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2011年7月23日 (土)

「無い」がコトで無いわけ≪「論理哲学論考」を論考する2≫

ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」を論考する

ウィトゲンシュタインの世界観は、超越論的である。(呼戯人さんから、この言葉の使い方についての疑問が提起され、検討しているところなので、後で撤回することになるかもしれないが、ウィトゲンシュタインもカント同様、形式を用いることによって世界は理解可能になると言う世界観であることには違いないのだから、とりあえず、超越論的だとしておきたい。)

ウィトゲンシュタインの世界観は超越論的ではあるが、カントのように空間やカテゴリーを絶対とせず、論理こそが絶対必要な形式だとした、そして、論理と言語で世界の写像を作ることによって世界を知ることができるとした。この部分がカントとの明確な違いの一つであるが、ここに注目する前にその像について先に検討したいと思う。

写像関係ができるとき、事実の像として「命題」ができ、その事実の要素である対象の像として、命題の要素になる「名」ができる。この「名」とはどのようなものであるのか。前節では、「名」の指すものが「モノの名前」のみに限られず、状態や関係性を示すものであること、命題が名のみから成るということから、それが名詞に限られず形容詞や動詞なども含まれなければならないということを、考えた。「青い空が広がっている」という命題は「青い」と「空が」と「広がっている」という「名」からできている。「名」と言っても「青い」や「広がっている」などの形容詞や動詞も含まれる。その指示するのはモノだけとは限らないのだった。

それでは、どんな言葉でも「名」になり得るのだろうか。

ダメなのだ。たとえば、否定を表す語「ない」は、「名」にはなり得ない。
こういうことだ。

「リンゴが無い」の絵を描くことはできるか。映像で表すことはできるか。
Ringoganai

こんな絵でなら、リンゴが無いことを表せるだろうか。ダメだ。何の前提もなしで誰かにこの絵を見せて何を表しているかを判断してもらったとしても、「リンゴが在るか無いかのどちらか」になるかも知れないし、「リンゴがある可能性は半分しかない」になるかもしれない。動画でならどうか。やはり、ダメだ。せいぜい表現できたとしても、「リンゴが無くなった」でしかないだろう。

「リンゴが無い」はそのまま像として表現できないのだ。なぜなら、「リンゴが無い」の像は「リンゴがある」と同じものだからだ。「リンゴが無い」は「リンゴがある」の否定であり、否定は世界の「対象」ではないからである。否定を表す言葉は「名」ではないからである。

「太郎は走っていない」の絵は描くことができるか。

Hasiranai1
こんな絵でなら表現できるか。
ダメだ。これでは、走っていないのか、走っているのが太郎じゃないのか、分からない。そもそも、「×」印は絵ではない。記号だ。

Hasiranai2
ダメだ。「走っていない」ではない。「止まる」だ。

Hasiranai3
ダメだ。「歩いている」だ。

「太郎が走っていない」はそのまま、像として表現することはできないのだ。
なぜなら、「太郎が走っていない」の像は「太郎が走っている」と同じものだからだ。「太郎が走っていない」は「太郎が走っている」の否定であり、否定は世界の「対象」ではないからである。否定を表す言葉は「名」ではないからである。

このことを、ウィトゲンシュタインは「論考」で次のように言っている。
「4.0621 記号「P」と「¬P」が同じことを語り得るということは重要である。というのも、そのことは記号「¬」が現実における何物にも対応していないことを示しているからである。命題「P」と「¬P」は逆方向の意味を持つが、しかしそれらには同一の現実が対応する。」
「5.44 かりに「¬」が表す対象が存在するというのであれば「¬¬P」は「P」と異なることを語っていなければならない。なぜなら「¬¬P」はまさに対象「¬」に関わっているが「P」はそうではないからである。」
(「¬」は否定を表す論理記号である。「論考」では実際には「~」という記号で否定が表されているが、このブログではこれまで「¬」で否定を表してきたので、「¬」で統一した。)

こうして、「否定」は世界の対象ではなく、「無い」は名ではないことが分かる。「否定」は対象ではなく、論理による命題の操作なのである。操作自体は現実世界には直接対応する対象を持たないのだ。

だから、「否定」と同じように、命題に対する操作はどれも、現実世界に直接対応する対象を持たないことになるのだが、これについては次節にまわしたい。

つづく

「論考」を論考する 目次

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