのを発見して、それがどうやら生身のものでないのを見出します。なにか像のようなものらしいと気付きます。しかし、それが自分の身体の像だとはこの段階では認識できません。メルロー・ポンティーが注目するのは赤ん坊の「伝染泣き」の現象です。他の赤ん坊を見て、その赤ん坊が泣くと、つられて自分も一緒に泣き出します。他の赤ん坊が叩かれたり、机の角に頭をぶつけたりして泣くと、自分が叩かれたり、角にぶつけたのではないのに、痛みを覚えて泣くのです。痛みが自分にあるとか他の赤ん坊にあるとか、その区別がないのです。身体はふたつなのに、ひとつであるかのようです。メルロー・ポンティーはこれを後に「間身体性」とか「両義的身体」といい、かれの身体の哲学の中心に据えています。
第3段階。エロスの状態。生まれて1才から2才まで。
「身体図式」ができかかってくる段階です。身体図式とは身体の像のことです。かれはここで「交叉配列」という概念を持ち出します。
赤ん坊はもう鏡に飽きて、鏡を見ません。そこに写っているのが自分の像らしいということに気付きます。そして他の赤ん坊を見て、それが自分とは別だということを知ります。「伝染泣き」もなくなり、他の赤ん坊が泣いてもつられて泣きません。でも、まだ自分の身体の像は明確ではありませんから、それを他の赤ん坊から獲得します。まだ、この段階では他の赤ん坊が痛みのふるまいをしても、、その痛みがその赤ん坊のもので、自分とはちがうというところまで行かず、他の赤ん坊が泣き叫ぶ様を見て、ともに痛いと感じるシンパシーを覚えます。これが「交叉配列」です。つまり、他人のふるまいと自分の痛みがセットをなし、反対に他人の痛みと自分のふるまいがセットをなして、つまりクロスして一対のものを作ります。自分が痛みを覚えて自分がそのふるまいをするのは、まだ後のことで、「身体図式」が完成した段階です。この段階ではクロスして「対」の関係にあります。それが「エロス」です。
たとえば、私の右指で私の左指に触れた状態を考えます。さいしょは右指が触れるもの、左指が触れられるもの、です。しかし、すぐその反転が起こります。左指が触れるもの、右指が触れられるものに反転します。しかし、大人はこれが同時には起こりません。つまりニュートラルという状態はないのです。そこが赤ん坊とちがうところで、赤ん坊はニュートラルな状態に入ります。たとえば母親に抱かれたりしているときなどです。感覚は自分の身体に定位していませんから、母親と自分の中間にあり、いわば宙に浮いた状態にあります。身体はちょうど回転ドアが回るように、そこを起点として自と他が反転する「蝶番」のような役目をしているのです。
しかし、身体図式ができかかると、感覚が自分の身体のなかにトポスを得て、身体のなかに定位するようになります。ぶたれて痛みを覚えるのと、そのふるまいとが一体となって固定されます。感覚の私秘性の起源です。
他の赤ん坊の痛みはもう自分の視点からは見えません。痛みは自分にだけあり、他の赤ん坊にはありません。
第4段階。言葉をしゃべるようになる段階です。2才です。
自分のなかに身体図式が完全にできあがり、自分の身体と他の赤ん坊の身体の区別を知り、痛みを覚えてもそれが自分だけのものだという弁別もできるようになり、かたことの言葉をしゃべりだします。言葉を覚えるということは自と他の区別、そして自と他の感覚や感情との弁別が、分割が、出来上がったことを意味します。もうここからは、ふつうの子どもです。
以上、ざっと簡単に素描しました。メルロー・ポンティーがこの人間の初期の赤ん坊に注目するのは身体の像と感覚の起源の問題です。しかも、この初期に起きていることは大人になって消滅するのではありません。身体の奥深く沈殿して、折を見て出現します。
私たちが他人の苦しみや痛みのふるまいを見てシンパシーを覚えるのも、この幼時の記憶が身体に埋め込まれているからですし、また、男女が抱擁するとき、まったく同じではありませんが、幼時のエロスの状態を思い出し「対」の感覚を取り戻すからです。また、私たちが肉親の死に会い、涙するのも、もともと人間は「交叉配列」の関係にあるからです。
こうしたことは近代哲学の立場からは解けない問題です。
私の能力では、ここまでしか書けません。疑問もあると思います。たとえば、鏡がなかったら、また、他の赤ん坊がいなかったらどうなんだ、というような問題です。詳細はメルロー・ポンティーの著作を読んでみてください。

