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2011年7月25日 (月)

「かつ」や「または」が否定から出来ているわけ≪「論理哲学論考」を論考する3≫

ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」を論考する

「否定」自身は世界の対象ではない。「ない・¬」という言葉は世界の対象を示す名ではなく、現実にこれに対応する「コト」は何もない。否定は「コト」ではなく、像に対する操作でしかない。
では、「かつ・選言∧」「または・連言∨」「ならば・条件→」「同値≡」「任意の・全称∀」「少なくとも一つの・存在∃」など論理学に用いられる言葉が示すものも、否定と同様に操作でしかなく、「コト」ではないのだろうか。

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「タイガースが勝った。かつ、ガンバが勝った。または、エヴェッサが勝った」を絵で描けるか

「コト」ではないのである。
「任意の・全称∀」と「少なくとも一つの・存在∃」は別格であり、あとで別に考えなくではならないのだが、「かつ・選言∧」「または・連言∨」「ならば・条件→」「同値≡」はどれも「~ない・否定¬」の仲間であり、ウィトゲンシュタインのいう対象「コト」ではないのである。
これを考えるために、もう一度、命題とは何かを確かめておかねばならない。
ウィトゲンシュタインはこう言う。
「4.022 命題はその意味(論理空間における論理領域)を示す。命題はそれが真ならば事実がどうであるか(その論理領域の範囲)を示す。」
「4.023 命題は、あとはイエスかノーかを確かめればよいというところまで、現実を確定していなければならない。」
「4.024 命題を理解するとは、それが真であるとすれば事実はどうであるかを知ることである」
「4.2 命題の意味とは事態の成立不成立の可能性と命題との一致不一致である。」

命題の意味とは、世界が実際にどうなっていれば、その命題自身が真だと言えるのかを決める線引きのための基準だ…ということなのだ。

具体的には、こういうことだ。
たとえば、この世界が、「タイガースが勝った・T」という対象1つだけから成っていたとする。この世界の要素命題はこの1つだけなのだ。
すると、この要素命題Tに対応する真理可能性は真と偽の2種類になる。
T║真|偽|
「タイガースが勝った」と「タイガースが勝っていない」である。

そして、考えられるすべての命題がTの真理可能性と一致するかしないかの可能性は4種類になる。(2^(2^1)=4)
①.Tが真でも偽でも、真。
②.Tが真のとき真で、偽のとき偽。
③.Tが偽のとき真で、真のとき偽。
④.Tが真でも偽でも、偽。
これだけだ。この要素命題がただ1つだけの世界では、すべての命題はこの4つの内のいずれかでしかないのだ。
なぜなら、「4.2 命題の意味とは事態の成立不成立の可能性と命題との一致不一致である。」…ということだからだ。
これを、表にして示すならこうなる。

1_2

①はトートロジーだ。トートロジーになる文が全て、これと同じ意味を持つ1つの命題ということになる。
②は「タイガースが勝った」だ。たとえば「タイガースが勝ってなくはない」など、タイガースが勝つことになる文は全て、これと同じ意味を持つ1つの命題を表すことになる。
③は「タイガースが勝ったではない」だ。「タイガースが勝ってなくないことは無い」など、タイガースが勝たなかったことになる文は全て、これと同じ意味を持つ1つの命題を表すことになる。
④は矛盾だ。矛盾になる文が全て、これと同じ意味を持つ1つの命題を表すことになる。
そして、「タイガースが勝った」の1つだけしか「要素命題」を持たない世界では、これ以外の命題はあり得ないのだ。

 

では、たとえば、この世界が、「タイガースが勝った・T」と「ガンバが勝った・G」いう対象2つだけから成っていたとすると、どうだろう。
世界の要素命題はこの2つだけだとする。
この要素命題TとGに対応する真理可能性は4種類になる。(2^2=4)

