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2011年8月 2日 (火)

「全て」や「在る」が否定から出来ているわけ・命題の一般形式≪「論理哲学論考」を論考する5≫

ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」を論考する

前節までで、「論考」の言語世界においては、「かつ・選言∧」「または・連言∨」「ならば・条件→」「同値≡」などの論理語が命題を作る「名」でなく、要素命題に対する「操作」(否定をくり返しほどこした時の変換のされ方)であることを見てきた。そこで、本節では、「全て・全称∀」と「存在する・存在∃」という存在に関する量的なことがらを表す量化子という論理語も、否定から作られ得るかということを考え、そこから、命題の一般形式がP という式で示されることを見ていく。文字表示を簡単にするため、以下[p,ξ,N(ξ)]と表記する。

では、量化子は否定からなされる操作として作られ得るのだろうか。結論から言うと、できるのである。

論考の対象領域は有限である

順に考えていくことにしよう。ウィトゲンシュタインは「5.32 全ての真理関数は要素命題に対して真理操作を有限回くり返しほどこすことによって得られる」と言う。 もし、対象が実無限の個数を有しているのならば有限回の操作で全ての真理関数が得られるわけがない。だから、無限であったとしてもそれは可能無限の個数でしかないはずである。つまり、対象の領域はどこまででも拡張可能であるかもしれないが、実際に操作を適応するときには、拡張するのを止めてそこまでの有限の値に対処することになるのでなければ、不可能である。「5.2523 操作の反復適応は以下同様という概念に等しい」「6.02 (我々は操作によって)数にいたる。次のように定義する。0+1=1、0+1+1=2、0+1+1+1=3(以下同様)」「6.021 数は操作の冪である」これらの表現を見ると、ウィトゲンシュタインは無限を考えていたようにも読めるかもしれないが、これは、可能無限なければならない。この「以下同様」という操作は「どこまでも拡張可能だけれども、神による操作ではなく人間がする操作のなのだからどこかで終わりが来るのだ」ということを意味していると考えるべきである。
そして、対象の領域が可能無限であるならば、実際に命題を作り出せる「名」は有限個であることになり、有限の操作によってすべての真理関数を得ることができるのである。

たとえば、「花が赤い」と「花が青い」の2つの要素命題だけからできている世界があるとすれば、その世界は下の16通りの命題によって、全てが言いつくされてしまうことになる。

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要素命題が3つなら世界を構成する全命題は256個になり、10個なら1.8×10の308乗個という膨大な数になる。おそらく要素命題は幾万以上であろうから、全命題は無限とも言いたくなるほどものすごい数になる。膨大ではあるが、しかし、それはたかだか有限な値でしかない。

そうすると「全て」や「存在する」という量化子についても否定の繰り返しによって作り出せるのだ。
たとえば、「全ての花は赤い」は、「花aが赤い」かつ「花bが赤い」かつ「花cが赤い」かつ…と花の色が赤いということに関する命題を全て取り出してきてその全てを「かつ」で結べばよい。図で表すなら、こうなる。

Photo_3

有限の世界ならばこれで「全て」が表現できるのである。

また、たとえば、「赤い花が存在する」は、「花aが赤い」または「花bが赤い」または「花cが赤い」または…と花の色が赤いということに関する命題を全て取り出してきてその全てを「または」で結べばよい。図で表すなら、こうなる。

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Photo_5

だから、「かつ」「または」「ならば」「同値」のみでなく、「全て」や「存在する」といった論理語がどれも、否定の組合せによって表現され得るのである。

ウィトゲンシュタインは
「6. 真理関数の一般形式はこうだ。[p,ξ,N(ξ)]これは命題の一般形式である」
と言って、全ての命題を一般化して見せた。この式で、「p」は要素命題の集合を、「ξ」は必要なものを適当に選んだ命題の集合を、「N(ξ)」はそれらの命題を否定し「かつ」で結ぶという真理操作を表す。だから、要素命題の内から適当な命題を選び出して否定の操作をし、それを結んでいくことによって、あらゆる命題が作られることを示すものになる。

このようにして、全ての命題は要素命題への否定の操作のくり返しによって得られることが言えるようになるのである。

この世界観からウィトゲンシュタインは「だから、独我論は正しいんだ。世界は私の世界なのだ」ということを言う。それがなぜなのかを、次節で見たいと思う。

つづく

「論考」を論考する 目次

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