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2011年8月14日 (日)

要素命題と論理空間の作り方≪「論理哲学論考」を論考する7≫

ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」を論考する

要素命題と論理空間をどのように作り出せばいいのか。

具体的にはなかなかイメージできないが、無茶を承知でチャレンジしてみよう。間違いの多い本ブログではあるが、特に今回は、僕の理解にたくさんの間違いがあると思う。注意して読んでもらいたい。
要素命題はすべてを一挙に作る必要があるのだが、ウィトゲンシュタインは人間にはそれは不可能だとする。そのため、「論考」には要素命題の具体例は1つも挙げられていない。例を1つも挙げることなどできないとしているのだから、当然なのだが、その無茶を、ここでトライしてみたいと思うのだ。

僕の理解がかなりあやふやなので、変なことになってしまうと思う。間違いを指摘していただければ幸いだ。ぜひ多くのコメントをしてほしい。

ウィトゲンシュタインが「論考」において「私の言語の限界が私の世界の限界を意味する」と言い、「思考の表現に限界を引く」と言う、この「限界」とは「語り得ないもの」とはどういうものかを考える。
「語り得ないこと」について、ウィトゲンシュタインは次の4つを言っている。
(ア)要素命題から全思考が確定されるがゆえにその範囲からはみ出すものについては語り得ないこと、
(イ)モノがいかにあるかを語り得るが、それが何であるかは語り得ないこと、
(ウ)論理や倫理など、言語の前提となる言語のルール設定が語り得ないこと、
(エ)世界の限界としての私が語り得ない存在であること、
の4つだ。

まず、(ア)について。
要素命題を作り出すことができれば、そこから論理空間を確定し、さらに思考可能な範囲をすべて確定させることができるとする。そして、この範囲を超えることがらについては思考の範囲外であり、語り得ないとする。

要素命題を作り、思考可能な範囲を確定する手順は、次の5つだろう。
①現実世界の出来事を文にして記述する。
②文を分解して、「名」を採取する。
③「名」を合成し、構成して要素命題を作る。
④要素命題を組み合わせて、世界の可能な起こり得る事態を文として記述する。
⑤起こり得る事態について、それぞれの起こる起こらないのパターンを組み合わせてできる文を全て書きだし、世界についての思考範囲の全てを確定する。

具体的に考えよう。

①、現実世界の出来事を文にする。たとえば、「テーブルの上に青いカップがある」という一文のみで表し尽くされてしまうような世界があったとする。

②、「テーブルの上に青いカップがある」を分解して「名」を取る。
「テーブル」「~の上に」「青い」「カップ」「ある」となるのだろうか。

③、この名を合成して要素命題を作る。
とりあえず、xとyの二つの対象だけから成立している世界について考えると、次の8つの要素命題ができるだろう。
a)「xはカップとしてある」
b)「yはカップとしてある」
c)「xはテーブルとしてある」
d)「yはテーブルとしてある」
e)「xは青い」
f)「yは青い」
g)「xはyの上に位置する」
h)「yはxの上に位置する」

