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2010年6月13日 (日)

独今論者はカップ麺を食べられるか1 「対他我-独今論」と「対モノコト-独今論」

以前、「独今論者はカップ麺を作れるか」で、「過去や未来を認めながら、それが今のみに開かれている」という独今論について考えた。そこで論じた独今論について、「独我論がダメなわけ」で考えてきたことをあてはめて、もう一度、整理してみよう。
そこで考えた独今論は二つのタイプがあった。
タイプ①は「対モノコト-独今論」、
タイプ②は「対他我-独今論」である。

タイプ①「対モノコト-独今論」とは、今この瞬間だけが実在する世界だとするモノである。過去や未来は今この瞬間に空想することができたとしても、それは実在するものではない。過去や未来があると思っているのだけれど、「本当は」過去や未来はないのだとするモノである。だから、このタイプの独今論者は未来の存在を認めることができない。3分後に食べられるカップ麺を作ることなど無意味となるであろう。

これに対して、
タイプ②「対他我-独今論」とは、今この瞬間の自分以外を私として認めないという立場のモノである。明日の自分は結局、他者でしかないとするのである。過去や未来の存在は認めないわけではない。過去や未来は実在するのだが、ただし、過去や未来は、今この瞬間にこの私が空想し思い出しているコトとしてのみが意味あるモノとするのである。だから、このタイプの独今論者は、未来を考えることができ、3分後のためにカップ麺を作ることも可能でさえある。

「カップ麺を作れる」で私は、上の二つの独今論を考え、タイプ①ではカップ麺を作ることができないが、タイプ②の独今論ではカップ麺を作ることができると主張していたのだと思う。
そして、タイプ②の独今論でカップ麺を作ったとして、それが食べられるのだろうかという宿題を残しておいたのだが、この独今論者は、そのカップ麺を食べることは出来るのだろうか。
それは出来ないだろう。タイプ②では3分後の私は、他人でしかないのだから、食べるのは当然、自分自身ではない。独今論者はカップ麺を食べることは出来ないのだ。

「今」をどう考えるか、「本当にあること」をどう考えるかにもよるのだが、少なくとも、ここに開いているこの瞬間の世界を「今」であるとし、それだけが、「本当の」世界だと考えるのなら、3分後という未来で「私」がカップ麺を食べられる可能性はないとしなければならないようだ。

つづく

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