鈴木です。ひとつ申し忘れていたことがありましたので補足します。
メルロー・ポンティーの「身体図式」ということばです。もちろんかれはそれをカントの図式論から借用したのですが、それを理解するのに次の事例が参考になると思います。
ひとつは、これは誰が言っていたのかちょっと思い出せませんが「幻影肢」の問題ですね。交通事故に遭って片腕を切り落とした人が、もうそこに腕がないのに腕に痛みを覚えるという、あれです。しばらくたてば、そんなことはなくなるのですが、事故直後はその幻影に悩ませられます。これは私たちの体に「身体図式」が埋め込まれていて、腕をなくしてもその図式が残り続けるからでしょう。図式の修正に時間のズレが生じるということだと思います。
あと、これはゲシュタルト心理学の本に書いてあったことですが、天地がひっくり返るプリズムの眼鏡をかけて部屋に入ると、さいしょは部屋が天地が逆になって見えて動けません。ところが少し慣れてくると、部屋が元に戻って、プリズムの眼鏡をしているにもかかわらず、ふつうに歩けるようになるということです。天地が逆でなく、元に戻るんですね。
それと、大森荘蔵が問題にしていた知覚の問題で、外の風景は網膜に天地が逆に映っているはずなのに、どうして私たちは風景をひっくり返って見ていないのだろうという、あれです。これも「身体図式」を持ち出せば、かんたんに分かることだと思います。
以上、蛇足ですが、付け加えます。

現象学の視点から他者問題を解くというのは、とても難解な問題ですね。私はとても鈴木さんのようには論じられませんが、人間の身体を錯綜した神経システムの重なり合いから出来上がっている両儀的な性質のものだというメルロ・ポンティの主張(いや、こういう言い方は、市川浩のものだったか、手元に本がないので判然としませんが)をもう一度勉強してみようかと思いました。身体や生理学や深層心理学を媒介にしてみる自我や意識の像と意識の反省によって析出される超越論的自我とでは、<私>の像に違いがありますし、<私>の像に違いが出れば、必然的に<他者>像も異なってくるのだと思います。メルロ・ポンティが身体を重要なものとして取り上げるのは、誰の影響なのでしょうか。ニーチェやベルグソンの影響なのでしょうか?身体の持つ重層性、多数性、差異の遊動と言った概念は、フッサールのものではなく、むしろニーチェやベルグソンやフロイトのものだったと思います。意識中心のサルトル的な現象学ではなく、身体の働きを中心に考えるメルロ・ポンティの方が他者問題に対して妥当性のある
回答を出せたのではないかと思います。同じ現象学の中から出て、他者性の問題を論じたレヴィナスの思想についても教えて頂けるとありがたいです。

呼戯人さんへ。鈴木です。
これまでながながとしたコメントを書いて、横山さんに迷惑をかけていますので、今後は自粛するつもりです。ですから、簡単にコメントします。
1、フッサールは『デカルト的省察』の第5省察で他我論の袋小路に入り破綻しました。近代哲学の自我とか意識の立場からは他我問題は解決できないと思っています。解決できない問題にあたったら、まずその前提を疑ってしかるべきです。
2、メルロー・ポンティーは若いときに生理学とか心理学など個別学問を地道にやっていることが初期の『行動の構造』などを読むと分かります。ベルギーのルーヴァン大学でフッサールの厖大な遺稿を研究しているうちに、フッサールが近代哲学を抜ける道を模索していたことを知り、身体の哲学を思いついたんだと思います。しかし、詳しいことは分かりません。
3、私はレヴィナスは解説書を少し読んだことがあるくらいでまったくといっていいほど知りません。レヴィナスがはじめ現象学をやっていたので、それで興味を持ちましたが、たしか『全体性と無限』とかいう本を読んで、分からないので、以後読むのをやめました。レヴィナスはフッサールが破綻したのを見届け、別の道を行って独特の「他者論」に到達したようですが、私には分かりません。
ご期待に沿えなくて、すみません。