④、この要素命題を組み合わせて、世界の可能な起こり得る事態を文にして記述してみる。8つの要素命題それぞれについて、真か偽かを選んでいって全パターンの文を作り出していくと、2×2×2×2×2×2×2×2=2^8=256、と2を8回かけ合わせた数だけの世界の可能性が考えられることになる。たとえば「xは青いカップであり、yは青いテーブルであり、xはyの上にある」などのいろいろな世界の可能性が考えられるわけだ。しかし、「xはカップであり、かつ、テーブルである」や「xはyの上にあって、かつ、yはxの上にある」という文など、無茶だと思える世界可能性も作られてしまったり、「xはカップである」と「yはカップである」という識別不可能と思える二つ文が別の世界として考えられてしまったりしてしまう場合がある。だから、一つのモノが「カップであって、テーブルでもある」ような二つのモノになってしまう可能性を排除し、「xがyの上にあって、yがxの上にある」ような可能性を排除し、識別不可能な二つの文は同じ世界だと考えることにすると、256パターンうちのかなり部分が排除され、残る可能世界の事態は次の31パターンだけになると思われる。
1.「青いカップは青いカップの上にある」
2.「青いカップはカップの上にある」
3.「カップは青いカップの上にある」
4.「カップはカップの上にある」
5.「青いカップと青いカップがある」
6.「青いカップとカップがある」
7.「カップとカップがある」
8.「青いカップが青い机の上にある」
9.「青いカップが机の上にある」
10.「カップが青い机の上にある」
11.「カップが机の上にある」
12.「青い机が青いカップの上にある」
13.「青い机がカップの上にある」
14.「机が青いカップの上にある」
15.「机がカップの上にある」
16.「青いカップと青い机がある」
17.「青いカップと机がある」
18.「カップと青い机がある」
19.「カップと机がある」
20.「青い机が青い机の上にある」
21.「青い机が机の上にある」
22.「机が青い机の上にある」
23.「机が机の上にある」
24.「青い机と青い机がある」
25.「青い机と机がある」
26.「机と机がある」
27.「青いカップがある」
28.「カップがある」
29.「青い机がある」
30.「机がある」
31.「何もない」

この31パターンが、この世界で可能な事態の全てである。

⑤、次に、この31パターンから、世界についての思考範囲の全てを確定する。
起こり得る31の事態について、それぞれの起こる起こらないのパターンを組み合わせてできる文を書き出せばいいのだから、2×2×2×2×2×2×2×2×2×2×2×2×2×2×2×2×2×2×2×2×2×2×2×2×2
×2×2×2×2×2×2=2^31=2147483648、の、2147483648パターンの組合せができる。たとえば「机が青ければ、カップが青い」「机かカップかどちらかがどちらかの上にある」「机もカップもどちらも青くない」「カップの上に無いのなら、机は無い」などなど、この2147483648パターンの組合せの命題が世界について思考できる全てである。
いや、このうち1つはトートロジーであり、1つは矛盾であるのだから、何も語らない。だから、この2パターンを除いて、2147483648-2=2147483646で、2147483646パターンが世界について思考できる全てであることになる。
これが、語り得る全てなのである。

それ以外が語り得ないというのは、何かおかしい気がする。
おかしい気もするが、ウィトゲンシュタインのいう「思考」とは「3.事実の論理像が思考である」というものだから、それでいいのだ。事実から論理的に紡ぎ出される像としての文のみが「思考」だというのだから、「机があるか?」も「机があってほしい」もこの意味では「思考」ではないのだ。
世界の成り立ち方についてどんな可能性があるかを考えるには、そのあらゆる可能性について考えられる範囲を全て書き出すことでその限界を示すことができるのである。実際には途方もなく大きな範囲ではあるが、有限な範囲で限界を持つものなのである。

命題の意味しているものが、その命題と現実を比較して真偽を決定する線引きのための基準なのだとすると、命題とは現実と比較して真偽が決定できる文でしかあり得ないのだ。その命題をすべて集めたものが思考だと定義し、その範囲でのみ人は語り得るのだと定義したのだから、現実と比較して真偽を明らかにできるもののみが語り得るものであり、それ以外は語ることは不可能であり、ナンセンスなのである。
一般的に見て命題のような格好をしている文でも、実は現実と比べることができないものは疑似命題でしかない。
たとえば、「青い上にある」なんて文は、名のまちがった合成であり、論理規則違反なのである。途中で排除されるべきナンセンス文であって、命題ではないのだ。

これが、(ア)要素命題から全思考が確定されるがゆえにその範囲からはみ出すものについての、語り得なさである。

残りの、(イ)(ウ)(エ)の語り得なさについては、次節にまわしたい。

つづく

「論考」を論考する 目次

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コメント

要素命題が知られないことが本質的なのに。

ジョン・ドウさん、
おっしゃる通り、要素命題を正しい要素命題として具体的に取り出すことは不可能です。でも、仮の要素命題を取り出そうとチャレンジしてみることは、僕にとっては、命題の真理関数を理解するうえで非常に有意義でした。そのこと自体は本質的に無意味な事柄だったとしてもそれを追求することは意味あることだったりするのですね。面白いです。

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