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2010年4月18日 (日)

犬語が話せる女の真偽をどう確かめる?

「動物と話ができる」というフレコミで、女がテレビに出ていた。テレパシーによって動物の心理や考えを読み取ることができるらしい。志村けん司会の動物番組で、その動物語バイリンガル女が小犬の悲しい気持ちを聞き取って、飼い主の秋吉久美子に伝えていた。「飼い主に笑ってほしくてはしゃいでいたけど、そのためにけがをした。逆に悲しませてしまったので悔しい」という気持ちを犬が言っていると言っていた。

私は番組を見ながら、そのうさんくさい「動物語の翻訳」を笑っていたのだが、よく考えると、この女が動物と話せているかどうかの真偽を確かめることは、とても難しいのではないかということに気付いた。

話が通じているかどうかを確かめるには、相手が言ったことを自分なりに理解してみる。そして、その理解で正しかったかどうかを、言葉の内容と、言った時の場の状況と、前後の状況と、自分が理解した内容とを、照らし合わせてみて検証するしかない。

これが本当なのか、でっちあげなのかを確かめるのには、「その犬の行動履歴」や「その後の状況」「他の犬たちならばそこまでの考えを持ち得るか」などの、いわば状況証拠から検証することができるだけであり、女が犬語を話せるかどうかを確定させることは困難であるだろう。

女が犬語を話せるというのは信用できないと思う。しかし、単純に嘘だと決めつけるのも難しいようだ。逆に、犬語ができるという立証を確定させるのも難しいだろうが。

結局、犬語ができるかどうかという問題は、真摯に犬の気持ちを読み取ろうとしているかどうかという問題と区別がつかなくなってしまい、その犬語の翻訳内容が状況と矛盾せず、まじめに犬語を読み取ろうとしているならば、それだけで、犬語を話せることにしてしまってもOKになるのじゃないだろうか。

そして、この問題は、犬語についてだけでなく、人間に対する時にも同じように立ち上がってくる。他者の言っている言葉を正しく理解しているかどうかは状況証拠で考えていくしかなく、確定させることができないのだ。しかし、また同時に、自分が他者の言葉を真摯に理解しようとしていて、その言明の意味が場の状況に合致していれば、それだけで、その理解は間違いではなくなるのだ。

 

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