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2010年5月 9日 (日)

世界を正しく表す文はあるか7 どんなデータも状況証拠でしかない

どんな文でも、その前提になる状況を設定し直すことで、真にすることも偽にすることもできるのだから、その一文だけで、その真偽を決定することには意味がないということまで、考えた。しかし、それが本当なのだったら、世界を正しく表すことと言うのは出来ない話なのではないか。

一文の真偽を決定することができないのであれば、この世界の正しい世界像を確定することは無理なのではないか。
いま目の前にあるパソコンの画面の存在でさえ、これを存在するとする世界像を設定することも、存在しないとする世界像を設定することも、可能なのである。ただ、存在しないとする世界像を設定するには、代償が大きくなってしまい大変不便だということを我慢しなければならないが、いずれの世界像も「あり得る」のである。そう考えると、絶対確かな世界像を作ることは出来ない話なのかもしれない。

つまり、どんなデータを持ってきても、それを世界像を設定するための直接的な決定証拠とすることはできない。間接的状況証拠でしかないのだ。
だから逆に、センスデータの状況証拠とマッチする世界像であれば、どんな世界像でも「本当の世界」だとすることができるのじゃないだろうか。
「神が存在するのだ」とする世界像でも、「神など存在しない」とする世界像でも、好きな方や便利な方を受け入れればいいのかもしれない。

しかし、どんな文でも、真にも偽にもできると言うのは本当だろうか。そこのところを、もう少し丁寧に考えてみたい。

つづく 世界を正しく表す文はあるか8へ 

世界を正しく表す文はあるか目次

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