鈴木です。簡単に補足、コメントします。
「私は他者」という論点からみた場合、それをもっともラディカルな形で主張したのは、呼戯人さんが正しくも指摘されたように、メルロー・ポンティーの「身体の哲学」でした。私がラカンやデリダやフーコーを後回しにしたのは、そうした理由からです。このメルロー・ポンティーの論点に近いのがラカンで、メルロー・ポンティーが「幼児の対人関係」でラカンの「鏡像段階」をとりあげているのでも、両者の親近性がうかがえます。
しかし、ラカンが「私は他者」と主張したのは、フロイトの超自我論からでした。フロイトによれば超自我とは他者、すなわち父親のことであり、その他者がみずからの自我の上に君臨して自我をコントロールしていると考えたからです。
ランボーが「私は他者」といったのは、かれがボードレール、マラルメ、ヴァレリーとつづくフランス近代詩の正統にたいし異端の詩人だったからで、近代的な自意識の袋小路から脱出して「自己の外へ出よ、詩を捨てよ」と主張したことに由来します。私を脱出し、その脱出した私から後ろをふりかえれば「私は他者」にほかなりません。ランボーは自分の言ったとおり、24才で詩を捨て、フランスを脱出してキプロス、アフリカくんだりまで流浪して37才の若さで死にました。
この、ランボーの自意識の回路からの脱出という叫びは、ハイデガーの「現存在の本質は脱自(エクスターゼ)にある」という考えや、サルトルが『フッサールの現象学の根本理念』で、志向性について「意識には〈内部〉というものはなく、意識は外部への脱走である」といったことに反響しています。いうまでもなく、フッサールの志向性の概念は「意識の外への脱出」なんかではなく、サルトルの誤解にすぎませんが、このサルトルの実存主義によってランボーの言葉がひろまりました。
これに比べるとデリダやドゥルーズがやったことは「私は他者」の観点からすると、はるかに間接的です。
ドゥルーズの『差異と反復』や『アンチ・オイディプス』や『ミル・プラトー』は基本的に近代哲学の同一性に対する批判です。『アンチ・オイディプス』はフロイトの超自我とエディプス・コンプレックスと「ファミリー・ロマンス」にたいする批判でしたし、『ミル・プラトー』は近代の自我を中心とする、自我を特異点とする、近代の「ツリー」状の、ピラミッド構造の、主権国家とその人間のモデルにたいする批判であり、それに対置して「セミラティス」構造からなる社会の新たな人間のモデルとして「ノマド」という遊牧民を積極的に提示したものでした。このドゥルーズの「ノマド」は、アントニオ・ネグリの『帝国』でいう「マルチチュード」につながります。
事実、コンピューター・ネットワークの広がりによる「ネット世論」により、近代の主権国家の理念は、「アラブの春」や中国の反日デモなどによって揺らぎつつあります。あちこちに首を出す「ノマド」によりコントロールできなくなりつつあるからです。
メルロー・ポンティーは、私が前のコメントで説明したように、自己の身体の像はみずから作り上げるのではなく、他者の像、すなわち鏡にうつる像や他の赤ん坊の姿・像をから反射的に、それをみずからに取り込むことで獲得するのであり、身体図式は、だから「他者」に由来するということです。自己の身体像は、他者を迂回することで、後から獲得されるのですから。
「痛み」などの感覚は、近代哲学のいうように身体の内側にある私秘的なものではなく、私と他者の中間の「間身体」にあるのであり、その他者の身体像をみずからの内に身体図式として形成した後に、トポス的にその感覚を自己の身体像と合体させることで内側に定位したものにすぎないのです。
だから「私は私の世界」なのではなく、むしろ「私は他者の世界」というべきなのです。


ちょっといい間違えました。「私は私の世界」ではなく「世界は私の世界」なんでしたっけ。
すると「私は他者の世界」ではなく、「世界は他者の世界」というべきでした。訂正します。

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