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2011年4月 3日 (日)

無限桁の自然数は自然数か≪無限は実在するか7≫

対角線論法で自然数は可算濃度をはみ出してしまうか。

前節では、カントールの対角線論法によって、実数が自然数や有理数よりも高い濃度であることが明らかにされたことを見た。
そこで、本節では、この対角線論法を「自然数対自然数」に当てはめてみて、自然数が自然数よりも高い濃度になってしまうのではないかということについて考える。最終的には、実無限の立場では対角線論法が正しいことを認めることになるのだが、対角線論法を疑ってみることにより、有限と無限についての考察を深めたい。

まず、自然数版対角線論法を考えてみよう。
全ての自然数を列挙し、対角線を取るようにするのだ。そして、それを「0-1反転」して新しい数を取りだすと、そこに列挙されている全ての自然数のいずれとも違う、「新しい自然数」が表れる。・・・というものだ。

P

普通の10進法の数でも問題ないのだが、数の反転を簡単にするために「2進法」で表記することにする。

① あらゆる自然数を並べて表にする。並ぶ順番は何でも構わない。有限の値であるために対角線を取るのに必要な位に値がない場合は空位を0で埋めることとする。
② 1段目の自然数の1の位の値を取りだし、2段目の「10」の位を、3段目は「100」の位を、n段目の自然数からは、「1000…0」(2の(n-1)乗)の位の値を取りだす。すると、全ての自然数から一つずつの値を取りだした、一つの数Nが得られる。
③ そして、このNの全ての値が「0」であれば「1」に変え、「1」であれば「0」に変える。すると、上記の表に列挙した全ての自然数といずれかの桁で違う値を持つ「新しい数」が出来上がる。

④ この「新しい数」はやはり自然数であるはずだ。しかし、全ての自然数のいずれとも異なるのだから、その濃度は可算濃度をはみ出してしまう。だから、自然数は可算濃度にして、かつ非可算濃度であることになってしまう。矛盾する。

ゆえに、対角線論法が間違っているとなるのだ・・・が、どこがおかしのだろうか。

 

p進数

一般的な対角線論法では、自然数に対応する実数の表から対角線を取る。一つ一つがそれぞれ有限な値である有理数が無限に並んでいる。その列から対角線を取りだすと、無限の値を持つ無理数が現れる。有限から無限が取り出されるのが対角線論法なのだ。

では、上の「自然数対自然数」の対角線論法では、どうか。
一つ一つがそれぞれ有限な値である自然数が無限に並んでいる。その列から対角線を取りだすと、無限の値を持つ「数」が現れる。ここでも、有限から無限が取り出されているのだ。

つまり、対角線から取り出した「新しい数」はそれ一つが無限の値を持っているのだから、すでに自然数でも、整数でも、有理数でもないのだ。「自然数対自然数」の対角線論法は正しく可算濃度から外れる「新しい数」を作ったのであって、それは「自然数」ではなかったのである。
だから、「自然数対自然数」の対角線論法から、可算濃度から外れる濃度の「自然数」が生まれるとしたのも、それゆえ対角線論法がダメだというのも、当たっていない。

では、ここで対角線から取り出された「新しい数」とは何か。
「…111」という形の数である。無理数が小数点以下無限の位に値を持っている数であるのに対して、この数は大きくなる方向へ無限の位に値を持っている数である。

無理数「0.111…」(2進法で表した)が下の図を示す。

0111

それなら、「・・・111」はこうなるだろうか。

111_2

実は、このように無限の桁数を持つ数の体系は、すでにあって。p進数という。

p進数は一般的の数とはまったく違った大きさを持つ。たとえば上の絵では2進法で表した「…111」であるが、これに「1」を加えると、1の位から上の位に無限にくり上がっていって、「0」になってしまう。

…111+1=0

なのである。だから、

…111=-1

だとも言える。

一般的な10進法で記すなら、

…999+1=0

なのだから、

…999=-1

だと言えることになる。

上の絵で言うと、真ん中の「1」が空いている「-1」として見るのも、真ん中の「1」以外が無限に敷き詰められている「…111」として見るのも、同じだとするイメージに似ている。
さらにこの体系は、無限小数や分数を使わずに「3分の1」など1以下の数を表すことができる。不思議な距離感を持っている。
このp進数についてもっと詳しく見ていきたいが、脱線しすぎると元に戻ってこれなくなりそうなので、それはまたの機会にしよう。

ここまで、対角線論法を、一つ一つの値の見ると有限である数値が無限に続いていく数列から、一つ一つの値が無限である数値を取り出してくる方法として見てきた。
有理数の対角線から無理数が取り出され、自然数の対角線からp進数が取り出された。

だから、可算濃度とは有限の値を持つ数が無限に存在するときの濃度であり、非可算濃度はそれ一つで無限の値を持つような数が存在するときの濃度であるとも言えるだろう。

しかし、これらの考え方はすべて実無限を認めたうえでの考察である。実無限を認めるならば、可算濃度の無限より濃度の高い、連続体濃度が存在するのだ。実無限を認めるならば無限にも濃度差があるのだ。

では、可能無限の立場ならどうなるのだろうか。それは次節で。

つづく

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