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2011年6月13日 (月)

必然性と可能性の表裏<非現実は実在するか1>

様相論理学というものがある。
アリストテレス以来さほど大きな発展がないままに続いてきた論理学は、19世紀末から急激に進展した。あらゆる記述が、対象の様子を言及する「全称文」と対象の存在を言及する「存在文」の、2つに分類され得るということを、フレーゲが発見したからだ。この偉大なる発見は、「全ての(任意の)」と「或る」の2語によって世界記述の内容を大幅に広げた。その発展を受けて、論理学はさらに飛躍する。その記述内容の実在性を問うような論理学(直観主義論理など)が発明され、それまでの古典論理学と異なる新しい論理学として研究され始めた。
この新しい論理学のなかに、世界の在り方を「必然性」と「可能性」などの「様相」によって切り分けようとする論理方法が編み出された。
様相論理である。ここからは、章を改めて、「必然性」と「可能性」の意味を問うことによって、「現実」に「存在」するとは如何なることなのか、について考察していきたい。

必然□と可能◇

「必然」とは、「或る事態が起こらないことはあり得ない」という状況を示す。□という記号によって記述され、「Pであることが必然」または「必然的にP」という状況を

□P

と表す。

一方、「可能」とは、「或る事態が起こり得る」という状況を示す。◇という記号を使って記述し、「Pであることが可能」または「可能的にP」という状況を

◇P

と表す。
ここで、「必然」は元々「そうでないことがあり得ない」という意味だと考えたのだから、「事態Pでないことがあり得ない」「事態Pの否定が不可能」と言い替えられることになる。つまり、

□P≡¬◇¬P

と書ける。
さらに、「可能性」は「そうでないことが必然ではない」ということだから

◇P≡¬□¬P

と書ける。
必然性と可能性は密接に絡まりあっているらしい。
それでは、□Pの否定、必然性の否定とは何を意味するだろう。「何かの出来事についてそれが起こらないことがあり得ない、ではない」なのだから、A「それが起こらないことがあり得る」になるのだろうか。それともB「それが起こることがあり得ない」になるのだろうか。

これは、¬□P と □¬P との違いである。

¬□P 「Pが必然であることは、ない」を意味するのだから、Aの「それが起こらないことがあり得る」という意味になる。必然性の否定は或る意味で否定の可能性を示すことになる。つまり、

¬□P≡◇¬P

となる。

□¬P は「Pではないことが、必然」を意味するのだから、Bの「それが起こることはあり得ない」という意味になる。否定の必然は或る意味で可能性の否定を示すことになる。つまり、

□¬P≡¬◇P

となる。こう見ると、「必然」と「可能」とが綺麗な捻れ関係にあることが分かる。

≪ □P ≡ ¬◇¬P ≫  ⇔ (否定) ≪ □¬P ≡ ¬◇P ≫

      ⇕(否定)                    ⇕(否定)

≪ ¬□P  ≡ ◇¬P ≫ ⇔ (否定) ≪ ¬□¬P ≡ ◇P ≫

という、逆、裏、対偶のような関係を作っているのだ。
僕は、この美しい対称性に心奪われる。

しかし、様相論理が色彩豊かな世界を広げるのは、この必然性と可能性の意味解釈に多重世界を考えることによるところが大きい。「必然」が単にカントの言う「分析」や「アプリオリ」などを意味するだけじゃなく、具体的なイメージを提示してくれる点で、非常に色鮮やかな世界解釈だと思えるのだ。(だからと言って、世界理解が深まるかといえば、そうとは限らないが)

次節では、この「必然」のイメージを、様相論理がどのように捉えているか、また、分析やアプリオリとどう関係するのかを、見ていきたい。

つづく

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