フォト
無料ブログはココログ

« アプリオリとは総合とは≪超越論的な真理は本当か3≫ | トップページ | 「本当である」とはどういうことか≪超越論的な真理は本当か5≫ »

2010年8月 3日 (火)

「感性・悟性・理性」と「時間空間・カテゴリー・理論」≪超越論的な真理は本当か4≫

カントの、世界観の世界観

物理法則はアプリオリな総合認識だと、カントは言う。

しかし、物理法則がアプリオリなのだったら、それは必ずただしい考えであり、後年になっても覆されることがないような絶対的な真になってしまうではないか。もともと物理法則は単なる仮説であり、現象を理解するために人間がとりあえず考えた、勝手な「決まり」でしかないのだから、間違っているかもしれないことを前提としているもののはずだ。
ニュートン力学がアインシュタインによって訂正されたように、古典力学が量子論によって覆されたように、物理法則は絶対正しいと言えるものではないはずだ。

それでは、カントはなぜ「物理法則はアプリオリだ」などと言ったのか。

それを考えるにはまず、カントの世界観を見ていく必要がある。カントの世界観は、単なる世界の構造の分析ではなく、世界の構造分析の構造分析(世界観の世界観=メタ世界観)になっている。

Ⅰ.物自体

「物自体」が存在する。しかし、われわれは決して物自体の側には到達することができない。その印象を感覚的に受け容れることができるだけである。

Ⅱ.認識の三段階

われわれは物自体を直接知ることはできないが、その印象を、感性・悟性・理性の3つのフレームに当てはめることによって、世界を理解することができるようになる。

カントによる認識の三段階

段階

能力

方法と内容

認識の経験的な部分

認識の純粋な部分

感性

受容性。心が触発されたときに像をうけとる能力。

直観

感覚的な対象によって触発される方法、又はその内容。

感覚を含む認識の素材

感覚が混在しない、直観するための形式。

〈時間・空間〉

悟性

知性。直観した対象を思考し、現象として捉える能力。

概念

心に思い描いた像から対象を認識する方法、又はその内容。

思考の素材

対象を思考するための形式。

〈カテゴリー〉

理性

概念と概念を関連づけて推論し、仮象として捉える能力。

理念・憶測?

概念どうしを関連づけて推論し、世界を認識する方法、又はその内容。経験を越えて世界を探ることもでき、二律背反(アンチノミー)に陥ってしまうこともある。

概念や直観など、推論の素材

現象を関連づけて統合するための形式。

〈理論・法則〉

①.認識の第一段階=「感性」

感覚から得られた素材はそのままでは何の意味も持ち得ない。
そこで、「形式」という枠組みににそれを当てはめることによって、はじめて、われわれが認識できるものになる。この段階の認識能力を「感性」という。心が触発されたときの像を受けとる能力であり、受容性のことである。
このときの、感覚的な対象によって触発される方法や、その内容のことを、「直観」という。
直観の中身は、感覚を含んでいる、経験的な認識の素材と、感覚をまったく含まない「形式」とに分かれる。

この段階の形式は、「時間」と「空間」のみである。
「物自体」は認識可能なモノではなく、その内容を理解することはできないが、われわれは、心を触発された像を「時間・空間」という枠組みに当てはめて考えることで、認識することができるようになる「時空」が無ければモノは見えることさえできないのだ。。

ただし、「時空」によって現れ始めたモノは、この段階ではまだ、名をもたず、意味をもたず、「何物か」として存在するものではない。

そして、この「時間・空間」というフレームはもともと物自体に含まれるものではなく、世界を理解するためにわれわれが設定しただけのものであると、カントは言う。

②.認識の第二段階=「悟性」

直観はそれのみではまだ、世界の在り方をことばや文にして語れるように状況にはなっていない。世界はまだ、具体的な名や意味を持ち得ない。
そこで、「カテゴリー」という枠組みににそれを当てはめることによって、はじめて、われわれが思考できるものになる。この段階の認識能力を「悟性」という。直観した対象を思考する能力であり、知性のことである。
このときの、心に思い描いた像をもとに対象を認識する方法やその内容のことを「概念」という。
概念の中身は、経験的な思考の素材と、対象を思考するための「形式」とに分かれる。

この段階の形式を、カントは「カテゴリー」と呼んでおり、それを当てはめることによって、世界の状態を文にして語ることができるようになる。「モノ」や「コト」に名前がついてつながりが生まれる。単に時空の中で何物でもないモノだった存在が意味をもつようになる。