2

である。
そして、いろいろな命題がTとGの真理可能性と一致するかしないかの可能性は16通りになる。(2^(2^2)=16)
表にして示すならこうだ。

3

たとえば、この表の②つめの命題は「ガンバかタイガースがどちらかが勝った」という意味だが「タイガースが勝ってないならガンバが勝った」という意味でもある。命題の真理可能性は○○○×で同じだからだ。
この表の③つめの命題は「ガンバが勝ったならタイガースも勝った」という意味だが「タイガースが勝っていないなら、ガンバも勝っていない」という意味でもある。命題の真理可能性は○○×○で同じだからだ。
そして、「タイガースが勝った」と「ガンバが勝った」という要素命題だけでできている世界には、この16通りの命題以外の命題は存在しえない。この16個だけが全ての命題なのだ。

 

では、たとえば、この世界が、「タイガースが勝った・T」と「ガンバが勝った・G」と「エヴェッサが勝った・E」いう対象3つだけから成っていたとする場合ならどうだろう。
世界の要素命題はこの3つだけだとする。
このとき、要素命題TとGとEに対応する真理可能性は8種類になる。(2^3=8)
そして、いろいろな命題がTとGとEの真理可能性と一致するかしないかの可能性は256通りになる。(2^(2^3)=256)
表にして示すならこうだ。

4

そして、「タイガースが勝った」と「ガンバが勝った」と「エヴェッサが勝った」という要素命題だけでできている世界には、この256通りの命題以外の命題は存在しえない。この256個だけが全ての命題なのだ。

これが、「4.2 命題の意味とは事態の成立不成立の可能性と命題との一致不一致である。」が語っている意味だ。命題の意味がこのように、「世界が実際にどうなっていれば、その命題自身が真だと言えるのかを決める線引きのための基準だ」…ということなのだ。

 

すると、

世界が1つの事実だけから成っているのであれば、世界を示すべき命題は4つだけしかなく、それが全てになる。世界が2つの事実だけから成っているのであれば、命題は16個だけしかなく、それが全てになる。3つなら256個だけ、4つなら65536個だけ、6つなら18446744073709551616個だけ、が全てになる。世界がn個の事実だけから成っているのであれば、世界を示すべき命題は2^2^n個だけしかなく、それが全てになるのだ。
そして、「否定¬」という操作は、その命題の真理可能性に対するさまざまな操作の形をとることになり、それが「かつ・選言∧」「または・連言∨」「ならば・条件→」「同値≡」という形になることもある。この視点で見れば「かつ・選言∧」「または・連言∨」「ならば・条件→」「同値≡」というものは「否定¬」が複数回、ほどこされたものであるということもできるのだ。
 

だから、「かつ・選言∧」「または・連言∨」「ならば・条件→」「同値≡」も、「否定¬」と同様に「名」ではなく、世界の対象を指すものではないと言えるのだ。

こうして、「かつ」「または」「ならば」「同値」という言葉はどれも世界の真理可能性に対する操作であることがはっきりする。「~ない」同様に、世界の対象ではありえないことがわかる。「かつ」も「または」も「ならば」もコトではないのである。

では、「任意の・全称∀」と「少なくとも一つの・存在∃」も操作なのだろうか。それは次節で。

 

つづく

「論考」を論考する 目次

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コメント

初歩的な質問なのですが、記号論理学で時間はどのように表現されるのでしょうか。
例えば「春から夏になった」というのは論理命題として表現できるのでしょうか。言葉としては表現できても、論理として表現できるのですか?パルメニデスとヘラクレイトス以来の存在と生成の問題ですが、生成の問題を論理は表現できるのでしょうか?

呼戯人さん、こんばんは。コメントありがとうございます。
さすが、するといところを指摘されます。変化や時制をどう取り扱うかは大きな疑問ですね。
でも、すみませんが、僕にはお答えできるだけの知識がありません。宿題ということにさせてください。呼戯人さんも、もしわかったら教えてください。様相論理の中に時制を含ませたものがあるらしいですが、ぼくの持っている本の中には載ってなかったです。
また、「春が去った」と「夏が来た」という二つの文は、互いに独立ではありませんが、ウィトゲンシュタインは要素命題が互いに独立したものしか認めていなので、「論考」の構文論のなかでは「春から夏になった」という文を構成するすることができるのかも疑問です。これももう少し考えていきます。

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