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2010年11月14日 (日)

独今論者になることは可能か

独今論者は自死することができるだろうか。

「未来も過去も『本当は』存在しない。あるのはこの今の瞬間だけであり、「未来」や「過去」というものは空想の産物である」という思想の持ち主「独今論者」にとっては、未来がないのだから、カップ麺を食べることができない・・・・・・ということを以前考えた。
だから、同様に、独今論者は自死なるものに何も意味を持つことができない。それだけでなく、独今論者は未来を持たないのだから、明日を生きることができない。もともと、自殺志願者以上に将来を無くした存在であるはずだ。

ということは、逆に考えると、
自殺志願者は独今論者になってしまえばいいんじゃないか。それが、手っ取り早く、人に迷惑をかけないで、未来を失くす術なのではないだろうか。

独今論者はもともとゾンビのような存在でしかない。だから、生きることも死ぬこともできないのだ。自死に意味を持つことはできなのだ。だから、死にたい人は独今論者になってしまうと良い。

しかし、この論って何かおかしい。変だ。でも、どこがおかしいのだろう。
独今論者になることなど、できないのではないのだろうか。それを、簡単にできることのように考えていることがおかしいのじゃないか。

でも、そうだとしても、それと同様に、自殺することはできるのだろうか。それこそ、不可能なのではないだろうか。
一体、私の死とはどういうことなのか。世界の中の出来事として考えることができないことをどう考えるべきなのだろう。

カントが、「時間」は実在ではなく、人間が世界を見るための「感性」だとし、「アプリオリな総合」だとしたのは、実際に「独今論者」にはなり得ないこの事実のことを言っているのだろうか。

理論的には「この瞬間のみが世界である」とする「独今論」は有り得るはずである。
しかし、実際に自殺志願者が「未来」を捨てるために、「独今論者」になろうとしても、できないのである。

われわれは、時間の中で生きる以外の存在であることはできない。
つまり、
空想の世界の話としての「独今論者」になることはできても、
実際のこの世界の話としての「独今論者」になることはできないのかもしれない。

ただし、この論はかなり慎重に考えていく必要がありそうだ。

思いつきの言々

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