たとえば、「ここにカップ麺がある。お湯を入れたから食べられる。」というように、だ。
カテゴリーがなけれは、このカップ麺もカップ麺でなく、何モノでもないのだ。

そして、この「カテゴリー」というフレームも、もともと物自体に含まれるものではなく、世界を理解するためにわれわれが設定しただけのものであると、カントは言う。

判断表
(すべての内容を取り除いて、判断する思考機能の形式)

① 判断の量

全称判断 「すべてのABである」

特称判断 「いくつかのABである」

単称判断 「このABである」

② 判断の性質

肯定判断 「ABである」

否定判断 「ABではない」

無限判断 「ABではないものである」

③ 判断の関係

断言判断 「ABである」

仮言判断 「ABであれば、CDである」

選言判断 「ABであるかCである」

④ 判断の様態

可能判断 「ABであることは可能である」

現実判断 「ABであることは現実的である」

必然判断 「ABであることは必然的である」

カテゴリー表

(悟性の論理的な概念・純粋知性概念)直観に与えられた多様な素材を悟性による判断の論理的な機能に照らして規定される。この時の機能がカテゴリーである。

① 量

単一性

数多性

全体性

② 性質

実在性

否定性

制限性

③ 関係

付属性と自存性(実体と偶有性)

因果性と依存性(原因と結果)

相互性(能動的なものと受動的なものの相互作用)

④ 様態

可能と不可能

現実存在と非存在

必然性と偶然性

③.認識の第三段階=「理性」

概念はそれのみではまだ、世界の在り方をさらに深めることはできない。
そのままでは世界の法則性はまだなく、それぞれの概念が統一されることはない。。
そこで、「理論」「法則」などの「形式」に当てはめ、はじめて、概念どうしを関連づけて思考し、推論することができるものになる。この段階の認識能力を「理性」という。
この「理性」にも、概念を理解する経験的な世界像の部分と、純粋な形式の部分に分けられる。
この段階での「形式」には「科学法則」などがあり、これらによって世界を系統立てて考察することができるようになる。

(ただし、人間の理性には、世界をさまざまに系統立てようとするので、答えの無い問題に突き当たってつまずいてしまうことがある。これを「二律背反・アンチノミー」と言う。)

まとめると

① 物自体に対して、時間空間という(感性段階の純粋形式の)フレームを当てはめると、そこに、モノが現れるようになり、(直観)

② 直観に対して、カテゴリーという(悟性段階の純粋形式の)フレームを当てはめると、そこに、文にして世界を理解できるようになり、(概念)

③ 概念に対して、理論という(理性段階の純粋形式の)フレームを当てはめると、そこに、系統立てて世界を理解することができるようになる。(理念・憶測?)

たとえばここに現れている何かは、「時空」という枠組みに当てはられることによって、存在し、何かきらきら光るものが(しかし、光っているとさえ分からないようななんだか分からないものが)、像として見えるようになり、
カテゴリーという枠組みに当てはめられることによって、それが「夏空に映える虹」であることが分かるようになり、
理性によって推論されることで、「空中の細かな水滴がプリズムになって、太陽光線を分解した現象だ」と理解できるようになるのである。

以上が、カントの言う超越論的な世界観である。なぜ、この世界観が、カント自身がコペルニクス的転回と言うほどすごいものなのか。
また、これらのフレームで見ると「アプリオリな総合判断」ができるのはなぜか。
それは次節で。

つづく 超越論的な真理は本当か5

超越論的な真理は本当か目次

大阪哲学同好会に来ませんか

« アプリオリとは総合とは≪超越論的な真理は本当か3≫ | トップページ | 「本当である」とはどういうことか≪超越論的な真理は本当か5≫ »

コメント

ナイスな内容ですね。すごくわかりやすいです。

#垂水源之介さん、
ありがとうございます。とてもうれしいです。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/548679/49046088

この記事へのトラックバック一覧です: 「感性・悟性・理性」と「時間空間・カテゴリー・理論」≪超越論的な真理は本当か4≫:

» 無定義無名のもの [哲学はなぜ間違うのか?]
さてその大きなものとは、神様でないとすると、何でしょうか? 仮に、私たちが感じと [続きを読む]

« アプリオリとは総合とは≪超越論的な真理は本当か3≫ | トップページ | 「本当である」とはどういうことか≪超越論的な真理は本当か5≫ »