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2010年2月28日 (日)

世界が私という夢を見ている

「私が世界という夢を見ている」のではなく、「世界が私という夢を見ている」とも言えるのじゃないだろうか。

世界がある。

世界は、「私が今開いている」という形態でもって開かれている。
そして、
体としての私は、世界の内部にある。
現象としての私も、世界の内部にある。

では、世界の限界としての私は、どこにいるのか。

世界の限界としての私と、現象としても私は、まったく別のものである。これを混同してはならない。世界の限界としての私とは、「私が、今、世界を開いている」という形態でもって開かれている世界そのもののことであろう。

いわば、「世界が私という夢を見ている」のである。

 

 

思いつきの言々

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