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2010年6月 7日 (月)

世界を正しく表す文はあるか9 「と思う」は正しい総合文か?

課題文⑤「ここにパソコンがあると思う」
では、「~と思う」「~と感じている」などという結語がついた文ではどうだろう。これは間違いようがなくなるのではないだろうか。
「ここにパソコンがある」という文では、たとえば私が夢を見ているのだとしてしまえば「パソコンがある」というのは偽で、そう思っているだけだという話になる。
しかし、「ここにパソコンがあると思う」という文についてなら、現実にパソコンがあろうとなかろうと、そう思っていればいいのだ。「本当は」私が夢を見ていただけでパソコンが無くっても、「ここにパソコンがあると思う」と言う文は確実に真だと言えるのではないか。

クワインの「経験主義の二つのドグマ」の話からは、ある文がただちに経験と対応させることができるとは限らないという話が出てくるだけであって、全ての文が経験と対応され得ないと決まったわけではなかった。だから、課題文のように、自分の心の中を表わす私的な言葉でなら、経験と照らし合わせて真と決まるような総合文があるかもしれない。
世界についてどんな解釈の仕方をしたとしても、世界を解釈しているのだという前提を覆すことは無理だろう。そういう意味で、「ここにパソコンがあると思う」は真なる総合文だと決めてよさそうに思える。

ただし、「~と思う」というのは、世界と世界を解釈している主体があることを前提としているとも言える。つまり、「世界を解釈する際に世界と世界を解釈する主体を分けて考え、この状態を『思う』と呼ぶとする」という前提を入れなかったら「~と思う」は成立しないのではないかという疑問は残る。
だから、「~と思う」や「痛い」「赤く見える」などの私的な感じ方は、とりあえず真なる総合文だとするのが適当なようだ。

また、こうも考えられる。「Aと思う」という文は、「Aであると解釈できる世界がある」というように言いかえられるだろう。これは、①「世界はAとして解釈できる」と、②「そのような世界がある」に分解できる。そしてこの時、この①の部分については、「世界をAとして解釈するならば、世界はAとして解釈される」という分析文だとすることも可能である。しかし、②の文については明らかに総合文になると思われる。
「世界がある」ということは当然のことではなく、今ここに開いている現実があってはじめて言える総合文だからだ。

そう考えると、おそらく、絶対的に真なる総合文だとできる文は、「世界がある」の一つだけであろう。
その先のさまざまな解釈については、「~と思う」という私的な感じ方について、<とりあえずの>総合文だとすることができるかもしれないが、単に私的な感じ方についての発言にすぎないので、そこから世界の真なるあり方をとらえることは難しいかもしれない。私的言語について世界を正しく見るための武器になり得るかどうかは、別の機会に考えていきたい。
また、私的感じ方以外では、世界解釈についての正しい総合文はありそうにない、としてまとめることができそうだ。

長々と総合文について考えてきたが、クワインの「二つのドグマ」から独我論を否定するのは難しそうだ。
「世界がある」という総合文が真だとすると、これは「私の世界」についての発言だと考えられるので、逆に独我論を擁護することになったのかもしれない。しかし、「私の世界」という言い方についてはさらにていねいに考えていく必要がありそうである。

も一つつづく 世界を正しく表す文はあるか10へ 

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